欠けているのは
山田ツクエ
(1)
中学生にとってマクドナルドというのは生活に欠かせない空間だ。ハンバーガーと飲み物であわせて300円もしないし、金欠でも気軽に通える。ある程度なら長居しても文句を言われないので、誰かと駄弁ったり自習するためにも使える。
うちの学校の近くにもマクドナルドがあり、部活後の休憩なのか、塾に行く前の腹ごしらえなのか、単にダラダラしているだけなのか、いつ行っても同じ制服の奴らがたむろしている。かくいう俺も、家に帰りたくない気分の時、コーヒー一杯分の時間だけ滞在して、スマホをいじったり宿題を進めたりしてから帰ることもある。だから俺と同じ中学の生徒にとって、マクドナルドは身近な空間だと思っていた。
だが、
「なんか臭くないですか」
峰岡が生まれて初めてマクドナルドに入店した際の第一声がこれだった。確かに、マクドナルドの店内ってなんか独特の匂いするんだけど、だからと言って店内で大きな声で言うのは良くないだろう。入り口近くにいた先客が訝しげにこちらを見てきたので、俺は大慌てで質問するふりをしてフォローを入れた。
「マ……マクドナルド、初めてなんだっけ?」
「はい。親が、身体に悪いから行っちゃダメの一点張りで……今も何だか悪いことをしてる気がしてます」
峰岡は少し緊張したような声で答えた。ショートボブの後れ毛が揺れ、大きな目が俺をじっと見上げた。そんな覚悟を持って来るような場所では無いんだけどな。
ところで峰岡は同じ中学の同級生だ。見た目の可憐さからは想像がつかないほど頭のキレるやつで、学校の中で面倒事に巻き込まれたときに何度か助けてもらった。箱入りで育ったお嬢様だとは聞いていたけど、まさかマクドナルドにすら行ったことがなかったとは。庶民の男がいいとこ育ちのお嬢様に買い食いを教えるっていうのは……あれだな、『ローマの休日』みたいで、悪くない。
で、なぜ俺が峰岡とマクドナルドに来ているかというと、別に示し合わせたわけではなく、成り行きで起きたことだった。放課後、商店街の方に向かっていると、帰宅中の峰岡に偶然遭遇した。挨拶がてらこれからマクドナルドにコーヒーを飲みに行くことを漏らすと、行ったことがないので連れて行ってほしいと言い出したのだ。美少女を侍らせてマクドナルドに行くという体験は、常人がなかなか経験できるものではないので、俺は二つ返事で許諾した。
この店は平日の夕方はいつも混んでいる。入店した時点で俺たちの前に3組は並んでいて、列に並んで注文を待っているとみるみるうちに後ろに4組ほど並んだ。俺と峰岡は壁にかけられたメニュー表を眺めながら列が進むのを待った。峰岡は周囲をきょろきょろと見渡したあと、おずおずと声を発した。
「何を注文すれば良いかわからないんですが、木下くんのおすすめはありますか」
「そうだな。学校帰りに来る時は、家に帰れば晩御飯があるから、いつもコーヒーだけ頼んでる。甘いのがよければ、普通のジュースもあるけど、ここでしか飲めないものを頼みたければマックシェイクじゃないか」
「なるほど。夕食は家で用意してもらっているので、飲みものだけがいいですね……てっきり、食べ物も同時に頼まないといけない場所なんだと思ってました」
「その辺うるさくないからマクドナルドは人気なんだよ」
「なるほど……では、私はバニラシェイクにします」
峰岡はメニュー表を読みながら、スクールバッグから大きめのがま口の財布を取り出した。そういえば峰岡の財布初めて見たな。よく知らないけど、北欧風というやつかな。白地に黒で花が描かれた小洒落たデザインのものだ。対する俺の財布は、どこだったかの土産物屋で500円で買った、フェイクレザーの折りたたみ財布で、おしゃれもへったくれもないものだ。なんだか恥ずかしくなってしまい、俺は自分の財布を見えないように峰岡と反対側の手で持った。
「注文はどうやるんですか」
「そこのレジのあるカウンターで注文するだろ。すると、番号が印字されたレシートを貰える。注文したものが出来上がると、番号で呼び出されるから、あっちの受け取りウンターから受け取る」
「へぇ、効率的な仕組みですね」
峰岡は本当に感嘆したような声を挙げた。外国人観光客に日本文化を紹介している気持ちになってきたな。でもマクドナルドは日本文化ではないか。
「ここのマクドナルドはちょっと設備が古いから、声で呼ばれるんだよ。液晶ディスプレイに数字が表示されたりするのも、他の店で見たことあるけど」
「確かに、色々と、ちょっと年季が入ってますね」
そう言って峰岡は床を見つめた。タイルのような床で、掃除はされているとは思うのだが、油が染み込んで粘ついているように感じられる。確か、俺が物心ついてから初めて連れて行ってもらったマクドナルドがここで、その時からずっと内装が変わっていないから、おおよそ10年近くはこの感じでやってることになるな。
ようやく俺達が注文する番となった。店内飲食であることと、別々の会計であることを告げ、俺が100円のコーヒーを、峰岡が120円のバニラシェイクを注文した。別々にレシートが発行され、俺のレシートには128番、峰岡のレシートには129番と印字されていた。
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