第23話 丹沢の歴史

2階。日本・古代史資料室は、書物のみの専用資料室である。

フロアの構成は5階と同じであるが、ホールの左側入口の上に「日本・古代史」と案内のプレートがあり、最初の部屋のドアに寛美のIDをタッチして開錠する。ここで必要と思われる資料を数冊選び、ホールの応接ソファーに運んで来た。

5階と違うのはブラインドが閉まり、ソファーの色がライトブルーである事と花瓶の花がピンクと白のクルクマに代わっていただけである。

寛美に「どこから行こうか?」と問われ、「丹沢の歴史からお願いします。」と翔が答える。

「私は山には詳しくないから。分かる範囲で概要だけ話すね。本当は地元のとし君の方が詳しい筈だけど、彼は今、日本にいないしね。」

俊君とは宗麟の次男、弓削俊之ゆげとしゆきの事である。

俊之は今年の春からインドに留学中で来年の春まで戻ってこない。

「地質学的な事から言うと・・・」

寛美は持ってきた資料には手を触れず話し始めた。


約1700万年前、海底にあった丹沢周辺の土地は、海底火山の噴火に伴う石英閃緑岩せきえいせんりょくがんを主成分にした深成岩しんせいがん丹沢層群たんざわそうぐんと呼ばれる地層に貫入することによって隆起した。

丹沢層群はフィリピン海プレートの上にあり、フィリピン海プレートの移動に伴い北上する。同様にプレートの移動で南下する北米プレートと衝突した事で本州が存在する北米プレートの上に乗り上げるようになる。

おそらく南海の、熱帯から亜熱帯にあった丹沢層群はプレートの衝突から1300万年かけて今の本州へと合体し原型を完成させる。

プレートはその後も移動して伊豆半島や大島も現在の位置に落ち着いて行く。

これが、今から500から350万年前の事。

丹沢や伊豆半島が南の海、しかも熱帯に属していた事を証明するのが、サンゴの化石を含む石灰岩が丹沢層群や伊豆半島から発見される為であり、サンゴの他、有孔虫レピドシクリナの化石が見付かる事で説明がつく。

レピドシクリナは暖かく浅い海に住む単細胞生物で、プレートが衝突し始めた頃から日本の海水温は下がってしまい関東以北では生息出来ない環境になっていた。

東北地方などの同年代の地層からはレピドシクリナを含む熱帯性の化石は発見出来なくなる。

しかし、丹沢層群や伊豆半島では約500万年前頃までの地層にレピドシクリナの化石が発見される。


「君達が登る槍穂岳は東丹沢になるわね。丹沢層群の中でも石英閃緑岩を取り巻くように分布している変成岩が・・・」

寛美が話し続けるところを聡史が割って入った。

「あ、あの~山に詳しくないでこの情報量ですか?どれだけの知識がつまっているのですか。それと、翔が聞きたい事って・・・自分もですけど。文化面だと思うのですが。」

『ナイス突っ込み!』心の中で言う。

寛美には見えないようにして、翔はここ何日かで初めて聡史に心の底からサムズアップを贈った。


言われた寛美は不完全燃焼気味ではあったが切り替えて話し始める。

「あ・・・そう?翔君はこういう方が取り付き易くて分かりやすいと思ったけど・・・それでは、時代をもっと近付けて縄文時代。おおよそ五千年前からになるけど、神奈川県でも割と多くの遺跡が発見されているの。縄文から弥生時代にかけての土偶や土器が出土されている事から当時既に人の集落があって、文化的生活を送っていた。土器などは瀬戸内海東部に見られるものや伊勢湾、尾張北部なんかの西側の他、関東北部から東北南部の物も見付かっていて、全国展開された文化交流があったと考えられているの。土器からは炭化した稲やあわも発見されているから文化レベルも決して低くは無かった。稲作が可能であったという事よ。それとは別に狩猟も盛んに行われていて『陥穽かんせい』、落とし穴猟の跡も丹沢山地周辺では見付かっている。私見になるけど、盆地の秦野から平塚、小田原にかけての平野部での農耕と、海での猟や貝類の採取が行われて、丹沢山地では狩猟や果実の採取が行われるような生活大系が出来ていて、その産物を使っての交流が出来ていたと思うの。丹沢の水は世界的に見ても水質が良く、高低差のある流れの強い河川も多くあるから海まで水がよどみにくく、距離も短いから山のミネラルが海水に混ざり易くなって、沿岸では魚類をはじめとする海産物が豊富になって漁猟も十分に期待出来ていたと思うの。総合的に定住可能な立地条件が整っていたと言えると思うの。漁猟が盛んに行われれば必然的に造船、操船技術は高まるから船を使っての交易が行われる。古代、縄文時代の日本って先進的な海洋国家だったと思うのよ。糸魚川の翡翠なんかは・・・脱線するからここまでにするね。その後、古墳時代になると大和朝廷の影響を受けて国造くにのみやつこという称号を受けた豪族がその地域の権力者になり古墳を築造していったとされるけど、古墳の発祥は弥生時代の墳丘墓の発展とも言われたりして必ずしも朝廷発祥とは言えないかな・・・今でも流行は、ある日突然始まったりするでしょ。古墳もそうだけど文化というものは常に当時のトレンドに影響されるから。考古学は常に更新されるから絶対はないのよ。それで、国造と神奈川県内の古墳について話を戻すけど丹沢地域に該当するのは師長国造しながのくにのみやつこで秦野市の桜土手古墳群が発見されている。神奈川県最大になるのかな。それから平安時代に入ると藤原氏の一族、波多野氏の子かその子孫が河村を名乗ることで山北町に河村郷が形成されて十三の村があった。その後、河村氏は源頼朝が挙兵したときに平家側に付いた事で領地を没収されるけど流鏑馬やぶさめで認められて復帰する。新田義貞の鎌倉攻めでは南朝側につくけど北朝の足利尊氏に敗北。裏目に出る家の人だったのね。その後の丹沢周辺は小田原の北条が領主になって甲斐武田軍に備える軍事的要の城を幾つか置く事になる。豊臣秀吉に北条が倒され天下が徳川の時代になって、小田原藩の一部になった頃には村の数は一つ増えて十四の村になっていった。時代は近代になって明治に足柄県になるとすぐに神奈川県に吸収されて現在に至る。各遺跡の発掘調査報告と風土記ふどきや太平記、吾妻鏡あずまかがみにある正史とされている内容は大体こんな感じかな。私の解釈もアレンジしてるけどね。ところどころ端折っているから質問、受け付けるけど。」

寛美は用意した資料には一度も手を付けずに話した。

内容について事前の打ち合わせもしていない。しかも二人の顔色を見ながら後半は明らかに掻い摘んで話していた。放って置けば五千年分の詳細な歴史を語りかねない。


「それって、全部頭に入っているんですか?突然振った話だから全部アドリブですよね。」

聡史が感心している。

教科書に載っているような内容だけではない。

寛美の情報量とその能力に圧倒されていた。

「でも、翔君が知りたいのはもっとコアな。槍穂岳に係る民族的、宗教的な事でしょ?」

寛美が試すように微笑み、翔の顔を覗いて来た。

『この人もか』と思った。最近、自分は心を読まれることが多いと感じている。どこかに心が洩れ出しているのか疑って観念した。

「寛美さんもですか。俺、そんなに分かりやすい顔してます?」

「ふふ。何年面倒見てきたと思っているの?あなたたち姉弟の事は、もしかしたら私と麗香レイの方がお母さんよりも分かっているかもよ。」

優しい眼差まなざしで静かに言った。

「なんてね。俊君が留学する前、そういう事を調べていたの。『何時か翔が知りたがる日が来るから』って。さっきまでのうんちくは資料整理で拾った豆知識よ。」

「豆知識の豆って、ほんのわずかなって意味で大豆くらいをイメージしていましたけど、寛美さんの豆知識の豆はモダマ級になりますね。」

聡史がほうけた顔で感想を述べた。


「モダマに例えられちゃうの?中身のない『食べられない知識』って事?」

寛美が和やかに聡史に返した。

自分の言葉を相手にしてもらった聡史は、まさに『至福』の表情で「いや~そ~いう意味では~」と体をくねらせて言う。

「聡史。気持ち悪いぞ。それにモダマは『幸福を運ぶ豆』とも呼ばれているから、新しい地で幸運を芽吹かせる知識っていう意味になりますよ。」

聡史に肘打ちしながら翔が応えた。

「真面目か!翔!真面目か。しかし・・・俺の渾身(こんしん)の知的ボケをなんの躊躇ちゅうちょもなしにさらっと流されるとは・・・『モダマ』って何?くらい期待してたんだけどな。」


モダマとは、マメ科の植物で熱帯から亜熱帯の海岸付近で見られる常緑のつる性植物で、日本でも沖縄や奄美地方で見られる。

マメ科で世界最大と言われる種子がとれ、ジャックと豆の木のモデルとも言われる5センチメートル程度の豆は食性には向かず、民芸品の根付やネックレスなどに使われることが多い。

名前の由来は浮力の強い種子が川に落ち海に流れ、海流をただよううちに、藻が絡み付き海藻の種と勘違いされ『藻玉』と言われた事とされる。

その豆が海を渡り新たな地を見つけ発芽することからラッキービーンズと呼ばれ縁起物として流通している。


「それにしても、寛美さんはともかく、翔。なんでモダマの知識あるんだよ。」

手柄を取られて、つまらなそうに聡史が言う。

「いや、英兄ひでにいが大学生の時、修行と言う名の観光旅行で台湾に行ってた時のお土産がモダマの根付だったんだ。水に浮く種が海流に乗って新たな地で芽を出す習性から『幸福を運ぶ豆』ラッキービーンズって呼ばれているってお土産屋のおばさんに言われて大量に買って来てた。定番のパイナップルケーキは?って聞いたら存在すら知らなかったんだぜ。因みにねーちゃんには天然ハーブの石鹸渡していた。」


英兄とは俊之の兄、宗麟の長男の英幸ひでゆきのことで、寺を継ぐため大学を出た後、本山で修行を行い、今は全国の寺院を渡り歩き、住職になるための修行を行っている。


寛美は二人の掛け合いを、静かに目を細めて聞いている。

腰かけたソファーに深く座り体を背もたれに預けて眺めていた。

一人っ子の寛美には弟達が楽しそうに話している姿に見えている。

小さかった翔と美鈴が遊びに来ていた頃を思い出していた。

「寛美さんにも届けてましたよね。お土産。」翔が声をかけた。

「うん。私は両方貰ったわ。あと、タイヤル族の雑貨品も。」

首を傾げ微笑みながら応える。

寛美の表情を見て聡史の精神は完全に崩壊した。目から入って来た情報に思考がオーバーフローして時が止まり口を半開きにして虚空を見つめている。

「おーい聡史~戻って来~い。」

翔が聡史の肩を揺すって現世へ帰還させる。

「起こすなよ~翔。龍宮城の浦島君の気分だったんだから。今なら彼の想いは良く分かる。会ってダチになりたい。」

抑揚のない語りでも、目線は寛美から離れていない。

龍宮城の聡史を置き去りにして、翔が改めて寛美に向き直して話す。

「それで、寛美さん。俊兄としにいはどんな事を調べていたんですか。」

寛美はガラステーブルに置いてある資料を手に取り翔に差し出して見せた。


『槍穂神社古文書写本』『箱根・丹沢におけるサンカ研究と口伝集』『丹沢山地 山の神信仰』の三冊だった。

「用意していた資料って、これだったんですか?最初から丹沢の歴史を語るための補助的資料は必要としていなかったって事ですよね。」

翔は、改めて感心するとともに『山の神』に注目した。

「翔君が『陰陽師おんみょうじ』って言ったからね。なんか珍しいなと思って、俊君の事を思い出したのよ。詳細は彼の努力を横取りする事になるし、私は目を通した部分しか説明出来ないから、来年の春に彼が戻って来るまで待てるなら・・・待てなさそうね。」

上体を前に乗り出してきた翔を見て寛美はゆっくりと語り出した。

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