第11話 王太子リロイ(1)


 それからしばらくして、ジェドに頼んでいた王太子リロイとの面会は設定された。


 離宮のひとつに設けられた、静かな庭園の一角に佇むガゼボ。

 最低限の近衛とメイドだけが配置されたその場は、いかにも人目を避けた密会に相応しい場だ。リロイの母、つまり現王妃が管理する離宮に無断で足を踏み入れることは、すなわち国に対する反逆の意思ありと見なされるのだから。

 当然招かれたリーシャに対しても同行する人間は厳しく制限され、連れて来ることができたのは執事ひとりだけ。


(まぁこの訪問は父に知られたくないから、むしろ大勢のメイドを連れてくる必要があった時の方が困っただろうけど……)

 それはそうとして、ピシリと張り詰めた空間に身を置くことは窮屈なものだ。本来であれば心を潤す美しい庭園の景色も、目には映れど何も心に入ってこない。

 そんな中でも、ひとりでないというのは非常に心強い。彼を連れてくることができて良かった、とリーシャはこっそりと執事の顔を見上げた。


 やがてリロイがやって来るのが見えて、リーシャは淑やかに頭を下げた。

「今回は私の不敬とも言える我が儘を聞き入れていただき、ありがとうございます。王太子様におかれましては……」

 まずはこの場を設けてくれた礼と挨拶を口にするが、「良いよ、楽にしてくれ」と王族らしい鷹揚さでリロイは彼女の言葉を遮る。


「今日は非公式の場だ。形式的な挨拶なんかに時間を使うのは、もったいない。いつまでも頭を下げてないで、顔を上げて」

 言われて、リーシャはゆっくりとおもてを上げる。

 陽の光を反射してキラキラと輝く蜂蜜色の髪が、その目に飛び込んできた。その下に輝く、エメラルド色の宝石のような瞳が面白そうな顔でリーシャを見下ろしている。


「ご機嫌よう、リーシャ嬢」


 兄であるハロルドとよく似た髪の色と面差し。

 それだけ見れば彼らはよく似た兄弟なのに、受ける印象はまったく違う。目の前のリロイには、この年にしてすでに王者の風格と気品があった。彼を前にしたら自然とこうべを垂れてしまうような、あふれる程のカリスマ性。それはハロルドに望むべくもないものだ。

 違うといえば、彼らは体格も随分と違う。ハロルドは華奢な身体つきで上背もそれ程高くない。そのためダンスの時、背の高いリーシャはその頼りない身体に身を任せるのが少し怖いくらいであった。……もちろん、二人でダンスを踊ることなんて年に数回しかないけれど。

 一方の目の前のリロイはがっしりとしたよく鍛えられた身体をしていて、背も随分と大きい。王太子という立場に甘んじることなく己をよく鍛えてきた積み重ねが窺われる。

 同じ血を引いていても歩んできた人生でここまで差ができるものなのかと、リーシャは内心で妙な感慨を覚えていた。




「パーティでは何度か言葉を交わしたことはあるけれど、こうして二人で話をするのは初めてだね。兄上は私のことを嫌っているから、婚約者である君も私と関わりを持つことは避けているのかと思っていたんだが……まさか君から誘いをもらえるとは意外だったよ。実のところ、今日のことは私も楽しみにしてきたんだ。――で、端的に聞こう。私に、何の用かな?」

 瞳に興味の色を強く宿して、リロイは楽しそうに言う。「優秀な王太子だが破天荒な一面もある」という周囲の評価はあながち間違いではないらしい。


 それなら彼の協力も得られるかもしれない、と内心で希望を抱きつつリーシャは目を伏せて静かに述べる。

「では、率直に申し上げます。わたくし、彼との婚約を解消したいと考えておりますの」

「へぇ? バートン家はこの婚約に大いに乗り気だと認識していたけど、違うの? もしかしてちまたで噂されてる令嬢との仲を気にしているのかな」

 目に多少の軽蔑を滲ませて、リロイは尋ねる。

 もしここで頷いたら、きっと彼はこの対談そのものに興味を失うだろう――リーシャはその表情が意味するものを的確に察した。


 しかしそんな推測を微塵も出さずに、リーシャは艶然と微笑む。

「えぇ。確かに父はこの婚姻に非常に期待しておりますし、私もその重要性については理解しております。たかが浮気程度の話でしたら、リロイ殿下のお手を煩わせるつもりはありませんでしたわ」

 たかが、の部分に力を入れて話せば、リロイは「へぇ」と片眉を上げて彼女の話の続きを促す。彼の視線がしっかりとリーシャに向けられたことを確信して、リーシャは顔を上げてまっすぐに言い切った。

「でもわたくし、国家叛逆はんぎゃくの罪に手を貸すつもりはありませんの」




 一瞬、周囲はしん、と音をなくして静まり返った。まるで時が止まったかのような沈黙が、辺り一帯を覆い隠す。

 バサバサ、と枝から飛び立つ鳥の羽音がやけに大きく響き、そしてまた沈黙に呑み込まれていった。


 やがてリロイは小さく咳払いをしてリーシャを厳しい目で見据えた。

「国家叛逆、とは。なるほど、聞き捨ててはおけない物騒な話だが……いい加減な話ではないだろうね。現王族に謂れなく大逆の罪を被せたことが判明した場合、君だけでなくバートン家にまで類を及ぼすことになるけれど、それを理解してはいるのかな?」

 低い声で問うその声は厳格で、いい加減なことを述べるのは許さないと言外にはっきりと伝えてくる。


 その肌を指すほどの威圧に耐え、リーシャはしっかりとその目を見返した。

「もちろん、心得ております。私の訴えは後ほどいくらでも調べていただいて構いません。ですがひと時の間、私の話に耳を傾けてはいただけないでしょうか。――ハロルド様が王位を狙っているという話について」


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