第29話 あなたが生まれた日の気持ち
「そんな……。死んでしまうなんて……」
ある晴れた日の朝。
俺は宿屋の前で、ひとり、涙を流してうずくまっていた。
「こんな事って……あるのかよ……ッ!」
予兆はあった。
……考えてみれば、いつ終わっても、おかしくない状態だったんだ。
動いていた事が、奇跡だったほどに。
それでも限界すれすれで、俺たちの為に頑張ってくれた。
その恩に報いる方法があるとすれば――笑顔で、見送ってあげる事だろう。
「……ありがとう、俺のスマホ。……さようなら、お気に入りの耳舐めASMR……」
俺はウンともスンとも言わなくなったスマホを後生大事に抱えながら、じいちゃんのハゲ頭のように晴れ渡る空を見上げて涙する。
……スマホの充電がついに、お亡くなりになってしまった。
あれがないとなかなか寝付けないが……俺はきっと、君のいない世界でも生きてみせるよ……!
「……何をやってるんだ? クロエくん……」
ブランさんが呆れた表情でやって来た。
……なにやら物凄い量のトレーニング道具を担いでいる気がするが、まさか今から俺に使わせるつもりで持ってるんじゃないよな?
「そういやファントムを倒した後、助けた悪魔達から気になる事を言われたんだよな……」
とにかく妙な展開にならないよう話を逸らすため、俺は過去回想パートへの突入を試みる。
「ほわんほわんほわん……」
「突然どうしたクロエくん」
セルフBGMを口ずさむ俺を訝しんでるが、過去回想パートにさえ入っちまえばこっちのもんだ。
「『――魔物使い。クロエ・ユキテルと言ったな。なぜ敵である我々を助けた』」
「クロエくん。なぜ一言一句漏らさずあの時の台詞を再現できるんだ。相変わらず意味不明な特技で恐怖を覚えるぞ」
「『――悪魔は等価的な契約を重んじる種族だ。言い換えるなら、“借り”を作ったままにはしない。……この恩、いつか必ず返しにゆこう』」
「……と思ったが、手元の紙をチラチラと見てるな。ひょっとして完全には暗記できなかったのか?」
――カンペを読みながらも、俺は過去回想パートへの突入に成功できた。
■□■
※過去回想パート
「エッチなお礼とかありますか?」
「おい」
ブランさんのツッコミでたんこぶが出来るが、そんなの今は気にならねぇ。
俺にとっては大事なことなんだよ!
「俺はな……! 助けた相手からの、『お礼は身体で払うわ♡』みたいなのが欲しいんだッ!」
「分かった♂」
「この身体♂」
「好きにするがいい♂」
「♂付いてる奴は除外な」
セクシーポーズをとる男性悪魔たちを、俺は虚無の瞳で見下ろした。
※過去回想終わり
■□■
……その後、結局女性悪魔からのエッチなお礼は貰えず、いつになるかも分からん「いずれ借りは返す」的な流れで彼等は去っていった。
おっちゃんやユノリアにとっては、悪魔を見逃すのに少し抵抗もあったようだが……。
……流石に、戦意を失った相手を追うのは後味が悪い。
「しっかし、納得いかないよなぁ。せっかくファントムを倒したのに、特別な報酬は一切無いなんて」
「考えてみれば、だ。人間の世界に紛れ込んでいたのだから、そもそも討伐対象として認知されていなかったんだな」
今回の悪魔騒ぎは、事態鎮圧に向けて戦ったすべての冒険者が功労の報酬を受け取っており、英雄的な扱いを受ける個人はいなかった。
まあボスを倒したのは俺たち(主にブランさん)とは言え、街中で暴れ回っていた大量の悪魔をずっと抑えていたのは他の冒険者の皆さんだから、功績に優劣はなしって扱いか。
いまいち釈然としないが……直接倒したブランさんが何も言わないなら、俺もこの件は忘れ――られるかボケェ!!
「ファントムはまだしもジャック討伐の報酬すら無いってどういう事だよ! “始まりの街スタール”で観測された『天を裂く雷霆の光刃』の正体はブランさんの一撃だって、今回の件ではっきりしたじゃねぇか!」
「……まあ、ギルドにも何か思惑があるんだろう」
うーん。
まあ、俺はあんまり活躍しなかったとはいえ、頑張ったのに褒められないってのは溜飲がなぁ……。
「――ユノリアちゃんの事があるからね。この街のギルドも、あまり目立ちたくはないのさ」
そう言って俺たちの前に現れたのは――。
「シルヴァのおっちゃん! それにユノリアも!」
「……二人とも、もう動いても大丈夫なのか?」
包帯でぐるぐる巻きのシルヴァのおっちゃんに連れられて、いつもの修道服に身を包んだユノリアが、恥ずかしそうにお辞儀した。
「――わたしは、それほど外傷がありませんでしたので」
「まあ、だいたいはねぇ。一応、冒険者活動はまだ休むように言われてるけど――」
……そのまま、おっちゃんは困惑したように俺を見た。
「……と言うか、クロエちゃんもそれなりの大怪我を負っていた筈だけど、なんでピンピンしてるの?」
「食って寝て起きたら治った」
真顔で頷く俺と共に、隣に立つブランさんが腕を組んで首肯する。
「ああ。実は『大怪我した状態でも90万回できる筋トレ』を紹介しようとしていたのだが……」
「気合で治した」
俺は再び真顔で頷いた。
なぜと言われても、治さなければ死ぬからだ。
「……その。クロエ様」
「……ん?」
ユノリアが修道服のベールで目元を隠しながら、おずおずと歩み寄ってきた。
そして、緊張を誤魔化すように、小さく息を吸って吐くのを繰り返した後――。
「……駄目ですね、わたし。お礼の言葉は何通りも考えてきましたのに、いざクロエ様を前にすると……何を言って良いのかわかりません」
そのまま、手を前へ組んだ姿勢で、目元へ垂れ下がるベールから緋色の瞳を覗かせる。
……その眼は、どこか緊張で潤んでいるようにも見えて。
少しずつ彼女の感情が戻ってきているようにも見て取れた。
「そうだなぁ。……じゃ、まずは顔を上げてくれよ。別に罵倒でもなんでもいいから、ユノリアの元気になった姿を見せてくれ。
前に言ったろ? ユノリアは俺に辛辣な事を言ってる方が元気よく見えて好きだって」
「…………そうですね。わたしは戦闘中にかばっていただいた時の真面目なクロエ様が好きだと申し上げましたが……」
そのままベールの中から上目で俺を一瞬だけ見つめ、祈るような仕草で両手をきゅっと引き締めた。
「……今のおちゃらけたあなたも、わたしは素敵だと思うようになりました」
「……お、おう――」
な、なんだこれ。
不覚にも今の台詞と仕草にドキっとしてしまったって言うか……。
……ユノリアは天然な所があるし、たらし属性もあるのかもしれない。
「――クロエ様。わたし、きちんと目を合わせてあなたにお礼を申し上げたいのに。……怖くて、顔が上がりません。クロエ様、…………その。恐縮ですが……わたしの……ベールを……、……持ち上げてくださいますか……」
「……え? まあいいけど……」
「重ねて申し訳ありません。……少し、屈んでいただけますか……」
「こうか?」
「そのまま……もう少し……」
「注文の多い料理店かな?」
いや、それだと俺は食われるな。物理的に。
苦笑いしながらもユノリアに近づき、彼女はそのまま、ひょいと上げたベールの中から――。
「……どんなにお礼をしても足りません……から……その……」
……艶がかった唇が、俺の頬から離された。
そのままフリーズする俺。
「…………」
――えっ。
…………えっ。
…………えっっっっっっ!?
……………………俺、いま何された?
「…………お。お気に、……召しませんでした……でしょうか…………」
…………。
………………。
…………今の。
ブランさんとシルヴァのおっちゃんからは、死角になってたよな?
二人は気づいてないよな?
「……そ、その……クロエ様。……わたし、……わたしは――」
「ユノリア」
俺は穏やかに微笑むと。
そのままぷるぷると震えながら、ユノリアの肩へそっと手を置いて。
「……言え。何が望みだ」
「………………え」
「こんな事がバレたら、俺は娘好き好き大好きモンスターなシルヴァのおっちゃんに、間違いなく殺されるだろう。それとも事前にシルヴァのおっちゃんは知っていたのか?」
全身汗だくになりながら、恐怖に怯えて震える俺。
「それは……存じておられない筈ですが……」
「つまり。殺されたくなければ要求を飲めと言いたいんだな? いったい俺に何をさせるつもりなんだ」
「…………は?」
「…………ていうか本当にシルヴァさんにはバレてないよな? ユノリア……恐ろしい子……。……さあ、望みを言ってくれ……」
「…………では、その錆びついたなまくらのように鈍いお心を鍛え直してください」
「ふっ……どうやらブランさんの地獄の筋トレ生活24時から逃げるなって言いたいのか。回りくどくとも、友達の俺が強くなる為にひと肌脱いでくれたんだな……」
「……もうそれでいいです」
――何故だろう。
ユノリアだけでなく、例えるなら演劇の観客席のような場所から、俺を冷ややかに眺める視線やら罵倒やらブーイングを感じるのは。
そしてどこからともなく『クロエくんぶっ叩き棒フルチャージ! ☆をたくさん押して、クロエくんへの制裁パワーを高めよう!!』みたいなチャンスタイムが到来した気がする。
押すなよ。絶対に押すなよ。
「……クロエ様。どうやら“これ”は無効のようでしたので、代わりにどのようなお礼をお望みですか」
あっ。それとは別にお礼してくれんのか。
そうだな。何がいいだろう。
「……うーん。どうしてもお礼がしたいって言うなら……。……あの時着させられてた衣装ってまだ残ってる? あれかなりえっちだったし、今度また着てセクシーポーズ……」
殴られた。真顔で握りしめたクロエくんぶっ叩き棒で。
しかもなんか、たくさん発光していた気がする。
☆を押してチャージしてくれた皆!
……おぼえていろよなコラ。
「……クロエ様」
ユノリアは無表情のままクロエくんぶっ叩き棒を放り投げた後。
何事も無かったかのように、緋色の瞳で俺を見抜いた。
「どうやら“これ”は無効のようでしたので、代わりにどのようなお礼をお望みですか」
「あ。そこからやり直すのね」
俺はたんこぶをさすりながら苦笑いする。
……と、最後のやり取りだけは聞こえていたのか。
「クロエちゃん。口には気をつけなよ? ユノリアちゃんに何かあれば、おじさんのナイフがいくつも飛んでくるからね?」
笑ってるけど目がマジだ。
やっぱりあんた怖いよお父さん。
「……シルヴァ様。ちょうどいいので、その時は6人分くらいに切り分けてください。クロエ様が6人に増えるのは迷惑かもしれませんが、きっと楽しいと思います」
なんかユノリアから猟奇的な発言が飛んできた。
俺を6等分に切り分けて殺したいってのか!?
何故だ……?
俺、殺意を抱かせるような事した……。
……かも……、しれません……。
……はい。
「ブランさん……俺の墓は、女の子の着替えがよく見えそうな場所に……」
「……はあ、まったく。クロエくん。彼女の心が救われる際、何を言ったかもう――」
「――ブラン様。それ以上は」
「……分かった。……頑張りなさい。あれはきっと苦労するぞ?」
ブランさんはユノリアの背をポンと叩き、何か激励をしていた。
よく分からんが、たぶん「クロエ様かっこいい惚れましたぶちゅー」って感じの恋愛フラグが立ったな。
俺の勘はよく当たる。
これまでのストーリーを振り返っても、それは紛れもない事実……ッ!
……まあ冗談はさておき。
「それでシルヴァのおっちゃん。親子として、ユノリアと改めて話し合ったのか?」
その問いに、父と娘は互いに顔を見合わせてわずかに笑んだ。
……聞くだけ野暮だったな。
ユノリアは自身の首に下げたペンダントを開き、修復された絵を俺達に見せてくれる。
「シルヴァ様。わたしはこの通りの無愛想ですが、いつかこんな風……は恥ずかしいので、ふつうに笑った顔を、父親であるあなたにお見せしたいと思います。……それがわたしの、今の、生きる目的――“夢”です」
そう言って、(……できれば、大切な人と二人で)と、消え入りそうな声で、俯きながら付け加える彼女。
それに対しておっちゃんは――、
「もし大切な人が出来たら教えてね。……ナイフを研いでおくから――」
……と、黒い笑顔で武器を鳴らしながら答えるのだった。
はい。親バカ確定。
「……もし彼女と恋仲になる者がいたら、その人物は大変だろうな」
「だなー」
ブランさんが笑いながら俺を見てくるが、鼻ほじしながら他人事のように見つめる俺を見てさらに笑った。
あと汚いからやめなさいって言われた。
……しかしあれだな。
ユノリアほどの美少女に好かれるって事は、よほどのイケメンか、性格イケメンか。
……なんかムカついてきたぞ。
俺はいまだにハーレムの一人もいないってのに。
リア充死すべし!
もしそんな奴が現れたら、おっちゃんにやられてる様を見て嘲笑ってやるフハハハ!!
「シルヴァのおっちゃん。協力なら惜しまねぇぜ!」
「ありがとうクロエちゃん。心強いよ。その時はおじさんと二人でぶち殺してやろうね!」
「ああ!」
なんかブランさんがものすごく吹き出してるけど、そんなに面白いシーンだったか今の。
ユノリアは……駄目だ。
無表情で何考えてるか分からん。俺をジト目で見てくる事だけは察せられるんだが……。
「……それにしても親子、か」
俺は遠い目をしながら、真っ暗になったスマホの画面を見つめる。
……異世界に行く前、俺の両親へ送った別れのメッセージ。
「異世界行ってくる(笑)」と送った俺への返信は、「晩御飯までには帰ってくるのよ」というものだった。
――俺がいつものように帰宅するのを、少しも疑っていない親の気持ちに、少しながら胸がチクリとする。
「…………」
……もう見ることのできなくなったスマホをしまい、俺は少しの間考える。
女神メィチス様の話なら、魔王を倒せば、俺達は元の世界へ帰るか、この世界に残るか選択を迫られる。
ブランさん。ユノリア。シルヴァのおっちゃん。
――自分はいつか全て終われば、彼等と別れて帰るか、親を捨てて残るかを選択しなければならないのだろうか。
……それはまだまだ先の事だ。
今はまだ、深く考えるのはよしておこう。
それより、どうせ考えるなら楽しい方がいい。
もし元の世界に帰るとしたら……、そうだな。
両親へ、聞き終わるまで晩御飯を食べられなくなるような、手に汗握るドタバタ冒険活劇でも聞かせてやろう。
お前らの育てたアホ息子が、こんな感じに異世界で大迷惑をかけて帰ってきやがったんだと、今更ながらとんでもねぇ息子を育てちまった事を後悔させてやるぜ。
――さて。
これから異世界での生活が本格的に幕開けだ!
「……そういや、何か忘れてるような……」
俺が呟いたその時だった。
「――はーっはっは! リュパンツ・ザ・サートル見参! このおパンツは確かに頂いたで~!」
「さらばにごわす」
――どんがらがっしゃーん!
建物の窓を突き破り、すっかり存在の忘れていた下着泥棒たちが、颯爽と漫画走りで駆け抜けていった。
……一拍遅れたあと、俺とブランさんは慌ててその場から追いかける。
「――あいつらやりやがった! 良い感じの雰囲気で一件落着してた隙に本命の下着泥棒を完遂しやがったッ!?」
「くっ……! 追うぞクロエくん――あいたっ!?」
テイム状態でなかったブランさんは街の結界に弾かれてしまい、モタモタしてる間にリュパンツ達を取り逃がしてしまう!
「おじさんとユノリアちゃんは、まだ本調子じゃないから頑張ってね~」
「……申し訳ありません」
遠のいていく親子二人の声を背に、俺とブランさんは下着泥棒を追って駆け出した――!
「行くぜブランさん!」
「ああ。行こう、クロエくん」
□■□
「ねぇシルヴァちゃん」
「なんだよユテ」
「わたしのお父さん……この子にとってのおじいちゃんね? それはもう、見事にツルッパゲな人で……」
「はあ」
「……太陽の光を反射して、それはもう、鮮やかな緋色に輝くのよ。頭が」
ぷくく……と、思い出し笑いをするユテを見て、シルヴァは嘆息と共に、すやすやと眠る赤子を見つめる。
「世の中にはねぇ『同じ事を考える人が少なくとも二人以上いる』って、格言があるの。……つまり、わたしと同じように父親のハゲ頭をディスりながら愛する子供に語り聞かせる素敵な母親が……」
「いるわけねぇだろんな母親」
赤子はやがて目を覚まし、きゃっきゃっと笑いながら、大きな緋色の瞳を楽しそうに潤ませる。
「そうねぇ……。この子の瞳も緋色だし……スカーレットって名前でどうかしら?」
「そっ……そんなんでいいのか、子供の名前の付け方……」
「いいじゃないの。……少なくとも、由来は楽しい方がいいもの」
まさかの祖父のハゲ頭が由来の名前に決まってしまい、シルヴァは嘆くように頭を抱える。
「それよりシルヴァちゃん。笑顔の練習しなきゃ。いつまでもそんな顔じゃ、この子もシルヴァちゃんに笑いかけてくれないわよ?」
「笑顔って……どんな顔すりゃいいんだよ」
「そうねぇ……こんな顔!」
「……なんだその気持ち悪ぃくらい満面の笑みは。おれはぜってぇそんな顔やらねぇからな」
□■□
「……いい天気だな。……まるで、お前が生まれた日のようだ。スカーレット」
クロエたちの喧騒を見守りながら、シルヴァはユノリアの肩を抱いて、陽光が緋色に輝く青空を見上げる。
「……パパ。わたしが生まれた日は、どのような気持ちだったのですか?」
大好きな父の胸に身を預けながら問うユノリアに対し。
シルヴァはにんまりと、気持ち悪いくらい満面の笑みを浮かべて――。
「そうだねぇ……こんな顔!」
「…………ふふっ」
その笑みをみたユノリアは、人形のようだった表情を、僅かに……年相応に綻ばせたのだった。
「ところでクロエくん。ずっと気になっていたんだが――」
「なんだよブランさん」
「……クロエくんのお祖父様がハゲていたのなら、クロエくんも将来的にハゲる危険性があるのでは?」
「はっ……!?」
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