第46話 空想する


 リンネさんの本音を聞いてから、お互い少し照れ臭くなってはにかみ合った後、俺たちの間にぽつぽつと会話が戻ってくる。


「リンネさん、さっきの話に戻りますけど」

「え、さっきの話?」

「ほら、言ってたじゃないですか。はやく大人になりたいって。俺やヨル社長が羨ましいって」


 俺の言葉に、リンネさんはああっ、と呟いた。


「俺からしたらリンネさんの方がうらやましいですけどね」

「えー、そうですか?」

「そうですよ。今、高校二年生でしたっけ? リンネさんみたいに明るくて社交的だったら、きっと友人も多いでしょうし。学校も楽しいんじゃないですか?」

「うーん、まあ……別に学校はイヤじゃありませんけど」


 リンネさんに語りかけながら、俺は自分が高校生だった頃を思いだしていた。


 高校生の頃。

 父親が事故で突然死んでしまって、俺を含めて一家の生活が激変してしまった頃だ。

 母さんは昼も夜も働かざるを得なくなって、妹はまだ小学生だ。家のことはほとんど俺がやらなきゃいけなかったし、家計を助けるために空き時間はずっとバイトに明け暮れていた。


 だから青春なんてものに縁はなかったのだ。


 そして高校を卒業した後は働きづくめ。社会の荒波にもまれて、気がついたらあっという間に30歳だ。

 人生折り返しと言うほど年は食っていないけど、もう若者じゃない。


 そんな人生は、家族のために俺自身が選んだことだ。その選択に後悔はない。


 だけど、青春というものに……どんなに強く望んでも二度と手に入らないものに、未練がないといったらウソになる。


 だから、俺は羨ましい。

 今、花盛りの日々にいるリンネさんが。

 

 大切にしてほしい。

 過ぎ去って初めてその価値に気づく、二度とは戻らない青い春を。



 俺はさっきリンネさんの探索にかける真っすぐな情熱を確かに受け取った。

 だけど、その情熱の代償として、リンネさんが年相応の経験を失ってしまうようなものであれば、それは少しもったいないとも思ったのだ。



「配信活動との両立は大変でしょうけど、リンネさんには今しか経験できないことを、全力で楽しんでほしいな――」



 だから俺はそんな台詞を口にした。

 我ながらおっさん臭いセリフだなと、口してから思った。


 だってしょうがない。おっさんなんだから。

 おっさんなりに、若者に後悔してほしくないから、おっさん臭いことを言うのだ。


 あー酔ってきたな。


「今しかできないことって……?」

「え? うーん、勉強はもちろん、部活とか学校行事とか……フツーに学校の友達と一緒に遊んだり……あとは、恋愛とか……?」


 リンネさんの問いに対して、青春に対する曖昧なイメージで言葉をつなぐ。

 なんせ青春らしい青春を送ったことが皆無だからな。


「例えば今だって、俺みたいなオッサンの晩酌に付き合うよりも、同年代の友達との放課後を楽しんだ方がリンネさんにとっても有意義なんじゃ――」


 ちょっとした自虐ネタも織り交ぜながらそんな台詞を俺が口にすると……


「クロウさん! 私、学校に好きな人なんていませんからッ!!」

「へ? そうなんですか?」


 リンネさんは妙な剣幕で俺の言葉を否定してきた。

 その予想外の反応に、思わず俺はキョトンとしてしまう。


「私はキチンと自立した、大人な男性が好きなんです!」

「はあ、大人な男性……」

「能力があって仕事もバリバリできて、でもそのことをひけらかさないで、いつも謙虚で物腰は丁寧で、強くて優しくて、一緒にいると安心できて、異性としても人生の先輩としても心から尊敬できるような、そんな人が……」

「妙に具体的ですね……」


 そんなスーパーマンみたいな男性がいるなら俺も会ってみたいものだ。


 まあ、このくらいの年頃の女の子が年上男性に憧れるのはよくあることなのかもしれない。

 リンネさんの場合、企業ダンチューバーとして既に社会の荒波に片足突っ込んでいるわけだから、異性に求める水準がシビアで具体的になるのも分からなくもない。


「だから私は、そんな素敵な人の隣にいても恥ずかしくないように、早く一人前の大人になりたいんです!」

「はは、頑張ってくださいね。リンネさんのハタチの誕生日は、素敵な女性になった記念として盛大にお祝いしましょう」


 俺が笑顔でリンネさんにエールを送ると、彼女はちょっと憮然としたような、妙なジト目で俺を見つめてきた。


「……クロウさんってどうしてそんなにニブいんですか」

「え? ニブいってなにがです?」

「はあ……いーえ、なんでもないでーす」

「……?」


 リンネさんはため息を一つついてから、気を取り直すように鍋の中に顔をのぞかせる。


「あ、お肉が切れちゃった。野菜も……クロウさん、まだ食べられますよね?」

「ええ、そうですね」

「じゃあ私、ちょっと用意してきます。キッチンお借りしますね」

「ありがとうございます」


 リンネさんは俺に断りを入れてから、軽やかな足取りでキッチンへと向かった。

 その後ろ姿を見送って、俺はまたビールを少し傾ける。


 そしてちょっとだけ、に思いを馳せた。


 俺とリンネさんが同級生だったら。

 俺たちの関係はどんな形になっていたんだろう。


 子供と大人という関係じゃなくて。

 同い年で。同じ学校で。クラスメイトだったら。

 

 クラスの人気者と日陰者、きっと満足に会話すらできなかったかもしれない。

 それともダンジョンという共通点が、俺たちを結び付けたんだろうか。


 その先の二人の関係は、どうなっていたんだろう。




 はは、なんてな。

 キモい妄想してんなよ、俺。




 自分で自分の空想を鼻で笑ったそのとき、キッチンの方からリンネさんの声が届いた。


「クロウさん。電話鳴ってますよー」

「あ、すいません……」


 そういえば、自分のスマホをキッチンに置きっぱなしだった。

 俺はキッチンまで移動して、包丁で白菜を切り分けているリンネさんの後ろを横切り、シンクに置きっぱなしだったスマホを拾う。


「はい、もしもし――……ああ、エマか」


 電話の主は妹のエマだった。

 2,3分ほど、他愛のない会話をしてから通話を終える。

 


「あの……クロウさん」


 通話を終えてリビングに戻ろうとした俺をリンネさんが呼び止めた。



「はい?」


「エマさんって、誰ですか……?」


「ああ、エマはですね――え?」


 リンネさんの方に振り返って、エマのことを説明しようとした俺。しかし……


 な、なんだ? どうした?

 リンネさんの表情が暗い……というかなんだか怖い。

 目に光がないというか。

 表情筋が死んでるというか。

 更に言うなら(白菜を切るために)握りしめている包丁が妙に怖い。


 リンネさん、なんか怒ってる?

 お、俺……なんか怒らせるようなことしたっけ?


「えっと、エマは……俺の妹、なんですけど」

「え、あ!? 妹さんですか!?」


 その言葉を聞いて、またリンネさんの表情がコロッと変わった。

 

「なんか今度こっちに遊びにくるみたいで。それで連絡があったんです。もしタイミングがあったらリンネさんにも紹介しますよ」

「なーんだ! 妹さんかー! あーよかったー!」

「へ? よかったというのは?」

「いーえ、なんでもないです。うふふ、あーもうびっくりしたぁ。やだなぁもう」


 リンネさんは顔を赤らめてニヤニヤしながら野菜の下処理に戻る。

 俺は首をかしげながらリビングへ戻った。


 釈然としないけれど、とりあえず機嫌が治ったみたいだからそれでよしとしよう。





――――――――



これにて三章完結です!

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