第三話 砕け散った涙

 四月二十一日、黄金弁財天美術館から世界最大のエメラルド「貴婦人の涙」が消えてから十日日。

 探偵・あずまとしゆきは、美術館の屋上に来ていた。

 「東さん、こんなところに証拠があるんですか?」

 そばにいるのは、特に役職も持たないただの一従業員。

 「ちゃんとたかしさんとか、他の従業員には知られてないっすよね?」

 「それはまあ、しっかり隠し通しましたけど……」

 現在午前十時、東は身分を隠して美術館へ来ていた。彼の象徴である全身黄色のジャージもまとわず、守銭奴の彼に似つかわしくない一般的な服、ポロシャツにジーンズを着ていた。

 「一つ、確認したいことがあって……」

と、東は急に歩き出した。

 「ちょっと、どこ行くんですか?」

 従業員が追いかける。

 東が向かう先は、貯水タンクだった。

 「貯水タンク……? それがどうしたっていうんですか」

 東は従業員の話に耳を傾けず、貯水タンクの梯子を上っていく。

 「ちょっと、東さん!?」

 東の行動が理解できず、従業員は困惑する。

 東はしばらく貯水タンクのてっぺんで、何かを考えていたようだったが、すぐに下りてきた。

 「すみません……鍵持ってきてくれないっすか?」


 従業員が鍵を持ってきた。

 「じゃ、気を取り直して……」

 東は鍵を手に取ると、貯水タンクの蓋を開けた。

 それから肩に勝てていたカバンから何やら板を取り出し、その板を通してタンクの中をのぞいている。

 (何してるんだろう……)と、従業員が眺めていると、突然東が

 「やった! あった! やっぱりあったぞ!!」

と騒ぎ始めた。

 「ちょっとお姉さん、見てみてくださいっすよ!」

と、歓喜に満ちた顔で手招きしている。

 疑いの気持ちを持ちながらその従業員が梯子を上り、東が持っている板越しにタンクの中をのぞいてみると、

「こ、これは……!」

 従業員は思わず息をのんだ。


 そこにあったのは、バラバラに四散した緑色の物体だった。

 「『貴婦人の涙』……!! なんでこんなところに!!?」

 「なんでって、犯人が入れたに決まってるっしょ」

 「そうじゃなくて……なんでここにあるってわかったんですか?」

 「それはまあ、今日の犯人発表会で話すんで、楽しみにしていてくださいっす!」

 「えー!? 今教えてくださいよ、気になります!」

 従業員も譲らず、教える・教えないの押し問答になったが、結局この場でなぜ「貴婦人の涙」が貯水タンクの中にあったのかは明かされなかった。

 「そんでもって、あの警備会社に話を聞いてきたっす。『弊社の警備員は警備システムに干渉する権限を持っていない』っていう言質は取ったっすよ」

 「それ、昨日言えばよかったじゃないですか……」

 「昨日言ったら面白くないっしょ?」

 そんな理由でしゃべらなかったのか……と、従業員は呆れた。

 そして東は、

「とにかく、貴婦人の涙の居場所を突き止めたんで、僕はいったん帰るっす。このことは他言無用っすよ?」

と、荷物をまとめてそそくさと帰ってしまった。

 「……変な人」

 従業員は東の後姿を見ながらつぶやいた。



 そして同日二十時、ついにこの時がやってきた。

 かつて「貴婦人の涙」があった空のショーケースを前に、東がスピーチを始めた。

 「本日はお集まりいただきありがとうっす。皆さんお待ちかね、『貴婦人の涙』盗難事件の犯人を発表するっす!」

 集められたのは、おおたけ親子、従業員全員、みずぬま警視以下何名かの警察官。

 全員揃っていることを確認して、東が説明を開始する。

 「まずっすね、どのように『貴婦人の涙』が盗まれたのかについてお話しするっす。昨日言った通り、『貴婦人の涙』が盗まれたのは、四月十一日の午後八時から十二時、従業員が退散してから警備員が入るまでの四時間の間っす。その間に美術館内にいたって言う人ー、手ぇあげて!!」

と、自らの右腕を高々と掲げる。

 小学一年生の授業のような雰囲気を作り出した東に周りの人間はついていけなかったが、おずおずと手を挙げる者が二人。

 大竹親子だ。

 東は

「そっすよねー、八時からは従業員は入っちゃダメっすもんねー」

と、うなずきながらしゃべる。

 「とすると、この二人のどちらかが犯人ということか!?」

 水沼が反応する。

 「ええ、そういうことっすね」

 東はそっけなく答えた。

 「待ってくれたまえ、私か息子のどちらかが犯人だというのか? 『貴婦人の涙』はもともと我々の所有物だ。我々には動機がない!」

 「そうですよ、わざわざ私たちがこんな騒ぎを起こすわけないじゃないですか!」

 親子は必死に反論したが、東は全く動じない。

 「それは違うでしょ? 『貴婦人の涙』は美術館の所有物で、館長さんの所有物ではあるっすけど、?」

 隆の所有物じゃない。その台詞を聞いた隆は激しく動揺した。

 「ま、まさか! 私が犯人だって言うんですか!? ふざけないでください!! 私は美術館館長の息子ですよ!!?」

 「隆さん、僕はあなたが犯人とは一言も言ってないっすからね?」

 東は呆れた目で隆をガン見していた。水沼や他の警官・従業員、果ては父親のひろしすら我が子を不審な目で見ていた。隆は思わず口を手で塞いで青ざめた。

 東はさらに続ける。

 「あのね隆さん、僕ずっと気になってたんすよ。昨日の調査の時からずっとっす。なんで僕が何か言うたびに過剰反応するっすか? するためっすか?」

 「え? 犯人でないことをアピールって……」

 東と屋上に来ていた女性従業員がつぶやく。

 「……犯行の解説に戻るっす。午後九時四十分、大竹さんたちは自宅に帰ってるっすね?」

 「え、東君なぜそれを……」

 博が疑問を投げかけた。

 「なんでって、僕、この前奥さんに聞いてきたっす」

 「奥さんって……はなに聞いたのか!? いつの間に!?」

 親子は相当驚いていた。

 「その時、犯人は行動に出たっす。館長さんの飲み物か何かに睡眠薬を混ぜて、両親が寝ているその隙にこっそり家を出たっす。そんで後は警備システムをオフにして、ショーケースをどけて『貴婦人の涙』ボッシュート! って感じっす」

 「ちょっと待て、だと? ということはやはり……」

 水沼もまた、真実に到達せんとしていた。


 「そうっす。この事件の犯人は、なんとびっくり! 当の美術館の御曹司だったってオチっす!」

 東は自信たっぷりに隆を指さした。

 「馬鹿なっ!! ふざけるな!! 私が犯人なわけないだろう!!」

 隆は怒りと動揺で、敬語が崩れるほど我を忘れかけていた。

 「そもそも、睡眠薬を飲ませたという証拠は!!? 父は不眠なんだ、睡眠薬なんて何か月も飲んでいるんだから、今更睡眠薬が事件に影響するはずなどない!!!」

 烈火のごとく怒り狂う隆であるが、東は冷静さをとどめる。

 「そんなことはないっすよ。花子さんに聞いた話っすけど、あの夜は明らかに館長さんの眠りが深かったそうっす。いつも適量の睡眠薬を使用しても眠りが浅いほど、重度の不眠症に苦しんでたのにっすよ? 揺り動かしても起きないなんておかしいっしょ」

 「そ、それは母の思い過ごしかもしれないじゃないか!」

 と隆が反論するも、

 「いや、あの夜はよく眠れたぞ。せっかくミケランジェロと対談する夢を見とったのに、急に起こされたと思ったら、まさか警察が来とるとは……」

 自分の隣に当事者がいたことにより、隆は墓穴を一つ掘る結果となる。

 しかし、それでも隆は自らの潔白を主張するつもりである。

 「そ、それじゃあ睡眠薬を飲ませたという証拠はどこにあるんだ!!?」

 「館長さん、この薬の箱、見おぼえないっすよね?」

 東がカバンから取り出したのは市販の睡眠導入剤の空箱。昨日東が大竹邸のゴミ箱からかっさらってきた物だ。勿論博は見覚えがない。眠剤はいつも病院で処方してもらっていることは、昨日隆から聞いた話を水沼から聞いたので既に知っている(前話参照)。

 「だったら……私が『貴婦人の涙』を盗んだという証拠は!? 私が営業時間外に美術館に侵入し、ショーケースを割って『貴婦人の涙』を盗んだという証拠は!? どこにある!! そして『貴婦人の涙』そのものはどこにあるんだ!!」

 隆の怒りはもはやとどまることをを知らない。

 しかし、これには水沼も

 「そうだぞ東、結局のところ、『貴婦人の涙』が見つからない以上、警察は隆氏を逮捕することはできん」

と付け加える。

 「それについても心配いらないっす」

と、東はまたカバンから数点何かを取り出して、水沼に手渡した。

 「これは?」

 「隆さんの犯行が写っている監視カメラの映像っす」

 「カメラの映像なら、既に美術館側から提供されているが……」

 「ああ、あれは証拠にしちゃダメっすよ? 捏造されたものっすからね」

 「なんだって!!」

 今日何度目かの東の衝撃的発言に、水沼はまるでWIN5が的中したような驚きを見せた。そして美術館員の多くが顔を青くした。

 「ちょっと皆さん? どうしちゃったんですか?」

 ただ一人、東を「変な人」呼ばわりしたあの従業員を除いて。

 「あ、東さん……それは言わない約束だったじゃないですか!」

 従業員の一人が声を上げる。

 「そうだそうだ!!」

 「裏切者め!!」

 草原に火を放ったがごとく、東を非難するシュプレヒコールが拡散する。

 「東、これはどういうことだ?」

 水沼が怪訝そうに話す。

 「ここの従業員達、一人を除いて隆さんから賄賂をもらってたんすよ。具体的には一人十万円。それでカメラの映像を工作して、現場検証でもできるだけ隆さんの邪魔しないようにだんまりって訳っすね」

 「ちょっと待て、じゃあなんでお前は賄賂の額まで知ってたんだ?」

 「なんでって、隆さんが犯人であると当たりをつけた時に、じゃあ従業員には一人にもバレてないのかって思って調べたら、まさかの一人除いて全員グルだったってだけっすよ。その一人も風邪か何かで欠勤してなかったら犯行に加担してたかもしれないっすね。グル職員には一人五十万渡して、捏造前の映像を提出させたっす」

 「それで裏切り者呼ばわりか……」

 水沼は納得したようだったが、賄賂をもらった従業員たちは止まらない。

 「ふざけるな!! 俺たちは罪に問われないようにするって約束しただろう!!」

 彼らは口々に東に対する罵倒を浴びせた。


 「うるさいっすよ」

 喧々囂々の騒音の中、誰の耳にもはっきり届くような、鋭い声だった。

 東の顔が、普段の彼からは想像できない冷淡な表情をしていた。

 「あんたら犯罪者に僕は一切味方しないっすから。それにアンタらをかばったら僕も犯罪者になるっすよ? 大体世界的文化の発信源であるこの黄金弁才天美術館の職員ともあろう者が、世界的にも無類な価値を持つ『貴婦人の涙』がこんなことになっちゃったってのに何とも思わないんすか? 恥を知ってくださいっす」

と、満を持して貯水タンクの中に入れられたバラバラの「貴婦人の涙」の画像を全員に見せつけた。

 「あああああ!!! 儂の!! 儂の大事な『貴婦人の涙』あああああああああああああ!!!」

 博はすごい形相でその画像をひったくると、我が子の亡骸を胸に抱いた母のように激しく泣いた。

 隆は、膝をついて天井を見上げ、何も思っていなかった。



第四話 涙の痕は乾かない に続く

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