第44話 高校一年・九月 その5


咲良さくらちゃんと美菜みなちゃん、あの二人にまんまとしてやられたわね」


 理科準備室のイスに座り、天井から吊されている天文部たちお手製の木星や土星の模型を眺めながら、篠川しのかわ瀬奈せなは表情を緩める。


 瀬奈は、河合かわい美菜みなからLINEで連絡を受けて、「天文部の展示がされている理科準備室に来て。渡したいものがあるの」と呼び出されたらしい。


 で、やってきても誰もいない。しばし美菜を待っていると、俺がのこのこ来訪したというわけだ。


「美菜にとっては、俺が渡したいものってことか」


 苦笑する俺。


「でもいったい、わたしと井神いかみくんを引き合わせてどうするつもりなのかしら。わたしたち、同じ学校だから、いつも会えるのにね」

「といいつつ、あまり会えていないよな」

「そうね・・・・・・なんだかんだで、忙しいものね」

「コロナ禍で、暇になるとは思ったんだけれどな」

「やっぱり高校生って、忙しいわよね」


 瀬奈とやりとりを交わしていくうちに、教室での美菜と咲良に言われたことを思い出す。



 ――文化祭、一緒に回っとかないと後悔するわよ?



 そのことは、俺もよく分かっていた。また来年、というわけにもいかない。そもそも来年がどうなるのかさえ、予測のつかないご時世じせいだ。


 中学のときまでなら。ごく普通に、誘えたのだろう。だが、いまや俺たちは高校生。しかも、瀬奈は芸能人ときている。そのことが、どうしても気後れする原因になっている。


 いや。こんなのも単なる言い訳に過ぎない。 ただ単純に、臆病なだけなのだ。瀬奈とのこの、くっつかず離れずの関係。ぬるま湯のように居心地が良く、いつまでもひたっていたい距離感。それがずっと続けばいいだなんて、都合の良い願望だ。俺の意思に関係なく、この世界は変化し続ける。時間の流れという絶対的な物理法則には、この宇宙で暮らしている限り、あらがうことは不可能だ。そんなことは分かりきっている。


「そういえば井神くんって、天文部にも入っていたっけ?」


 瀬奈の声が、俺を現実に引き戻す。 


「ああ。といっても、幽霊部員だけれどな。そもそも部活そのものが、幽霊みたいな状態だし」

「ふーん・・・・・・でも、少しは解説できるでしょ?わたし、前から気になっていたんだけれど、太陽系の惑星で、どうして土星にだけあんなドデカいリングがあるのかしら」


 天井から吊された、ボール紙で作られた土星の模型に触れながら、瀬奈は質問してくる。


「確か、彗星とか衛星の残骸って説が有力って聞いたな。土星には、六十以上の衛星があるから、そのうちのひとつが何かの弾みで粉々になってもおかしくないだろう」


 うろ覚えの知識で、なんとか解説をする俺。


「へえ・・・・・・不思議よね。太陽系の惑星で唯一、リングがあるなんて」

「瀬奈。天王星や海王星にも、リングはあるぞ」

「え?そうなの」


 瀬奈は、天王星と海王星の模型に移動して、確認する。


「といっても、土星と比べたらかなり細いけれどな。その模型には、反映されていないだろう」

「そうみたいね」


 瀬奈は、薄水色うすみずいろの天王星模型を確認する。


「あれ?この天王星の模型・・・・・・ここが北極みたいなところよね。だったら随分と横倒しに吊されているわね。間違いかしら」

「いや、それで正しいんだ。天王星は自転軸が九十度以上傾いているから・・・・・・つまり、太陽に対して真横に倒れたような状態なんだ」

「へえ・・・・・・なんでこうなったの?」


 そう問いかけてくる瀬奈は、なぜか随分とこどもっぽく感じられた。


「詳細は不明だが、なんでも大きな惑星サイズの天体が衝突して、こうなったそうだ。それも二回は衝突したとか」

「なるほどね」


 瀬奈は面白そうに薄水色の模型をもてあそび、それから深い青色をした海王星の模型に、興味を向ける。


「海王星はどうなの?」

「えーと、天王星と同じく岩石と氷でできていて・・・・・・」


 海王星に関する俺のつたない解説を、瀬奈は最後まで楽しげに聞く。


「なるほどね。ありがと。わたし文系クラスだから、どうもこういうことに疎いのよね。興味はあるのだけれど」

「あれ?でも文系も地学基礎とかで習うんじゃないのか」

「理科選択は、三学期からよ」


 おっと、そうだったのか。最初からゴリゴリ理科科目ばっかやっている理系クラスの俺には、その辺りはいまひとつ知らない。


「ねえ井神いかみくん。ついでだから、他のも教えて」

「了解。といっても、俺もそこまで詳しくはないけれどな」

「いいの。井神くんから解説される、てのが重要なんだから」


 木星、水星、金星、月に地球。それぞれの模型を示しながら、一通りの知識を披露して、ポスター展示の銀河にブラックホール、宇宙の誕生から終わりまでなどを一気に解説する。


「おお~、パチパチパチ」


 すべての解説が終わって、瀬奈が感心したように拍手をする。


「さすが井神くん。すっかり理系、て感じよね」

「いや、そうでもないさ。理系クラスには、もっとすごいのがいるからな」

「でも文系のわたしにとっては、充分に理系よ・・・・・・あ、そうだ井神くん」


 瀬奈はポンと手を打つ。


「せっかくだからさ、わたしたち英語部の展示にも来てくれない?理系の井神くんに、文系のわたしが解説してあげるね」


 そうだった。瀬奈は英語部に入っているんだったな。英語が苦手な俺からしたら、なにが楽しいのかは分からないが、そこは人それぞれだろう。


「でも瀬奈・・・・・・いいのか。トークショーをさっきしたばっかりなのに、俺なんかと歩いて・・・・・・」


 正直、生徒会主催のあのイベントで瀬奈にどれくらいの注目が集まったのかは分からない。しかし、瀬奈のグラビアとか見たのもいるだろうし、そこに男子の俺とのこのこと歩いていると、どこかで嫉妬を買いそうな・・・・・・。


 だが、瀬奈はそんな俺の不安を見透かしたように言う。


「大丈夫よ。ほら、わたしいま眼鏡にマスクだし」


 瀬奈はおのれの顔を指さす。確かに、トークショーのときはコンタクトにマスクなしの芸能人モードだったが、いま瀬奈は中学生のときみたく眼鏡をかけていて、デカいマスクが顔の半分を覆っている。


 しばしの逡巡しゅんじゅんの後、俺はうなずく。


「分かった。それじゃ瀬奈、案内頼むよ」

「了解であります、井神どの」


 瀬奈が兵隊のような口調で応じる。


 俺たちは、天文部の展示室から出る。


 咲良さくら美菜みな思惑おもわく通り、瀬奈と文化祭を回ることになりそうだ。そのことについては、あの二人に感謝しておかないとな。

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