章閑話—13 アズベルトの懐疑

 パーティー会場だった屋敷から一人馬を飛ばす。

 幸いにも欠けてはいたが月が出ている。知り尽くした道であった事も踏まえれば、闇夜に比べて幾分速度は上がった。

 強行軍には慣れている。今日程騎士団に所属していた事を良かったと思えた日は無いだろう。


 現役だった頃は、常に緊張感と焦燥感に駆られていた。今、この瞬間にも、カナリアの身に何か起こっていたら……そう考えない日が無かったからだ。

 遠征などは地獄で、身体は疲れてへとへとだったが、不安でろくに夜も眠れなかった。

 騎士団を退団する事になり、その心配は無くなったが、今度は領地の仕事が格段に忙しくなってしまった。

 カナリアの希望もあって我が家で療養してもらう事になり、近くに置く事は叶ったが、夜眠れない日があったのは変わらなかった。


 ようやくそんな心配も不安も無くなったと思ったらこの有様だ。無意識にギリギリと歯を食いしばっていた。

 何故もっと慎重にならなかったのか。何故もっと思慮深く努めなかったのか。何故カナが気付いた可能性をもっと考えなかったのか。

 何故……何故……何故……

 いやという程後悔してきた筈だったのに……


 レオドルドがカナリアを殺す事は絶対に無い。多少手荒な真似はしても傷付ける事は無いだろう。

 そこは信じられる。

 カナの推測が正しければ、彼は恐らくカナリアを連れてこの国を出ようとする筈だ。そうなれば、当然の如くこの国の法は無効となり、法の元裁くことも、下手をすれば彼女を取り戻す事も出来なくなってしまう。

 手綱を握る手に力が入り、焦りばかりが心を覆っていく。


 それにもし『カナリア』ではなく『かな』だとバレてしまったら……

 

 恐ろしいのはそちらの可能性だった。

 もしもカナリアがもう既にこの世にいないと分かったら……カナリアの身体を支配しているのが別人だと気付かれてしまったら……

 こんな風に綿密な準備をしてまで彼女を手に入れようとした男だ。何をするかわからない。

 焦りと不安で胸が押し潰されてしまいそうだった。


 カナ……どうか無事でいてくれ……




 秘密基地にしていた廃墟が見えて来た。建物自体がもう古く、手入れをされている様子も見られない。

 あの頃のままの筈なのに、やけに古く陰鬱として見え、閑散とした雰囲気に背筋が冷える思いがした。

 見えるどの部屋にも灯りが無く、もう去ってしまった後だったかと恐怖を覚えた。

 建物の直ぐ前で馬を降り、願いを込めて彼女の名を叫んだ時だった。


「アズ!! アズここよ!!」


 よく見ると半分程開いた窓を叩きながら必死に助けを呼ぶカナの姿があったのだ。

 とにかく無事のようで、まだ此処にいてくれて安堵した。

 あの部屋は、二階のあの窓は、カナリアがまだ幼い頃よく遊んでいた部屋だ。幼いリアが誤って落ちてしまわないようにと、レオが窓に細工をしていた筈だ。


 位置は把握した。あの部屋なら隠れた出入り口は無かった筈だ。正面から突入し、目の前の階段を駆け上がれば正面だ。

 そう考え、正面玄関を入った所、階段の前にいた二人の男に行く手を阻まれた。


「邪魔だ」


 ゲネシスが渡してくれたサーベルを抜き放つ。柄を握る手が震える程力が入ったが、深呼吸して気持ちを無理矢理落ち着けた。

 そうした事で、周りを見る余裕が生まれ、状況判断が出来た。

 一人の腰に鍵の束がぶら下がっている。あれは恐らく必要になるだろう。

 サーベルを構え二人を睨みつけた。

 剣の訓練もしているとはいえ、ブランクのある自分に二対一はキツイだろうかと思ったが、こちら以上に相手が焦っていたようだ。

 二人まとめてくればいいものを、一人がサーベルを振り回して襲い掛かって来たのだ。私がここに来ることは想定外だったのだろう。

 素人だったのか、胴ががら空きだったので容赦無く一撃で沈め、二人目を射殺すつもりで睨み付けた。

 こちらも素人の様だ。


「鍵を渡せば見逃してやる」


 どちらが悪役なのか分からないなと思いながら、やはり襲い掛かって来たので同じく沈めた。

 そういえば実戦経験は強行軍よりもずっと多かったかもしれない。とにかく剣の素人であった事も助かった。



 鍵を奪い、階段を駆け上がる。

 運よく最初の鍵で開いた扉を乱暴に開くと、窓の側でレオに囚われたカナが泣きながら此方を見ていた。

 その首筋にはナイフが当てられている。

 柄を握る手元から軋むような音がする。早まる心臓と煮える身体を無理矢理落ち着け、刺すような眼差しをかつての友人へと向けた。

 室内へと数歩足を踏み入れるのを、レオは柔和な笑みを浮かべたまま見ていた。


「アズベルト。君はいつから『リア』ではなく『カナ』と呼ぶようになったんだ?」


 レオドルドの指摘に、自分がどれ程冷静さを欠いていたかを思い知った。こめかみを不快な汗が伝う。

 一番懸念していた事を自らが肯定した形になったのだ。

 背中を冷たい汗が流れるのを感じながら、そこではたと思う。


 まさか……


 カナに視線を向けると、目が合った彼女が僅かに頷いた様に思う。


 レオはもう知っていたのか……。


 表情に出ないよう苦慮した。彼がその秘密を知っているのなら誤魔化しは効かない。

 切り出すべきか……自らの口で話すべきか……

 その咄嗟の判断がつかないまま、感情の読めないブルーアイを見つめ、どう彼女を取り戻すか必死に頭を働かせた。



 すると突然レオドルドがカナを解放したのだ。

 胸に飛び込んで来た彼女をしっかりと抱きしめる。震えていたが大きな怪我は無さそうで、ようやく息を吐けた思いがした。


「無事で良かった……」


 心からの安堵に、彼女を抱く腕につい力を込めてしまった。


「カナリアでないなら、その女に用は無い」


 常のレオからは考えられない様な冷たい物言いに、警戒を解かないまま視線を向けた。

 外を向く彼の表情を知る事は出来なかったが、その肩は小さく震えていた。


 相当な犠牲を払って来た筈だ。

 カナリアの為に、自身の為に、周りに理解されない様な事もして来ただろう。レオは、そういう男だ。

 一見軽々しく見える外見も、自分を守る為の武器にして、傷付けられない為に他人を利用する。思慮深く、綿密に計算するやつだ。

 そんな男が、ここまでの事をしてカナリアを手に入れようとした。

 この一週間で全ての準備をして来たのだろう。

 商人としての地位を捨ててまで、今まで積み上げて来たものすら手放して。

 どれもこれも、全てカナリアの為だった筈だ。

 出来ればこんな形で知らせたくなかった。

 彼の心中は計り知れず、やり切れない思いに胸が締め付けられていく。


 サーベルを腰へと戻す。

 カナを抱き抱えその場を立った。

 これ以上ここにいる理由は無い。これ以上怖い思いをさせたくなかった。

 これが最後になるであろう友人の背を見つめる。


 もうすぐ部下が来るとだけ伝え、アズベルトはその場を後にした。

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