第4話 中学一年・七月


 期末テストも終わり、テスト期間中は休みだった我が文芸部も、今日から再び活動が始まる。


 で、今日はひとまずミーティング。パソコン部の回転椅子を車座にして、俺たちは部誌の内容について打ち合わせをする。


井神いかみ、ここの文章、間違っているけれど」

「ああ。悪い悪い美菜みな。修正しておく」


 河合美菜かわいみなの指摘に、俺は返す。


「ところで井神くん、頼んでおいた巻頭言、出しておいてくれたかしら」

「ああ、咲良さくら。昨日の晩、データを送っておいたんだけれど」


 河合咲良かわいさくらにそう返す俺。

 

 一時間ほどのミーティング(といいつつ、半分以上は雑談だったが)が終わり、部員たちは帰ってしまった。


 俺と篠川は、部誌に載せるのがまだできていなかったので、もうちょっと書くために残ることになった。


 そうやって、小一時間ほど作業をしてからだろうか。隣の篠川しのかわが唐突に口を開いた。


「ねえ、井神くん」

「なんだ、篠川」


 カタカタとキーボードを打ちながら、俺はパソコンの画面に視線を落としたまま返す。


 すると、不意に篠川の白く細い腕が伸びてきて、作業中の俺の腕をがしっと掴む。


 突然発生したボディタッチに、俺の頭は思考停止状態、真っ白になる。


「もうっ、井神くん!人が話すときは、ちゃんとこっち向いてよ!」

「な、なんだ・・・・・・?」


 篠川から掴まれた感触に、動悸が止まらない俺は、努めて平常心を装いながら、くるりと椅子を回転させて、篠川に向き合う。


 つーか、いきなりなんなんだ?普段、作業しながら会話することなんて、我が文芸部では当たり前のことなんだが。なぜ今日に限って、こんな対面にこだわるんだ、篠川は。


 眼鏡の奥の篠川の瞳は、心なしか悲しそうな寂しそうな、そんな色合いをたたえていた。


「井神くん・・・・・・ちょっとお話があります」

「お、おう・・・・・・なんだ、今更改まって」


 篠川の語気の端々に小さな怒りが見て取れて、気圧される俺。


「井神くん、美菜ちゃんと咲良ちゃんのこと、いつも下の名前で呼ぶよね?」

「ああ、確かにそうだが・・・・・・」


 仕方ないだろう。名字で呼んだら、どっちも河合だ。まさか河合A、河合B、と呼ぶわけにもいかない。


「そりゃあ、美菜ちゃんと咲良ちゃん、どっちも同じ河合っていう名字だもんね。名字で呼ぶと、混乱する」


 なんだ、分かってるじゃんか。


 だが、篠川の説教はそこでは終わらない 


「でもさ、なんかこう、聞いていて心がざわざわっ、てするの。分かるかな」

「どうしてだよ?」


 俺の返しに、篠川は少しだけ顔を赤らめて、プイッと視線を明後日の方角へと転じる。


 両手をすりあわせて、もじもじしながら、篠川はポツリポツリと言葉を漏らす。


「だってさ・・・・・・なんかこう、付き合っているみたいじゃん・・・・・・男子が女子を、下の名前をで呼ぶなんて」

「はぁぁぁぁっ!?なにいってんだお前」


 今度は俺が怒る番だった。俺が河合咲良と河合美菜と付き合っているなんて、なんの冗談だ。


「なあ、篠川。落ち着いて聞いて欲しいんだが・・・・・・お前のその論法だと、俺は二股かけていることになるだろう?」

「あ、そっか・・・・・・」


 篠川は今更ながら気付いたような表情をする。おいおい、なんだこの不毛なやりとりは。


「篠川。当たり前だが、俺はあの二人となんもないからな。てか、付き合っているとかなんとか、意味不明なことを最初に言い出したのはお前だろう」


 つーか、彼女いない歴=年齢なんだが、俺。


「うぅ・・・・・・それもそうだけれど・・・・・・」


 篠川は割り切れないといった表情だ。悔しさをにじませた目で俺を見てくる。


「つーかさ。別にいいだろ、名前くらい。河合と河合じゃ、どっちか区別がつかない。あくまでも便宜的なものだ」

「そりゃあ、分かっているけれど」


 まるで幼児のように頬を膨らます篠川に、俺は更に追い打ちをかける。


「だからさ、別にこれでいいだろ。俺はこれからも、二人の河合を美菜と咲良、て呼ぶ。別に親しいとかじゃない。ただ、便宜的な区別のためだ」


 篠川はなおも面白くなさそうにする。せめてもの反論、といった感じで、篠川はぽつりと呟く。


「じゃあさ・・・・・・わたしのことも、下の名前で呼んでよ」

「え?」


 一瞬、篠川の言っていることの意味が分からなくなる俺。


「どうしてそうなるんだ?文芸部に篠川は一人しかいないだろう」


 なんなら、学年にも一人しかいない。


 だが、篠川は強情を貫き通す。


「どうしても!いいじゃん、わたしのことを下の名前で呼ぶくらい。減るもんじゃないし・・・・・・ほら、言ってご覧なさいよ、瀬奈って」

「え・・・・・・おう、瀬奈・・・・・・」


 俺は小さな声で彼女を下の名前で呼ぶ。


 篠川しのかわ瀬奈せなは、かぁぁぁぁっと顔を赤くする。だが、リンゴのように真っ赤になりながらも、その表情は輝いていた。


「うん、もう一回呼んでよ!」

「なんでだよ。いいだろ、もう呼んだんだし」

「もう一回!」


 俺はためらいつつも、もう一度彼女の名前を呼ぶ。


「・・・・・・瀬奈せな

「うんうん、じゃあもう一回いってみよー!」

「嫌だし。てか篠川、なんか楽しんでいないか?」

「あー、また名字で呼んだー!もう一度やり直し!」


 すっかり瀬奈のペースに呑み込まれる俺だった。


 ものすごく気恥ずかしかった。


 こうして、俺は篠川のことを下の名前の「瀬奈」で呼ぶことになった。

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