第6話 隠される真実

一通り、時系列に沿って説明を行い新井は佐渡博士に目線を移す。

博士がうなずいてキーボードを叩くとモニターに映像が流し出された。

「ここからの映像は非常に辛い思いをされるかもしれません。しかしご遺族の方々には知る権利があると判断しまして・・・」

映像を停止するよう促して市役所の深山が神妙な面持ちで話した。

「続けてください。」

宗蓮が応え、宗麟と弥生に同意を求めた。

「お願いします。」

宗麟は同意したが、弥生は終始うつむいたまま放心している。

一呼吸置いてから新井が話し始める。

「まず、隆一氏の発見時の様子からご覧ください。」


木立の木漏れ日に包まれた夕暮れの薄明りの中、警察の捜査関係者が黄色いテープで規制線を張り巡らしていた。薙倒なぎたおされた木々の隙間から真上の空を見上げる。雲が切れ、まだ白んでいる月が出ていた。現場では既に白い布がかけられ、隆一の状態は見えない。続いて、左腕に『公安』の腕章を着けている背の高い男が発見者に聴取し、先行していた捜索隊の5名と発見者の男性に敬礼をして下山を促していた。


「この男性は県警の人間ではありません。腕章にあるように公安の関係者であるとは思うのですが、現場の鑑識を含めて所属不明です。隆一氏発見の一報後、何故か我々県警をはじめとする捜索の関係者は登山口待機を県警本部から指示されたのです。この時点で事件性は確認出来なかった為、抗議をしました。しかし、彼は公安委員会の指令書を提示して現場の指揮権を掌握してしまった。そのため彼と協議し、警官二名だけが同行と撮影を許されました。」

隆一発見の連絡が入ったのが14時21分。その後20分程度で槍穂岳登山口に設営された捜索本部の前に2台のワゴン車が乗り入れ、10名の公安関係者が現れたのである。

「おそらく、捜索隊の連絡を傍受していたと思われます。」

「どういう事ですか?」当然の疑問を宗麟はぶつけた。

「警察という組織はその性質上複雑に絡み合っています。私も一応キャリアと呼ばれる枠に入っていますが、知らされない事柄も少なくありません。今回も現場の動きと同時に県警本部長へ協力要請があり、捜索隊に対し、彼らに協力するよう本部長命令で指示が出ていました。」

「行方不明者の捜索に県警の本部長が直々に指示を出すことが起こり得るのですか?隆一君は公安の捜査対象になっていたと?私達に秘密の何かがあったという事ですか?」宗蓮が聞く。

新井は言葉を呑み「もう少し続けましょう」とだけ言いモニターを見るよう促した。


規制線の内側の映像が映し出されていた。

白い布が被せられている木の根元はせり上がり後方へ倒れている。そこから手前に20メートルほどの木は全て左右に倒れていた。

撮影者が『公安』の男に布を取る許可を求める。

『公安』が鑑識係の上官らしき人間に指示し、別の鑑識係員がゆっくりと布をはがした。

首を前方に倒し、左腕があり得ない方向に曲がっていた。外出時には青かったポロシャツは右胸から左下腹部までが裂け、その周りは黒く変色していた。

しかし、その死に顔は霊安室のものと同じで穏やかに目を閉じていた。


弥生が絶叫をあげた。右側に座っていた宗蓮が弥生の肩を抱き引き寄せる。

暫し空気が固まった。

弥生が落ち着くのを待ってから新井が静かに語り出す。

「この映像から隆一氏の死因は獣によるものと結論付ける事になりました。」

「なりました・・・とは?」宗麟が聞き、新井を見詰める。

「残念ながら私はこの件について現場にはいなかった。生前の隆一氏には、ここにいる深山君同様お世話になっていました。この報告についても上層部と掛け合って集めたものです。本来、このような事態には私が監理官として現場指揮を行う事になっているのですが、この件についてのみ私に連絡が入らなかったのです・・・そのなかで、佐渡博士が最終的に司法解剖をしていたことは幸いでした。」

「最終?では、司法解剖は複数行われたということですか?」

宗麟が畳み掛ける。

「よろしいですかな?」

博士が発言を求めた。


佐渡博士に司法解剖の依頼が来たのは六月三十日の朝9時。出勤後直ちに医院長に呼び出され至急開始するよう指示されたという。

10時に司法解剖を開始するとき、映像の『公安』がいて、『工藤』と名乗り立会う事になった。

遺体の状況から死後24時間以内、後頭部の頭蓋粉砕と左腕の複雑骨折、外傷は右胸部から左下腹部へ六本、深さ最大で約1センチメートルに及ぶ筋状の裂傷を六本確認。肋骨に達している箇所数4。右鎖骨切断。傷は内臓にまでは達せず、直接の死因は頭部への強大な力による粉砕骨折に伴う脳挫傷と思われる。そう工藤に報告した。

「そう・・・ですか」とだけ工藤は言い、後の処置を博士に頼み「それ以外に何か気になる事はありませんか」とつぶやいた。

博士が「司法解剖の結果は以上です。後ほど報告書を纏めます。」と伝えると、工藤は両肘を震わせながら長い間合掌をした後「くれぐれも丁重に」と告げ、立ち去った。


「・・・死後一日以内?発見される直前まで生きていたという事ですか?」宗麟が聞く。

隆一は翔が発見されてからさらに二日間も山中を彷徨っていたことになる。既に捜索隊が組織されて七日、木々がなぎ倒されるほどの音や振動があれば誰かが気付く筈であり、ヘリによる上空からの捜索活動も行っていた。死亡推定時刻を是とするなら発見直前が死亡時刻となってしまう。

「死後硬直、角膜混濁や内臓の状態どれをとっても24時間以内と判断出来る状況でした。ただ、体温の低下が緩やかでした。気温にも影響される為この項目のみで判断は出来ませんが、内臓の温度に関しては、もっと最近の状態といえました。事前に聴いていた事故の内容から薬物等の検査は行っていなかったのですが、新井さんの依頼で検体の一部を採取しましたので現在解析中です。ここに搬送される前に蘇生処置のような施術を施していた場合も考えられますが、医学的には不可能な状態としか言えませんのでそれも考え辛い。工藤氏が私に気になる事はないかと言っていたのは、そういった事かもしれません。しかし、私が診る前にどこで、どのような手当てをしていたかは教えて頂いておりません。」

佐渡博士が話し終わると新井が続けた。

「隆一氏が現場から最初に搬送された先はY.PACです。」

「は?」一同が顔をあげて新井を凝視する。

「ヘリは消防本部の救助用のものでしたので、飛行履歴と操縦士から確認を取りました。Y.PACの横浜本社敷地内の薬学研究棟のヘリポートに降りています。消防の司令本部から指示が出されて着陸し、迎え入れた医師や警察関係者に引き渡しています。」


横浜に本社を構えるY.PACには広大な敷地に工業、科学は勿論、医学、薬学をはじめとする数多くの研究施設が複数存在し、災害対策として、緊急時には横浜市と連携して救護活動や避難民の受け入れを行う事を想定した訓練が何度もされている。場合によれば普通の総合病院よりも設備、人員が整っていると言えた。


「何らかの指令が出ていたと思われるのですが、これ以上は私の権限では探れませんでした。博士の検死報告からは隆一氏に対して何か医療的な事は行われた形跡は無いとの事ですが、先ほどの説明にあるように体温が高く、ご遺体の回収時に立ち会われた医師からの証言とも現状が一致していますので、隆一氏を丁寧に扱っていたと考えられます。」


大気を切るブレードの音が会話を遮った。

モニターに目を移すとカメラは上空を探している。

風切り音が大きくなり木々の隙間から1機のヘリコプターが出現した。

公安の男、『工藤』が無線で指示を出すと担架が降りて来た。

手慣れた様子で鑑識の3人が遺体を担架に乗せると複数のベルトで固定する。

工藤が合図し、担架がゆっくりと上がって行きヘリの隊員が機内へ運び入れた。

ここでモニターはブラックアウトして静寂に包まれた。


「入手、公開許可が出たのはここまでです。」

席に着くと新井は感情を殺し『役人』の顔で話し始める。

「私が知り得たことは全てご説明させて頂きました。ここからは、公式の見解について、皆様にご同意頂きたくお願い申し上げます。隆一氏がなぜ槍穂岳に翔君を連れて行ったのかは結局分らず、山中の出来事も解明出来ない今、この事件を早期に治める方法としては先ほど会議室でお話しした内容とさせて頂きたいのです。」

感情はこもっていなかった。

「新井さんのお立場は理解出来ますが、お話しを聞いて最も大きな問題が浮き彫りになりましたね。」

宗蓮が語り始めた。

「隆一君の正体というか、彼は警察や行政、まして公安の人達が死因や行動を隠す必要があるほどの人物だったという事ですかな。それともこの現状は知られてはならない事件とでも言いたいのでしょうか。映像では、まるで山の中で戦争でもしていたようなありさまではないですか。この一週間の時系列も何か釈然としない。説明と言いましたが、新井さん。あなた自身も不合理だと考えていますよね。」

新井は左下に目線をずらし、膝の上にある両の拳を握った。

宗蓮は続く。

「貴方達と隆一君はどういう関係だったのでしょうか。我々は平凡なサラリーマンであったと信じていた・・・まあ、少し変わったところがあるとは思っていましたが。」

深山が話し始めようとするのを新井が手で治める。

「その事については詳しくはお話出来ません。生前の彼と交わした約束にもなります。矛盾しますが、彼に何かあった場合、最期について、出来る限りをご家族に知らせて欲しいとも頼まれていました。ただ一つお伝えしたいのは、隆一氏は人々の為に尽力を尽くし我々に協力をして頂いていたという事です。」

話しながら新井は血の通った『人』に戻って行く。生気の戻った眼で弥生を見つめた。

「それで・・・私達にどうして欲しいというのですか。」

消え入るような声で弥生が応える。

「これから一週間以内に自然死もしくは狩り捕られた月の輪熊を確保します。その熊を今回の犯人として公表し、事件の幕引きとします。皆様には今ご覧になられた映像は固く心に留めて頂き公式な見解を受け入れて頂きたいのです。」

「だとしたら何故、いや、隆一との約束とはいえこの映像を我々に見せたのですか。事実を隠蔽いんぺいするのであれば何も見せずに熊のせいにすれば良かった筈ではないですか。あの映像の男、工藤の存在を知らせる必要も無かったのではないですか。それに・・・これは、殺人事件ですよね。」

宗麟が当然の質問をした。

「殺人犯が人間であればそうなります。」

深山はうつむいてこぼした。

一同の目線が深山に移るのを感じた新井は深山を睨み話し始める。

「状況から、犯行は人の手によるものであるとは考えられません。凶器、犯行動機どれも現在の調査では見当たらないのです。彼に殺される理由が無いのは皆さんの方が理解されていますよね。私達が知っている彼も感謝こそされ、誰かに恨まれるようなことは無いと思っています。私の立場でこのような発言をするのは非常に不適切ですが、この事件は超自然現象と言いますか、一般人には理解出来ない人智を超えた力によるものであるとしか思えません。この件を広げてしまいますと、心の無いメディアの連中が隆一氏の功績や犠牲を汚す事が容易に想像出来ます。その時は皆様にも、幼い翔君や雫さんにも心の中に土足で踏み荒らしに来る事でしょう。私は立場上そういった遺族の方達を見て来ました。私的見解になりますが今後は少しでもそういった社会的な力によって遺族の方々が二次被害を受ける事の無いように沈静化したいと考えています。それは、勿論犯人の検挙や真実の究明を前提にするべき考えではありますが、この件に関しては法律に従って整理し、他の人間が理解出来る様にするとなると、どうしても山中での事故死として取り扱う事が現在の最善となってしまいます。役人仕事になってしまうのは不本意ですがご了承頂きたいのです。」


新井の発言はある意味納得出来た。謎は謎のままとして客観的に映像と状況説明を照らし合わせると、まさに人智を超えた得体のしれないものに隆一は殺害されたのであろう。この国に存在する『法律』はすべて人間の行為又はその個人に対して課せられるものである。人外の獣や天候などは対象外であり、人に害をなす獣は『害獣』というレッテルを貼られ『処分』されてしまう。彼らには弁解や抗議する権利すら与えられていない。まさに人間こそが『神』になり替わってこの世を支配しているかのような世界観なのだ。しかし、『人間』の支配領域をはるかに超える本物の『神』に等しい力が働いた場合何をどう扱うのか。地震や台風に罰則は与えられない。『法律』は常に、人間の間でさえも、より力のないものに対して発動するのが実情だ。決して弱者の味方になどなったためしはない。しかし、それよりも上位の存在に対しては無力である。

また、そういった自然現象に対してショッキングな映像でも入手出来ない限りメディアと呼ばれる情報屋は事件に対して無関心である事は正しかった。

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