第46話 魔月、落涙
魔幻4020/5/25――、キョアン領で公式に導入されたアニェ暦の上では魔幻4020年5月18日。
皆が見上げる暗季の空に、涙を湛える月があった。
「あれが落涙ですか?」
「その前兆よな。魔月モンは些か厄介……数によっては大災となろう」
最西に浮かぶ魔月の蒼光が丸く滲んで一回り大きく見える。
「あれは何なんですか?」
「落涙じゃと言うに。よう見ておくがよい」
星の大気圏外に水が溢れるわけもなし、謎の怪現象を前にわたしの興味本位が溢れ出した。
「――抽出、成形、抽出、成形、抽出、成形、抽出、成形」
「またぞろと何を作っておる?」
「天体望遠鏡です。もっと良く見たいので」
「…………」
レンズを何枚も重ねて作った望遠鏡は即席の割には良い出来に仕上がった。
覗き込み、摘みをいじってピントを調節し、涙みたいに見えるソレの淵に焦点を合わせていく。
「ウニァ〜。キャッキャ!」
「コラ! 邪魔するなイニェス! 三脚に触らないで!」
「ウウ〜ッ! ウニャニャ――ッ!」
わたしは先々月からアニェス様の付き人として近隣の各地を巡り、凡愚どもが創り切れない時計塔を完成させて回っていた。今は一仕事を終えてヒョッコリーの街まで戻ってきたところである。
「サニアさんと遊んでてよ! ――成形!」
「……ウニャ? ニャア〜♪ 」
「また妙なオモチャを……仕方ありませんね。イニェス様、コチラで遊びましょう」
高速ハイハイが得意で何に対しても興味津々。とにかく邪魔なイニェスをスーパーボールで追い払い、わたしは天体観測を続行した。アニェス様の視線は痛いが敢えて気付かないフリをしておく。
「ん〜? 境界がヤケにくっきり……一体どうなって?」
日蝕で見たリングとよく似たアレを何と表現すればいいか、魔月の外縁からほんの少しだけ外側を包む膜のようなモノが現れている。
その膜が月光を屈折させているのか、たしかに月がうるうると涙ぐんでいるようにも見えるが、そんな文学的な言い訳で留めていいわけがない。
「おかしいって……絶対おかしい……」
そもそも宇宙空間を生身の生き物が越えてくるなんてあり得ない。いくら群れだろうが大きかろうが、こんな風に見えるはずもない。
わたしの予想では、転生神がなんかやってる。間違いないと思う。
「ん? アニェス様? アレ……左に寄ってませんか?」
「間もなく溢れるであろう」
「なんで真横に溢れるんですか? 涙っぽくないですよね?」
「落涙とは、そうしたものである故に」
魔月を包む変な膜の一部が東の方向へ膨らみ、やがて1滴の雫のように分離して竜月へ向かってゆっくり移動していく。あれじゃ魔月から竜月への落涙じゃないか。
魔月はいつも通りの姿に戻り、膜の雫は相変わらずクッキリと背景にある星や竜月を歪ませて――、
「――光の屈折。もしかして……重力レンズ?」
重力レンズとは、光源と観測者の間に分布する質量であり、その重力の効果により光を曲げる程度の質量規模のものをそのように呼ぶ。
恒星や銀河などが発する光の進行は進路上にある天体などの重力場の影響で曲がるため、光学レンズに似た効果を生じるのだが、こんな近距離で観測されるような現象ではない。
「極短期間だけ生じる局所的な重力場……自然現象じゃないとすると……」
転生神のチート能力なら可能だろうか?
他の天体から質量を引っ張ってくるなんて、たとえ『重力魔法』だとしても一体どれほどのMPを――、
「いや……違うか?」
魔法の所要MP計算の公式化は始めて早々に頓挫して久しい。
イメージという不明瞭なものをベースとした術理であるため、その変数を数値化できないからだが、[行使対象の質量]と[行使者からの距離]、少なくともこの2つの変数は必ず法則に含むと考えられる。
しかし、重力そのものを操るチート魔法の存在を失念していた。
物体の重さの大小それ自体が無意味となる『重力魔法』は質量を変数に置いたわたしの理論を真っ向から否定するものだ。今までの検証結果のすべてが間違いだったとは思わないが、転生神の理に特殊解を齎らす特異な魔法には違いない。
ありがちで単純な空想設定とは言え、ひょっとすると世界のルールすら破壊してしまうトンデモ能力なのではあるまいか。
「ちっ……そんなチートをポンと渡すなよ」
わたしの落涙仮説その1。
落涙は『重力魔法』を悪用した人災。大昔の転生者が始めて、子々孫々に渡って続けている……とか?
モンスターを内包した重力場は竜月を通り過ぎ、人月の手前で一時停止して、今度は徐々に大きくなってきた。
「……来よったぞ」
「あーあーあー……ヤバいヤバいヤバい」
ドンドン近づく落涙の雫はやがて人月よりも大きくなって、光を歪めるレンズの淵は見渡す限りの夜空に拡がり消失した。
「……降ってるぅ〜」
「これが落涙である」
後に残されたものはいつも通りの暗季の空と、ムンドゥスへと降り注ぐ無数の流星。その1つ1つが魔月モンと言うことか。
大気圏で燃え尽きることを祈ろう。
**********
サニア+イニェスと別れて戻った別邸には物々しい雰囲気が漂っていた。
運が良いのか悪いのか、8匹の魔月モンがピックミン王国領内に落ちたらしい。
「内2匹はキョアン領に。ピックミン王は通常どおり討伐命令を下したとのことです」
「感謝するイリア殿。こちらも鳩の急報を受けたが、教会の裏付けがあるなら間違いあるまい」
各地の祭壇塔を管理する教会司祭には落涙で降ったモンスターの行方を観測する役目があり、どの個体をどの国の責任で討伐するかを決定する権限もある。
それらの情報はすべての司祭に持たされている魔道具『テルル』を介して周知され、誰がどのように討伐するかは国主の決定に委ねられる。
「謀反してるのに命令されちゃうんですか?」
「落涙となれば否とは言えぬ。むしろ示威の機会と捉えよ」
「示威行為しちゃっていいですか?」
「そなたはならぬ。大人しくしておれ」
見たいな〜。魔月モン見てみたいなぁ〜。
防御が固くて隙が無いらしい魔月モンはオールラウンドに強いモンスターだと聞いている。攻撃魔法として主流な火魔法と風魔法の効きが悪く、弱点と言えば繁殖しないことくらいだとか。
「征くぞ! 出立っ!」
「「「「「えい! えい! おーっ!」」」」」
シグムントは馬上でカッコ付けてマントをぶわさぁっとやりながら出陣した。
本邸のあるマッコリー地方に駐留するキョアン軍本隊が西部の1匹を囲んで足止めし、シグムント率いる分隊が東ヒョッコリーの1匹を狩って返す刀で西へ急行する作戦。
キョアン軍はシグムントのワンマンアーミーなのかね?
魔月モンはいくつかの種に分類できるとの事で、場合によっては苦戦を強いられる。イリアの護衛を残して教会騎士も加勢するらしい。
「歩兵の足に合わせてえっちらおっちら……モヤモヤするなぁ〜」
「…………」
「アニェス様? そろそろ飛行機械「ならぬ」……むぅ」
魔幻4020年度のカレンダー写真は一昨年に撮り溜めたネガの焼き回しだし、そろそろ新しいショットが欲しいのだけど撮らせてくれない。
半透明ポリエステルの透け透けドレスをシグムントを介してプレゼントしても普段使いしてくれず、そのくせ受取り拒否はしなかったそうだから、わたしはクソ野郎の夜の営みを盛り上げる手伝いをしてしまっただけって事だ。
「アニェス様? そろそろ来年度のカレンダー製作委員会を立ち上げようと思います」
「…………」
「10万部も刷らなきゃいけないので新たなお写真を「ならぬ」……エッチゴーヤさんがうるさ「ならぬ」……むぅ」
樹海の要塞建設は着々と進んでいるが、最奥に作った防壁についても怒られた。せめて作ったことを報告しろと叱られた。
南から防壁(木柵)を延ばしていたカリギュラがそれに気付いたのは1ヶ月後だったとのことで、あまりにも激しすぎる落差にやる気を無くしたらしい。子供かと言ってやりたい。
そういうわけで、最近の
**********
10日後、朝日を浴びるシグムント分隊が意気揚々と帰ってきた。
暗季だったせいで索敵に難儀したらしく、やっと東の1匹を討伐して一時帰投したのだ。少し兵を休ませたら西へ向かうそうで、と言うことは西の本隊連中はまったくの役立たずか。
「…………へ?」
しかし、そんな事はどうでもいい。カレンダーのスケスケ微エロ写真もどうでもよくなった。
「はははははっ! どうだシキよ! 東はアリであったぞ!」
「お見事でございます御当主。しかし、鳩の報によれば西に落ちたのはカメムシとのことです」
「むっ? それは誠かレナード?」
「同じ報告が三度……間違いございません」
シグムントの後ろに続く歩兵たちが引く荷車には大きな節足が乗っかっている。それがモンスター討伐の証だとか――、
「何バカなこと言ってんだゴラァ――っ!」
「シ、シキ!? その言葉遣いは何事か!」
「本体は!? 足じゃなくて本体はどこ!?」
「そう案ずるな。アリはすべての足を落とせば死に体。埋めてしまえばそれでよいのだ」
魔月モン(アリ)の足は鈍色に光る金属製。明らかに攻殻〇動隊のタ〇コマ的な機械の足だった。
「ならぬシキ。優雅にせよ」
欲しい! 星屑ジャンクめっちゃ欲しい! 動力源は? まさかのアレか!?
「優雅に……シキ! そこに直れ!」
こうしちゃいられない。アニェス様がなんか言ってるけど聞こえない聞こえない。
「ニンニンジャー! 集合ぅ!」
「「「「へい、お嬢」」」」
兵役に駆り出されていたアニキン、レッド、ブルー、イエローがササッと出てきて片膝をつく。
「直ちに出立! 目標! アリ本体の回収ぅ!」
資材運搬用に作った『大伐採丸』に飛び乗ったわたしは即座に発進。日頃の指導の賜物か、4人の歩兵ニンジャーはしっかり荷台に転がり込んだ。
**********
曲がりくねった街道を無視する大伐採丸は道無き道をゴリ押し踏破。半日ほどで魔月モン(アリ)との戦場跡地に到着した。
「お嬢、そこです」
「――まったりサイクロン!」
エッロイ卿に見せてもらった上級風魔法『サイクロン』は竜巻状に広範囲を覆う多数の『ウインドカッター』だった。
壊しちゃったら大変なので真空波が生じない程度に加減した魔法で土砂を吹き飛ばすと、アリの本体が露わになる。
「なるほどね。こういう感じか」
一見してデカいアリっぽいシルエット。
頭部には尖った角が生えていて、前世の宇宙世紀で最初に開発された元祖モ〇ルスーツ『ザ〇』のようなモノアイがキュインキュイン動いている。
はて? あんなスゴいロボを開発? そんなに進んでたっけ?
「お嬢。まだ生きてやす。お気をつけくだせぇ」
「トドメを刺されるなら遠くから関節を狙ってください。下顎の歯がそのままです」
「殻がメチャクチャ硬いんでぇ。旦那様の斬鉄でも切れなかったんでぇ」
「……うすっ!」
足が無くなったことで移動はできないようだが、首はしっかり動いている。首関節の構造から360°グルグル回ると思われ、下顎に装備したハサミみたいな武装は確かに危険だ。
「――抽出、混合、充填」
大伐採丸に常備している素材と近場の土壌から材料を錬成し、風に乗せて混ぜ混ぜしながら稼働部の隙間に圧入し、暫く放置するとアリはピクリとも動かなくなった。
「あっはははははっ! 魔月モン敗れたり!」
「「「「…………」」」」
関節の隙間にミッチリと詰め込んだものはアルミ粉配合のエポキシ樹脂系レジンの1種。工業分野では補修剤として使われるもので、主剤と硬化剤を混合することにより硬化する。
硬化後は薄灰色の非常に硬質な硬化物となり、各種金属、ガラス、セラミック、木材、コンクリートなどと強力に接着する便利な粘土だ。
「さぁて、バラすぞ〜。何が出るかな? 何が出るかな?」
「「「「…………」」」」
魔月モンの魔防はさほどでもないのか土魔法がちゃんと効いてくれた。倒すだけなら分解して粉にしてしまえば済むわけだが、わたしはジャンク屋だからそんな事はできない。
動力がアレだったら制御が途切れるとヤバいかもしれないしね。燃料に何を使ってるかにもよるけど……放射能をバラ撒いた日には『愚者』と『死神』がカンストしそうだからさ。
「スゴい! 素晴らしい! やっぱり原子力か! しかも炉心がこんなに小さいなんて! まさか夢のアレなの!? ビバ魔月モン!」
「「「「…………」」」」
詳しく調べてみれば、アリの主動力はパラジウム電極を介したリアクターによる常温核融合発電。胴体の中で最も大きい腹の部分はほとんどコンデンサーだった。
駆動系は油圧メイン? いや、関節部には誘導モーターを使ってるね。油圧は補助的にトルクを出すだけか……って、おほっ!? 装甲の中に詰め込んであるコレは……筋繊維か! 電磁収縮筋なんてスゴいじゃん! 後で量産しよ。
ただし、リアクターの新造は難しそう。パラジウムなんて今のところ見掛けてないし、重水素を集めるだけでも大変なことだ。それに現実的な常温核融合の理論はわたしの知識チートの中にも存在しないと思う。
コイツの制御モジュールのメモリーに情報があるかはわからないが、どうにかして解析できないものだろうか。
「めっちゃ時間掛かりそう……て言うかこっちには演算装置も無いのに……無理じゃん? PC作るか……え〜……基盤から……てか半導体から? ちっ……とりあえず鹵獲して使うしかないか。となれば……ピックミンに落ちた8つは全部欲しいなぁ」
「「「「…………」」」」
バカな凡愚どもが埋めちゃう前に回収しなきゃ。まぁ、埋められても掘り起こすんだけど。
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暦:魔幻4020/5/6 昼
種族:人族 個体名:シキ・キョアン
ステータス
HP:885/1110
MP:1382690/1600530
物理攻撃能力:740
物理防御能力:760
魔法攻撃能力:1600530
魔法防御能力:1600529
敏捷速度能力:1150
スキル
『愚者LV6』『魔術師LV6』『死神LV2』『女教皇LV3』『法王LV3』『恋愛LV1』『スカイダイブLV1』『ドランクドラゴンLV1』『育ち盛りLV2』『ベビーシッターLV5』『マスキュラーLV5』『野生児LV3』『トレーナーLV3』『ジャンクジャンゴLV1』
――――――――――――――――――――
また変なスキルが生えてるけどさ、この手のスキルって転生神のジョークなんじゃない? どんな効果があるかもわかんないんだから意味無いよね?
それはさておき善は急げ。まずはカメムシとやらを捕まえに行こう。
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