おでこに何かが優しく触れる感触を覚え、カナは浅い眠りから覚めると瞼を開けた。大きな手が自分から離れていくのが見え、それが不安そうにこちらを覗き込むアズベルトのものだと分かって、無意識に口元が緩んだ。


「ごめん。起こしてしまったな」

「アズ……おかえりなさい」


 ただいまと言いながら、布団に入ってくるアズベルトを見つめる。

 石鹸の香りが仄かにしているから、湯浴みも済ませて来たのだろう。昼間にクーラとお茶をして体調を崩していた事に気づき、それから医者にかかってそのまま横になったのだ。結構な時間眠ってしまっていたようだ。


「ご飯は?」

「済ませた。カナは? お腹空いてないか?」


 横になったままふるふると首を動かす。ずっと眠っていたから夕飯は食べていなかったが、食欲はなかった。


 それよりも……


 カナに寄り添うように身体を横たえたアズベルトにくっついた。直ぐに逞しい腕が背に回され、彼の胸の中に抱き寄せられる。湯浴みをして直ぐだからか、いつもよりも高く感じる彼の体温に包まれれば、安心感からか昼間感じた寂しさなんてどこかへ行ってしまった。

 夜着の隙間から覗く肌に頬を擦り寄せると、アズベルトの唇がカナのおでこに触れてくる。


「微熱があったと聞いたが、下がったようだな」

「ん……薬が効いたみたい」

「ごめんな、無理させたんだろう?」

「違うの……私がやりたかっただけ。……だけど、こんなふうに心配させたらダメね。こちらこそ大事な時期に……ごめんなさい」


 優しく頭を撫でる手が心地良くて目を閉じた。今度は瞼にキスが落ちてくる。


 使って良いからと渡された羊皮紙は、もう全てレシピで埋まっている。それでも足りないくらいだ。

 元々料理は好きで、よくする方だった。既にあるレシピをそのまま作るのも好きだし、アレンジするのも好きだ。あれもこれも作ってみたいと思っていたら、思いの他沢山書き出せてしまったのだ。今は覚えていたものを書き出す作業をしていたが、その中から市場で扱うのに良いものを選ばなければならない。そこから改良しなくてはならないし、調整だって必要になるだろう。まだまだやる事は沢山あるのだ。


「勉強熱心なのは良い事だが、身体が一番だからな」

「はい……でもこうしてアズが甘やかしてくれるなら、悪くないわ」

「お望みとあらばいつでも」


 再び唇が押しつけられたのはおでこだ。今夜はいつものようにはしてもらえなさそうだと残念に思いながら、そういえばと口を開く。


「夢を見たの」

「どんな?」

「アズとレオがいた。ずっとずっと小さいふたりが、私にお花をプレゼントしてくれるの。私は迷って、どちらの花も受け取るの。そうしたら、ふたりが喧嘩になってしまって……」


 幼く可愛らしい二人が瞳を潤ませながら一輪ずつ花を差し出してくれていた。その様子が本当に愛らしくて、思い出すだけで笑みが零れた。


「そこで目が覚めたわ」

「レオの花も受け取ったのか……」

「夢の話よ?」

「夢でもイヤだな」


 アズベルトもそんな風に言う事があるんだなと驚くと同時に、分かりやすい嫉妬に思わず頬が緩んでしまう。ニヤニヤが止まらなくなって、誤魔化すように彼の胸に擦り寄った。


「レオの事だけど……彼、多分カナリアさんの事、好きだったと思うわ」

「え?」

「彼の視線や仕草に違和感があったの」


『カナリア』を見る彼の眼差しは、アズベルトのものと良く似ていた。あれはきっと愛情だ。


「まさか……レオはそんな感じでは……愛情だったとしても、妹のように思っているとかそういう事だろう」

「んー……そうだと良いのだけど……私達の結婚を知った時の表情が気になるのよね」


 変に思い詰めてないと良いのだけれど……


 感じた不安を伝えた方が良いかと顔を上げた時、アズベルトが急に覆い被さるように身体の向きを変えた。

 あれあれと思っているうちに身動きを封じられ、いつもよりも強引に荒々しく唇が塞がれる。息も許さないように深くて、一気に頭の芯が痺れるような濃蜜な口づけに、身体の奥底が揺さぶられぞくぞくと震えが起こった。


「俺の前で他の男の名を呼ぶ口は塞いでおかないと……な」

「っは……ちょっ、待っ——」


 問答無用とばかりに言葉が遮られ、吐息すらも奪ってくる。押し返そうと抵抗する手はたちまちベッドへ縫い付けられ、もう片方の手はカナの身体の線をなぞる様にゆっくりと滑っていく。

 普段着のドレスとは違い、薄い生地の夜着はアズベルトの手のひらの感触だけでなく、熱さまでも如実に伝えてくる。皮膚の薄いところも敏感なところも容赦なく撫で上げられて、カナの身体は微熱を患った時よりも熱く火照ってしまった。

 ようやく離れていく唇が艶っぽくていやらしい。荒い吐息を落ち着けながら抗議の眼差しを向けると、眉尻を下げ反省の色を見せながらも、抑えられない熱を孕んだ琥珀色に自身の姿が映っている。


「そう言うのじゃないって分かってるくせに……」

「……ごめん」

「また熱出ちゃうわ」

「………………ごめん」


 急に大人しくなった姿がなんだか可愛らしくて、カナは思わずクスクスと笑ってしまった。手を伸ばし、目の前でシュンとなった頬に触れる。親指でそっと彼の唇をなぞった。


「今日はないのかと思ってた……」

「我慢しようと思ったんだ……無理だったけど」

「アズ……」

「ん?」


 その先を紡ぐのが恥ずかしくて目が泳ぐ。頬に添えた手にアズベルトのそれが重なり、彼の唇が今度は手のひらに押しつけられた。

 長いまつ毛が伏せられるのを見ながら、察してくれないかしらと思う。

 わざとちゅっと音を立てて唇を離すと、「何?」なんて首を傾げてくる。その表情が悪戯を目論む子供のようで、絶対分かってる顔だと思った。どうしても言わせたいらしい。


「……もう……少し、だけ……」

「ん」

「……その……」

「なに?」


 伝えようと思うとものすごく恥ずかしい。身体も熱いままだけど、頬はもっと熱い。それでも自分の欲求を抑える事が出来なかった。


「……キス、して……」


 僅かに開かれた瞳を嬉しそうに細め、アズベルトがゆっくり顔を寄せてくる。吐息を感じて目を閉じれば、今度は優しいキスが落ちてきた。

 離してほしくなくて、彼の首へと腕を絡める。それに応えるように、アズベルトの腕がカナの身体を優しく締め付けた。

 この時間が続けば良いのになんて思いながら、カナは絡めた腕にほんの少しだけ力を込めた。

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