気まぐれお題創作集
蛙鳴未明
お題「綺麗な死に方」
春の盛りのことでした。
「君、ここにはよく来るのかい」
はい。幼い頃からよく遊びに来ております、と答えると、殿方は目を細めて静かに、華やかに微笑まれました。そのように笑われる方を見るのは初めてでした。すっかり話が弾んでしまいました。
このままずっとお話していたいものです、どこかでお茶でも致しませんか、そうお誘いすると殿方は目を伏せられました。
「そうしたいなあ。僕もずっと話していたい」
不思議と話の中身は思い出せません。けれどなにか、春と夢の混ざった色のような、素敵なお話をしていたように思います。
「でも、そろそろお別れだ」
なにかご用事でも、ときくと、殿方は黙って桜の木を見上げられました。
「桜の木の下には死体が埋まっているんだよ」
殿方はそう言って、老人を思わせる枝をさらりと撫でました。
「でもこの木の下には無いんだ。何故か分かる?」
首を振ると、殿方は微笑みました。薄氷でできたステンドグラスのような笑みでした。
「ここにあった死体は僕なんだ」
ならなぜあなた様は今いったいどうやって。縫い合わせきれない問い掛けの束に、殿方は一言で答えられました。
「会いたかったから」
わたしは思い出しました。小さい頃、花であふれた桜の枝を折り取ろうとするいたずらっ子を止めたこと。あの時と同じ河川敷、同じ桜の前に立っていたことに、わたしはようやく気付いたのでした。
「いつか見た
君はあでやかな桜になるよ。殿方はそう言って、大きな八重桜を一輪、わたしの手に乗せました。風に触れただけで粉々になってしまいそうで、わたしは体を固くします。
「ありがとう」
大風が吹き、花びらが舞いました。
気が付くとわたしは土手で短い春草の中にあお向けになっておりました。空は茜色になっておりました。川面は黄金色をあちこちに放っておりました。あの殿方はどこにもおりませんでした。
胸に置かれた手の中に、あの八重桜がありました。枕元の桜の木を見上げてみると、花はすっかり散ってしまい、冬よりも深い季節にいってしまったような気配がありました。薄桃色がただ一片だけ、枝先に残っておりました。微風に揺らされふわりと浮くと、花びらはひらひらと舞い落ちて、わたしの胸の内の八重桜にそっと静かに触れました。
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