お休み二日目の朝は、超絶イケメンのドアップから始まった。


「!!!?」


 声を上げそうになって何とか堪えた。幸いアズベルトはまだ眠っているようだ。起こさずに済んだ事に安堵し、寝起きから爆動している心臓の辺りを押さえた。せっかく元気になって来たのに寿命が縮んでしまうのではなかろうか。そんな不安を考えつつ、まだ寝息を立てている彼を見つめた。


 キレイな人……


 陶器のような滑らかな肌に長い睫毛、スッキリとした顎のラインに薄めの唇。少しばかりはだけた夜着の隙間から覗く逞しい首筋から鎖骨にかけては、もう高校の美術室に置いてあった石膏像の如きそれである。童話の中以外にこんな完璧な王子様が実現したんだぁと、色っぽい溜め息が思わず漏れ出てしまいそうな造形美に魅入られてしまう。そんな人と同じベッドにいる……。いまだにイケメン耐性のついていないカナにとっては、座に堪えない状況であった。

 僅かに身動きしたアズベルトの頬に落ちてきた髪を避けようと、カナがそっと手を伸ばした時だ。手首が掴まれ手のひらに彼の唇が押し付けられた。咄嗟の事に固まったカナの耳に、クスクスと僅かに喉を鳴らす笑い声が聞こえ、ようやくアズベルトが起きていたのだと気がついた。


「アズ……いつから起きてたの?」

「うーん、『キレイな人』からかな」


 ジロジロ見ていたのがバレていた。何なら心の声が漏れていた。恥ずかしすぎて掛布に隠れてしまいたかったのに、掴まれた手は離してもらえない。少しばかり意地の悪そうに口の端を上げると、彼が「おはよう、カナ」と、悪戯が成功した子供のようにクスリと笑って見せた。


 ……全く慣れる気がしない……


 このままでは本当に寿命が縮んでしまいそうだと本気で心配になりながら、カナは熱くなった自分の頬にちっとも冷たくない手のひらを押し当てた。




「今日は何をして過ごそうか」


 付き合いたての恋人同士のように、ベッドの中でゴロゴロしながらアズベルトが訊ねてくる。実際には付き合いたてどころか、会ってまだひと月程で、しかももう婚約していて式まであと二ヶ月あまりと、非現実的な状況なのだが。

 ただ、お互いを認識した時の衝撃と状況を思えば、こんな風に砕けた言動をもらえるようになった事が、カナには少し嬉しくて少しくすぐったい。


 せっかく自分の為に時間を割いてくれているのだから、有意義な時間にしたい。その中でも出来ることはやはり限られてしまう為、それなら自分という人間を知ってもらえる何かが良い。


「泉の近くに敷物を敷いて、外でお茶するのはどう? きっと気持ちがいいと思うわ」

「いいね。そうしようか」

「あの……私がお菓子を作ってもいい?」

「もちろん。楽しみだな」


 どんな反応をされるかとドキドキしたが、返って来た返事は快諾だった。そう言ってくれるような気はしていたが、いざそうなるとやはり嬉しい。「じゃあ早速準備する」と、起きあがろうとしたカナの腹部に逞しい腕が絡みついた。そのままベッドに逆戻りさせられると、背中からすっぽり包まれてしまった。アズベルトの体温が後ろから伝わってきて、やっとおさまって来たところだった鼓動が再び激しく鳴り出した。


「あっ……アズ!?」

「まだ起きるには早い時間だ。もう少しゆっくりしてからでも良いだろう」


 あの夜以降、アズベルトは積極的にコミュニケーションを取ろうとしてくれている。恐らくカナリアの想いや未練なんかを全て受け入れようとしているのか、はたまた自身が果たせなかった事を今度こそはと考えたのかもしれない。明らかに様子が変わった事からも、あの夜のカナのように彼もまた覚悟を決めたのだろう。……なのだろうが……


 心臓に悪すぎて本当に寿命が縮んでしまいそうだわ。


 背中越しのアズベルトにも伝わってしまいそうな鼓動に胸を押さえつけながら、火照った身体をどうすることも出来ず、ただただ彼の胸の中で自分の鼓動を聞いていた。




 遅めの朝食を終えると、カナは早速キッチンへ立った。身に付けるエプロンは、以前サプライズを計画した時のものでは無く、アズベルトが別に用意してくれたものだった。ナタリーと一緒にキッチンに出入りしている事は知られていたが、まさかそこに立つ事を許可してくれただけでなく、新しいエプロンまで用意してくれているとは。これでカナリアがキッチンに出入りすることを主人であるアズベルトが許していると、暗に言っているようなものである。少々フリルが多い所は気にはなったが、クローゼットの中身といい、フォーミリオのお屋敷に勤めている使用人たちのカナリアへのイメージは良く分かったので、そこは心を殺して耐えようと思った。


 今日作ろうと思っているのはパウンドケーキだ。行程が混ぜて焼くだけなので比較的手頃に出来上がる。使う材料も粉類とバター、砂糖に卵とこれだけでも十分美味しく出来てしまうのだ。正確に計量出来る秤が無いので、カップで計り比率で配合した。プレーンタイプと紅茶の葉を細かく刻んだもの、カカオ豆を使用したものと、三種類作ってみた。

 何が驚いたかと言えば、お菓子作りの過程をアズベルトがずっと見ていた事だ。屋敷の主人と奥方が一緒に厨房にいるだなんて、こんな所を見られたらまずいのでは? と内心ドキドキである。


「アズ……そんなに見られると緊張するんだけど……」


 そんな風にはつゆとも思わなかったのか、彼は「ごめん」と爽やかな笑顔を少し歪めて謝意を伝えてくる。


「カナの手つきが驚く程鮮やかだったもので……つい見惚れてしまった」


 そういう小っ恥ずかしい事もさらっとスマートに言えてしまうのだ。

 使い慣れない調理器具が多く、うまくいくか心配だったが、出来上がった生地を型に流し入れ石窯のオーブンへとセットした。ナタリーと一緒に何回か使った事はあるが、この石窯もなかなか火力の調整が難しい。その為入れっぱなしの放置が出来ない。取り敢えずオーブンに入れられた事で一息ついたカナに、その様子を一緒に見ていたアズベルトが口を開いた。


「カナ。どうして材料を丁寧に計量したんだ?」

「え? お菓子を作る時は正確に分量を計るものでしょう?」

「そうなのか?」


 カナの当たり前が当たり前で無い事に驚き、同時に衝撃だった。


「粉が多すぎたり水分が多すぎたりすると固くなったり膨らまなかったり、味にムラが出来てしまうでしょう? いつも同じ味で同じように作る為にも、計ることは大事だと思うわ」

「そう、か……成程な」

「こちらは違うの?」

「詳しくはわからないが、計量という手順は省かれる事が多いと思う。熟練のコックはその家のレシピは全て手と目で記憶していると聞く。継承する場合も口伝が多いしな」


 世界が違えば、やり方も違うようだ。口伝が多いのは識字率なんかの問題もあるかもしれない。日本でもそういった例はあるだろうが、調理方法や材料などの多くはレシピとして記録に残る。カナの普段通りが、ここではボロを出すきっかけになり得るという事が分かっただけでも収穫だった。


「ごめんなさい、アズ。私、こちらの常識が良く分かってなくて……。次からは気を、つける……」

「そうか……常に同じように皆が作る事が出来れば……あるいは……」

 

 腕を組み何やら考え込んでしまっているが大丈夫だろうか。やはりお休みとはいえ全く仕事をしないというのは、もしかしたら彼の性分から難しいのかもしれない。それなら休める時にうんとリラックス出来るよう、美味しいお茶と茶菓子を用意してあげようと、カナは石窯の様子を見るためオーブンへと向かったのだった。




 お屋敷から少し歩いて木陰へ移動すると、草の茂る地面に敷物を敷き二人並んで座った。こちらからは見えないが、離れたところにはクーラとメイドが控えてくれている。彼らが用意をしてくれたティーポットで茶葉を蒸らしている間に、まだほんのり温かいパウンドケーキを切り分ける。ケーキの中に混ぜた茶葉とカカオのいい香りが、外がカリッと焼けた香ばしい匂いと共に広がった。

 一口かじったアズベルトが、驚きに瞳を丸くしてカナを見る。


「うん、美味しい。この甘さが紅茶の渋みとも良く合うな」

「良かった! 本当は一晩寝かせた方が味が馴染んでもっと美味しくなるんだけど、でも私は焼きたてのこのカリッていう食感も好きなの」

「確かに端の部分は歯触りが違うな。……これが更に美味しくなるなんて、お菓子は奥が深いんだな」


 ひとつふたつと、自分の作ったお菓子を堪能しながらお茶を楽しむアズベルトの姿を見て、カナはじんわりと心が満たされていくのを感じていた。胸が高鳴るのと同時に頬も熱い。作ったものを喜んでもらえるのは率直に嬉しかった。


「アズが甘いものを食べてくれる人で良かった。私もお菓子大好きなの。一緒に楽しめるのは嬉しいわ」

「じゃぁ、これからもお茶の時間は一緒に過ごすようにしよう」


 思ってもいなかった提案に、カナのカップを運ぶ手が止まった。同時に隣の彼を見上げる。こちらへ向けられた琥珀色は静かに甘さが含まれている。


「……いいの? でも……アズはお仕事忙しいでしょう?」

「毎日は難しいかもしれないが、取れる時は一緒に。……俺がそうしたい」


 鼓動が一際大きく鳴った気がした。目尻を緩く細めて注がれる眼差しが酷く優しい。なんだかそれだけで胸がいっぱいになってしまった。


「じゃぁ、そのためのお菓子は私が作りたい! アズがお茶の時間が待ち遠しくて仕方なくなるように、美味しいお菓子を作るから」

「それは楽しみだな。身体に無理のない範囲で、よろしく頼むよ」


 視線が交わると途端に空気が糖度を増した。アズベルトの大きな手が、カナの頬へと伸びてくる。優しくあやすように、労わるように、親指が頬の高い所を掠めていく。うるさいくらい心臓が鳴っているのに、こんなイケメンに見つめられて、恥ずかしくてたまらない筈なのに、彼の琥珀色の瞳から何故だか視線が逸せない。


 それがいつしか合図になった。二人にしか分からない秘密の合図。

 カナを見つめる琥珀色には、先程までにはなかった確かな熱が宿っている。その熱に当てられて上気している頬がますます熱を帯びた気がした。ゆっくり近付いてくる彼の琥珀に、自分だけが写っている。それを見上げたままそっと目を閉じた。

 彼がくれた口づけは、自分の作ったケーキよりもずっとずっと甘かった。

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