いくつものクロッシュが並んだダイニングのテーブルにつき、カナは帰りの遅いアズベルトをそわそわしながら待っていた。初めて手作りした夕食は、ナタリーにも手伝ってもらいながら皿に盛り付け、アズベルトの席とカナの席に用意してある。ナタリーの分ももちろんあるが、彼女が同じ食卓につく事は許されていない為、後ほど食べてくれるそうだ。いつもならとっくに帰って来ている時間なのに、今日に限って帰りが遅いのは、何かあったからではなかろうか。今日も護衛をつけるでもなく、一人で愛馬に乗って城へ向かった筈だ。元々城に勤めていた騎士だったとは聞いていた為、道中で物取りにあったなんて事は無いのだろうとは思うけれど。


 何か予期せぬ事態にでもなったのかしら。それとも友人との話が長引いているだけ?

 もしかして……本当に帰る方法が見つかったのかも……


 そう考えた途端に心臓の鼓動が大きくなった。胸の奥で脈打つ鼓動が色んな感情を揺り起こしてくる。健の元に帰れるかもしれない期待にぶるりと僅かに震えが起こり、同時に目の前で心配そうにこちらを伺うナタリーとの別れを寂しいとも思う。昨夜眠りにつくまで側にいてくれたアズベルトの穏やかな表情が瞼に浮かんだ。カナの手を包み込んだ大きな手はとても温かかった。少し前までは帰りたくて心細くてたまらなかったこの場所が、今離れてしまうには寂しいと思える場所になっていたのだ。



 その日、アズベルトが帰って来たのは、いつもの夕食の時間よりも二時間も後の事だった。席を立ち、そわそわとダイニングを歩きながら帰りを待っていたカナは、馬の嘶きと蹄の音を聞くなり玄関へと駆け出した。ナタリーが微笑ましそうに口元を緩め、その後へ続く。扉が開かれ入ってきたアズベルトにカナが駆け寄っていく。


「アズ! お帰りなさい」


「ああ、ただいま」


 ふわりと微笑むその顔に疲れの色が見えた。いつもならちゃんと目を見て言ってくれるのに、視線が一向に交わらない。そんな彼に僅かに違和感を覚えた。


「大丈夫? ……随分遅かったけど、何かあったの?」


 更に近づき彼を見上げた。さりげなく逸らされた目元が僅かに赤い気がしたが、きちんと確かめる前に上着を脱ぎながら後ろを向かれてしまった。


「遅れてすまない。少し長話しをしてしまった。夕食は?」


「これからよ。あのね! 今日のご飯は私が作ったのよ!」


「…え?」


 驚いた顔でこちらを振り返ったアズベルトの様子に、違和感はますます大きくなった。彼なら驚きはしても喜んでくれるような気がしていただけに、この反応は少しばかりショックだ。彼の表情が驚きから悲痛なものへと変わっていく。常とは明らかに違う様子に、カナの方が戸惑ってしまった。


「アズベルト様? 大丈夫ですか?」


 その場に立ち尽くしてしまったカナリアに代わってナタリーが上着を受け取る。ナタリーもいつもと明らかに違うアズベルトの様子に不安気な眼差しを向けている。


「あ、あぁ……大丈夫だ。待たせて悪かった。行こうか」


 アズベルトのエスコートでダイニングへ向かった。その後ろからナタリーが続く。テーブルにはいくつものクロッシュが並び、もうすでに配膳が済んでいた。カナがアズベルトの椅子を引き座る様に促す。アズベルトが席につくと、カナがナプキンを手渡した。


「調味料が全部は揃わなかったから、本来の味とは少し違うものもあるんだけど……」


 はにかみながらカナが席につきナタリーがクロッシュを開いていくと、いつもと様相の違う小皿がいくつも並んでいる。一人分ずつ小分けにされた色とりどりの小皿が綺麗に並び、中央にはメインの肉料理の乗った皿が、右手側には見た事のないスープが置かれている。黒いソースが絡んだメイン料理からは食欲のそそられるいい香りがしている。


「いつもの時間に合わせて作ったから冷めてしまったけど……」


「……本当にリアが? 全て作ったのか?」


 アズベルトは信じ難いといった様子で、側に控えるナタリーを見た。


「はい。全てカナリア様がお作りになりました。手際も良く、お上手で御座いました」


 ナタリーが見ていたのはほぼ仕上げの部分だったが手伝いはしていない。彼女自身見た事のない料理ばかりだった事もあるだろうが、カナの気持ちを汲んで見守る事にしたのだ。


「口に合うかわからないけど、良かったら食べてみて」


 席についたまま、カナはドキドキしながらアズベルトを伺った。カナの席にも同じものが用意されていたが、手をつけた形跡は無かった。随分遅くなったにも関わらず帰りを待っていたのかと、彼女の様子を見ながらアズベルトはフォークとナイフを手に取った。中央の皿に盛り付けられた美しく照り輝く肉へナイフを入れる。完璧な所作で一口大にカットするとそれを口へと含んだ。

 味わうように咀嚼するアズベルトをじっと見つめた。ゆっくりと味わい、嚥下すると、いつもの様にふわりと微笑む。しかしカナにはそんな彼が今に限っては別人の様に思えてしまった。


「……美味しいよ」


 本当に美味しい。ボリュームもあり、全体のバランスも、色味も良く考えられていて申し分ない。だからこそ、今までに食べたことの無い味付けや盛り付けに現実を突きつけられた気分だった。


「……君は本当に……もう、カナリアじゃないんだな」


「……え……」


 アズベルトのその発言は完全に無意識だった。昼間、久しぶりあった旧友に告げられた、決して直視出来ない事実に心を抉られ、とてもじゃないが相手を押し計れるような状態で無かったが故の無意識。アズベルトは自分がそれを言ったかどうかすら認識していなかった。

 カナはこちらと交わることの無い虚な瞳を愕然と見つめた。ポツリと零れ落ちる様に漏れ出たそれが、カナの心に確かな棘となってグサリと突き刺さる。


「……ごめ、なさ……わた、し……そんなつもりじゃ……」


 そうか……

 私は……二人を、ずっと……傷付けてたんだ……


 ガタンと言う椅子を引く音でアズベルトがハッと我に返った。その場に立ち上がったカナの頬には涙の筋が出来ている。驚愕と悲しみに歪んだ表情が、悲しみにくれるアズベルトの胸を更に痛めつけた。


「いや、違う! 今のは――」


 慌てて視線を上げたアズベルトが何か言っていたが、それはもうカナの耳には届かなかった。


 二人に感謝を伝えたかっただけだった。常に手を貸してもらわなければならない事が申し訳なくて、出来ることを自分でしたかっただけ。出来ることがどんどん増えていくのが嬉しかったから、それを一緒に喜んで欲しかっただけ。二人なら喜んでくれると、何故かそう思っていたのだ。


 私がしてた事は、全部二人を傷付けて……苦しめていただけだったんだ。


 唐突にそれが分かってしまい、カナは顔を上げる事が出来なくなってしまった。二人の顔を見るのがどうしようもなく怖くなってしまったのだ。


「ただ……二人に、喜んでもらいたかったの。それだけで……本当に、ごめんなさい!!」


 それしか言えなかった。ポロポロと零れる涙を拭い切れないままダイニングを飛び出した。


「「リア!!」」


 中央階段を息切れもせずに駆け上がり自室へと駆け込んだ。暗い部屋に一人になると急に孤独感が押し寄せ涙がますます溢れてくる。


「……うぅ……っ……あぁぁっ……」


 そのままベッドへ倒れ込むと、掛布を両手で握り締め、感情を抑えられない子供のように声を上げて泣いた。

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