第13話 残滓と同位体

北棟8階、小児科病棟のナースステーションを挟んで東側の個室に翔は入院していた。

深山が誘導して部屋に入ると母親の弥生と宗麟がいて主治医の水江裕子みずえゆうこから検査結果を聞いているところだった。

こちらに気付いてお互い会釈する。

「・・・楓さん?」

目を丸くした水江が声を掛ける。弥生たちに黙礼して小走りで近付いて来た。

「元気そうね。忍ちゃんは変わりない?」

楓が小声で話しかけ差し出された手を握る。

「ええ。お陰様で。もう二年生です。今年も春の運動会に参加出来ました。」

「よかったね。もう大丈夫だと思うわ。」

強く握られていた手を優しくほどきながら言った。

水江は楓の肩を抱いてドアの裏へ行き、さらに小声で訴える。

「楓さん。来て貰って本当に良かったです。検査結果は正常なのに意識戻らなくって。それだけなら症例はあるのですが、少しおかしい・・・というか、一日のうちに急激な悪化と回復を何度も繰り返しています。私的意見ですが、まるで体の内で破壊と再生を繰り返しているような感じです。県立病院からの報告も処置が精一杯だったらしく投げやりな感じがあって。うちでも他の先生は診たがりません。私も訳が分らなくて。深山さんに強力な助っ人を必ず呼ぶからそれまで持ち堪えてくれって言われた時、楓さんかなって期待はしたんですけど。本当に楓さんが来てくれるなら引受けて良かったです。」

正味一日で相当な変化があったことを物語っていた。水江の様子からは孤軍奮闘の影が見える。

「まずは診てから。法律的なことは・・・」

「私が責任を取ります。」

水江は小さくガッツポーズをした。

左手で頬を拭い、振り返って病室に入り弥生達に紹介した。

「こちらの方は、東洋医心研究所の秋月楓先生です。小児科医の私がこんな事言ってはいけませんが、これで翔君は回復致します。」

水江は自分の事のように胸を張った。

「ちょっと~まだ何も診ていないうちから断言しないでよ。」

腰に手を置き、背筋を伸ばしながら楓は言い、ベッドの翔に目を移した。


弥生も宗麟も唖然とした。目の前に紹介された少女が『先生』だという。後ろに置き去りにされている新井や深山、史隆に目が泳いだ。

「史隆君。戻られたか。この度はご愁傷様です。」

宗麟は合掌しながら頭を垂れた。

「英さん。いや宗麟和尚。いろいろとご迷惑をおかけしました。兄に代わってお礼申し上げます。弥生さん。お悔やみ申し上げます。大事な時に力になれなくて申し訳ありません。」

史隆も頭を下げた。弥生は何も言わずお辞儀を返した。

「ところでその、こちらのお嬢さんが・・・いや、失礼。先生が翔を救って頂けるという事なのですか。」

宗麟の疑問は当然であった。

紹介されたこの秋月楓という女性は、身長150センチメートル程度。長身の史隆と並ぶと頭一つ低い。身体の小ささだけではなく、明らかに若い。高校生と言われても疑う余地がない。むしろ高校生と紹介された方が納得出来る。黒いロングドレスが何かのコスプレと言われても違和感がない。しかし、たたずまいや表情からは大人の落ち着きと妖艶な色気を感じさせる。


「154ありますよ。」悪戯な少女の顔で宗麟に言う。

宗麟は面喰って頭を掻いた。心を読まれている。占い師に多いコールドリーディングの類かとも思ったが、この少女から悪意は全く感じられない。

「秋月先生は先程ご紹介されましたように東洋医心研究所で専任の鍼灸師しんきゅうしをされていて、漢方や気功にも精通されています。こちらの水江先生のお嬢様も難病に苦しんでおられましたが、先生の診察により今では元気に過ごせるようになりました。今回、翔君をこちらの病院に移転したのも隆一さんの件だけでなく、水江先生に主治医になって頂き秋月先生との連携をお願いしたいと考えましたので、史隆さんのご帰国に合わせてご足労願いました。」

深山が説明をして楓を翔の前にエスコートした。

楓は翔を診る前に弥生に向かって許可を仰ぐ。弥生の方が、少し背が高かった。

「お願いします。もう一週間意識が戻りません。急に苦しんだり安定したりの繰り返しなんです。先生方も原因不明としか教えてくれないんです。」

頭を深く下げ声をらして訴えた。もう何日も寝ていない。看護師の資格を持つ弥生は検査内容には詳しかった。理解出来る分、他人よりも苦しさは増した。心だけでなく髪の毛も皮膚もボロボロである。

楓は頭を下げたままの弥生の肩にそっと手を回し「あとは任せて、少しおやすみなさい。」と耳元で囁いた。

楓の手から温かいものが肩から流れ込み心臓を還して全身に行き渡る。胸から下半身へ、そのまま両脚、戻って両腕に幾重いくえもの螺旋らせんを描きながら循環していった。螺旋が首を通り抜け頭頂とうちょうに達すると手足の指先が温かくなるのを感じる。緊張していた身体が急に軽くなり、全身の力が抜け、ふらふらと近くの椅子に崩れるように座り込んでしまった。触れられてから、ものの数秒も経っていない。

心配した宗麟に「大丈夫ですよ。」と言ったのは史隆だった。

深山と新井が弥生をソファーに移しシーツをかけて横にすると、そのままの姿勢で弥生は寝息を立てている。

楓は一連の動きを目で追い、史隆に合図をしてからベッドへ向き直した。

「さてと、翔君。診させてね。」

言い、掛布団をゆっくりと剥す。

振り返って点滴を外して欲しいと指差し水江が処置した。

楓の診察が始まる。


合図に応じて史隆は楓の反対側に立つ。楓が身を屈めて翔に触れようとした刹那。

意識が無い筈の翔の左手が楓の右手首を掴んだ。目を開き何かを呻(うめ)き始める。

「頭起こして!何か口の中に入れて。歯が折れる。」

楓が冷静に指示を出した。

すかさず史隆が左手で頭を抱え上半身を起こした。新井が翔のあごを掴み、深山がおしぼりを口に入れる。噛みつかれた深山の指とシーツが鮮血に染まった。7歳の子供の力ではない。大人の男三人がかりでやっと抑える事が出来た。

楓は右手を掴まれたまま空いている左手で翔のひたいに向かう。

反対側に立った史隆が翔の頭と暴れ出した右手を抑え込んでいた。

開いた眼は虚空こくうを見詰め何かを威嚇いかくしている。

楓の左手が額に触れた瞬間。翔の力が抜け、目を閉じてベッドに転がった。

「な、何が起きたのですか。」宗麟が叫んだ。

「発作のようなものです。まだ片付いていなかったみたいで、瞬発的な拒否反応ですよ。」

右手をさすりながら楓は静かに言った。手首が赤紫に変色している。

「片付く・・・な、何を仰っているのでしょうか?」

宗麟はまだ落ち着いていなかった。

口のおしぼりを抜き、医療綿で血をぬぐったあと深山の手当てをしながら水江が補う。

「翔君が気を失う直前、おそらく何らかの強い恐怖体験をしていると思います。楓さんは通常の人間よりも、何というか、霊的な力が強いので。無意識に防衛反応を起こしている。といったところでしょうか・・・医者が言うべき言葉ではありませんが。」

かつての水江であれば絶対に口にする筈の無い言葉だった。しかし、現代医学では全く手に負えなかった自分の娘を、深山が連れてきたこの秋月楓という少女はいとも簡単に治療してしまったのである。その時の光景を思い浮かべていた。

「深山君。大丈夫?」

水江に消毒剤をかけられ医療用接着剤で傷口を塞いでいる深山を見て楓が声を掛けた。人差し指から薬指にかけての第一関節付近の皮膚がめくれていた。

「大丈夫です。左手は無傷です。」

血の付いた草色のサマースーツを脱ぎ左手を振った。

「ダメですよ。外科医を呼びます。」

水江が言うのを「後でお願いします。」と断った。

水江は「少し待ってください。」と言い、ナースコールで必要な医療器具を持って来させた。椅子に腰かけて深山が治療を受けている間に、新井が固定用ベルトを借りにナースステーションへ向う。楓は窓際に移動し、翔を見詰め、胸の前に軽く腕を交差させ左手首を反して自分の顎を指先ではじく仕草をしている。右手のあざは消えていた。


「楓さん。ちょっといいですか。」

史隆が声をかけ、楓を連れて廊下に出る。

廊下に出ると身を屈め、楓の耳元に小声で話し始めた。

「いました。首の下あたりでしょうか。しかし、自分が前に会った時とは比べられないほどひどく弱っている。あと、残滓ざんしと思われる別の思念も感じます。どちらもまだ癒着ゆちゃくはしていないと思うのですが。」

楓は薄く眼を閉じ、澄ました顔で聞いていた。史隆は教師に対し、答え合わせをしている生徒のようである。

「うん。史君のいう『残滓』はもうすぐ消えると思うわ。凍傷が消えているのが証拠よ。私の事を同位体と思って向かって来たくらいだから・・・一週間か。意外と手間が掛かっているわね。問題はあの子。このまま。このまま大人しくはしていないと思うから。どこかに安定させて保管しておかないと・・・」

「あの、よろしいでしょうか。」

病室から作務衣姿の宗麟が出て来て二人に声をかける。

宗麟は他寺院での修業を終え、今年から黎明寺の副住職に就任したばかりであったが、この事態を受け、妹の弥生を補佐するため一緒に病院で寝泊まりを続けていた。

「一体、何が起こっているのでしょう。松田の病院では突然高熱を出して一時は生死を彷徨さまよいました。それからというもの、一日に何度も発作を起こしていましたが、今見たような事は一度もありませんでした。新井さん達からの先日の説明といい、非常識過ぎる事ばかりで整理がつかない。史隆君。君は何かを知っているのだろ。」

やっと落ち着いて話が出来ている。

「英さん。もう少し、処置が終わるまで待ってくれませんか。彼等にも立場があって、自分から言っていい事、悪い事があるんです。本当に申し訳ありません。」

長身の史隆が小さくなって謝った。

「それにしても、弥生に何をしたんですか。この一週間まともに眠る事が出来なかったのが、あんなにも安らかに眠っている。この事象だけでもご説明頂けませんでしょうか。」

宗麟は楓に懇願こんがんした。

仔龍こりゅうを放っただけですよ。」

魅力的な微笑みだった。宗麟は何も言えず固まってしまった。

「こりゅう?」

楓の瞳に釘付けになったまま宗麟がオウム返しをした。

「まあ、気功のようなものです。弥生さんは疲れ切っていて誰の目にも明らかに限界だった。翔君の反応はあそこまでとは思わなかったが、ある程度の事は予想していたのです。弥生さんが起きていたら耐えられずに気が変になっていたかもしれなかった。だから緊張をほぐして眠ってもらったんです。楓さんは誰かに教わってやっているのではないから、表現方法が独特なんです。」

史隆が補足して宗麟を此岸しがんに引き戻す。

「では、翔にもこりゅうを?」

宗麟の問いに「ふふ」首を傾げ妖艶に微笑む。

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