第35話 高校一年・四月


 入学式も執り行われず、学校に一日も通うことがないまま高校生活がスタートした。


 入学式のなかった世代なんて、日本近代史において、俺たちが最初なのではなかろうか。クラス分けの結果、俺は理系クラスの一年六組だった。


 オンラインで通達されてきた、クラス名簿。に並ぶ名前は、ほとんど見知らぬものだった。一名だけ、同じ中学で見たことのある名前があったが、クラスが三年間違っていたので、顔を知らなかった。


 同じく西高に進学した篠川しのかわ瀬奈せなは、文系クラスの一年一組だという。


 パソコン越しにする自己紹介というのは、実に味気ないな。オンライン上で行われた、入学式の代わりのクラスの顔合わせで、そんなことを思う。とはいえ、家からなのでやりやすくもあるが。なによりも、高校になったら通学時間の関係で早起きしなければ、と覚悟していたのだが、いまやオンライン授業のおかげで、始業ギリギリまで寝ていられるというのがありがたい。


 だがその反面、学校から出される課題が無駄に多い。いや、高校に入ったら勉強はキツいとは聞いていたが・・・・・・内容がどうこういうより、単純に多すぎる。授業もほどほどに、朝から夕方までずっと課題と向き合っている始末だ。おまけに、パソコンでするので、目も腰も疲れてくる。河合かわい美菜みなが以前言っていたように、通信高校と変わらないな、これは。


 そんな風に、殺伐さつばつとした高校生活の俺だが、一応部活動にも入った。以前から考えていたように、天文部と物理部だ。とはいえ、顔合わせをして以降、両部とも今のところ特に動きはない。週一でミーティングでも開催できたら、と部長は言っていたが、なにぶん前代未聞のコロナ禍を受けて、活動内容も決めかねているらしい。


 とまあこんな感じで、入学して2週間ばかりが過ぎた。


 本日も不登校日なので、やたらと多い課題をパソコンでこなしているとき、篠川しのかわ瀬奈せなからメッセージが届いた。 家に籠もり、パソコンの前で課題を消化するだけの作業に、少々うんざりしてきていた頃合いだったので、俺はスマホを手にしてアプリを開く。


『お久しぶりです、井神くん。元気にしていますか?コロナにかかっていたりしていない?ちなみに、こちらは大丈夫です』


 瀬奈からのメッセージはこんな一文で始まっていた。


『・・・・・・それでね、さっそく本題に入るけれど・・・・・・このたび、私・篠川瀬奈はめでたく初グラビアが掲載されることになりましたー!!!(パチパチパチ、と拍手の絵文字)』


 おおっ・・・・・・!ついにか。この前、文芸部グループLINEで話していたのは、このことだったのか。動悸の高鳴りが抑えられなくなる俺。


 しかも、更に続く文章は、胸のドキドキを更に加速させていった。


『そして、なんと・・・・・・!!今日、初めての撮影でした!!いや~、ほんと緊張したな~。でも、カメラマンさんもスタッフさんもみんな、とっても優しくて、親切で、瀬奈は素晴らしい一日を過ごすことが出来ました』


 ついに、撮影だと・・・・・・!?今まで散々妄想してきた瀬奈の水着姿が、脳裏を高速で駆け巡る。落ち着け、落ち着け、俺。


『ということで・・・・・・井神くんだけに、本日の撮影の様子のオフショを特別にお見せしちゃいます。あ、これ、SNSとかに上げるのはナシだからね?分かっているだろうけれど、念のため。井神くんだけだからね!』


 俺は、瀬奈からのメッセージを読みながら、夢中で画面を下へとスクロールする。


『でもね・・・・・・今、コロナでしょう?そんなご時世だから・・・・・・ほら(;_;)』


 瀬奈から送られてきた写真を確認する。泣き顔の顔文字と共に送られてきた写真を見て、思わず噴き出してしまう。


「はははっ、なんだよこれ」


 どこかのスタジオだろう。ソファの上で、白い水着姿の瀬奈がポーズをとっている。両手を前に突き出し、四つん這いを崩したような恰好だ。


 やっぱり瀬奈はスタイルが良かったんだな、と思わせる。白い肌、優雅な身体のライン。眼鏡をとった顔は、そこそこ可愛いし。


 俺とて健康なヘテロセクシャルの男子高校生。本来だったら、こんな写真を見て、性的欲情するはずなのだが、どうしても今見ている写真を前にして、そういう気湧き起こらなかった。


 なぜなら――瀬奈の顔面は、デカくて透明なフェイスシールドに覆われていたのだ。


 水着という、肌の露出の多い姿に、透明なプラスチック製の仮面。その不思議な光景は、俺のリビドーよりも笑いの感情を刺激したのだ。


「コロナ対策だからって・・・・・・わざわざこうまでしてグラビア撮影ってするものなの?」


 ピコン。通知音を告げる音がする。


『ちょっとー?井神くん、笑ってない?』


 まるで、俺のことを見透かしてるような瀬奈のメッセージ。


『ごめんごめん・・・・・・でもあんまし面白かったし』

『あー、やっぱり笑っていたんだっ!ひっどーい。もう見せてあげないからね』

『悪かったよー。でもきっと、瀬奈なら覇権狙えるよ』

『・・・・・・お世辞いっても、なにもでないからね。でも、ゆくゆくは演技のお仕事もしてみたいかな。とりあえず、芸能界の一歩を踏み出せたのは、間違いないわね』

『そうだな』


 ついに瀬奈の身体が、こうして衆目しゅうもくさらされる日がきた。いや、瀬奈なら上手くやっていけそうな気がするが・・・・・・俺の心は、それだけでは収まらない。「グラビアアイドル セクハラ」「グラビアアイドル 枕」とか、そういう単語をどうしても連想してしまうし、意味も無くそういったワードでネット検索をかけたのも一度や二度ではない。


 だが、俺になにができるというのだろうか。瀬奈には瀬奈の道があるのだし・・・・・・でもな、やっぱり不安だ。


 そんな複雑な俺の気持ちが、半ば無意識的に、瀬奈へのメッセージを送っていた。


『瀬奈。おめでとう。心から応援するよ。嫌なことあったらいつでも俺に――男の俺がダメだったら、美菜みなとか咲良さくらに、相談しろよ』


 しばしの静寂をはさみ、瀬奈から複雑そうな表情をしたカメのキャラクターのスタンプが押される。それに続いて、メッセージがくる。


『井神くん、ありがと。でも大丈夫よ。今のご時世じせい、感染のリスクを恐れないで、わざわざセクハラする奴なんているかしら』


 俺がなにを言わんとしていたのか、瀬奈にはすぐに察しがついたようだった。瀬奈、かんが鋭いんだな。


『でも、オンライン就活セクハラとかで、部屋を見せろとかいう話も聞いたぞ』

『わたしたち、まだ高校一年じゃん・・・・・・うん、でも分かった。なにかあったら、美菜ちゃんか咲良ちゃんに相談するね』

『やっぱ俺じゃダメか』

『時と場合に寄るわよ。だって井神くん、男の子なんだもん』


 メッセージの中の「男の子」という単語に、少し意識をかき乱された。そっか。瀬奈は俺を異性として認識しているんだな。なにを当たり前のことを、といわれそうだが、こうして改めて言語化されると、ちょっと緊張感に満ちた、不思議な気持ちだ。


『井神くん、わたしの写真見ていやらしいこと考えていないでしょーね?』


「決してそんなことはありません」とマンガのキャラが台詞で発しているスタンプを返す俺。


『ま、性の対象になるのは、グラビアアイドルの宿命だけれどね・・・・・・わたしもそれは覚悟のうえだし。井神くん。それじゃ、またね』


「じゃあねー」とアニメのイケメンキャラが言っているスタンプが送られ、俺たちの会話は終わる。


 トークルーム内の瀬奈とのやりとりを見ながら、俺は大急ぎで、今日撮影したという瀬奈のフェイスシールド水着姿をスマホに保存する。


 しばしその姿を眺めたのち、俺はスマホをしまう。


 なんにせよ、瀬奈は自分の道を一歩踏み出したわけか。俺もなにか、やりたくなってきたな。とりあえず、物理部や天文部の活動についてなにか意見をだしてみようかな。


 そう思いつつ、俺は課題に戻るのだった。

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