第14話 ラストダンス
「鈴を返せッ!」
叫び。それは――犬将軍のもの。
僕は慌てて振り向く。彼女のほうに。
「……鈴を返せ。それがなければ……奪われれば、私たちは、終わる! 返せ……返さぬならば……奪うのみ……ッ!」
武器を構える騎士や武士の犬人間たち。臨戦態勢。
――あいにく、僕も奪われるわけにはいかない。生きて、帰らねばならない!
「うるか!」
少女の名前を呼ぶ。
その猫は、ゆっくりと立ち上がって、僕のもとへと歩き。
「にゃ……準備、おーけー。覚悟はできてるにゃ」
言いながら、少女の姿へと変貌する。
そして、手を握って。
「死ぬときは一緒、にゃ」
「オッケ。じゃあいこうか。――
力を抜き気味に、僕はつぶやく。その言葉を。
[ああ、わかったぜ――!]
鈴の声。そして「変身」は始まる。
全身が砕けるような痛みとともに、割れるような痣が腕から顔、身体を覆いつくし。
蘇った左腕。深く息を吸って、吐き出して。
消えかけの少女に口づけをし――少女の身体は光の粒子に姿を変え、僕の身体へと取り込まれていく。
あとに残ったのは――ただ一人。
白いブラウスに、パニエでふんわりと広がった、カフェラテのような淡い茶色を基調とした可愛らしい膝丈のジャンパースカート。満載の少女趣味の意匠。頬を染めた少年。
黒のメリージェーンは、カッと足音を鳴らして、板張りの床と接吻した。
猫耳がパタパタと動き、透き通るような茶髪がふわりと舞う。
――羽が舞う。眼帯の紐がちぎれる。開いていなかった片目が開く。
曰く、その開いた左目は金色だったのだという。
僕の瞳はもともとごく普通のこげ茶色だったが。
そのとき、右目は透き通った緑色だったのだという。
うるかの目の色――金と緑のオッドアイに、変わっていたのだという。
陶磁のような白い肌をバフスリーブから存分に露出させたその少年は、スカートとヘッドドレスを揺らしながら、あたかも天使のごとく微笑んだ。
「バカにしているつもりか! ――少し姿が変わった程度でッ!」
迫る犬将軍。狙うは僕の首元のチョーカー――についている、鈴。
圧倒的なスピード。巻き起こす風だけで周りの犬人間が飛ばされそうになっている。
しかし、僕は笑った。
――腕同士がぶつかった。
首をかばった右腕。僕を殴りつける右腕。
一瞬のせめぎあい。僕は跳ね飛ばされる。
数秒の滞空時間と共に降り立った僕に、彼女は。
「我々の誇りを、安息を――よこせ、その首をッッ!!」
叫び。
猛攻。
衝撃。
――パンチを受け止めた腕が痺れ――しかし、休む隙すら与えられやしない。
びりびりとした衝撃が、連続して僕を襲う。
内臓が、脳が震わされるような、打撃打撃打撃。
それをすべて片腕で受け切って。
しびれた片腕。吐き気。しかし。
「左腕は――無事だ、にゃあっ!」
正面に突き出した拳――爪を振りかぶり。
ザッと引っ掻き、足のバネで瞬時に離脱する。
「……ッ、少しはやるじゃないか小僧」
「そりゃどうも。でも……」
「渡さないというのだろう。覚悟はわかった」
犬将軍は息を切らしながら、しかしなおも鋭い眼光で僕を見つめる。
「だが奪われるわけにはいかんのだ。その願望器は誰の手にも余る。故に、我々が封印せねばならぬ」
――目の前の女の覚悟。僕は身をすくめられ。
「されど生を望むのならば……まずは私を倒してから言うがいいッ!」
一瞬、動き出しが遅れる。
弾丸のような犬将軍の初動、僕は反射で腕を出し――衝撃が全身を襲う。吹き飛ばされる。
「どうした、触れてもいないぞ!」
これが本気か。犬人間の大将の。
目を見張る僕に、彼女は。
「……まさかその程度の力で鈴を守るなどと……笑止ッ!」
怒り気味のその言葉に、僕は唇を噛んだ。
空中でどうにか姿勢を安定させ着地し……目の前に現れる犬将軍の顔。滑る床に爪を立て。
「破ァッ!!」
犬将軍の正拳から放たれる衝撃波。最大限の柔軟をもって倒れ込むように回避し。
どすりと耳の横に突き刺さる音。
右耳のすぐそばの床に、犬将軍の拳が突き刺さっていた。
恐怖心を噛み殺し、僕は呼吸して。
起き上がり、瞬間、飛び退き――宙返り。
「キャットサマーソ――」
「遅いッ!」
だん、と衝撃。
その腕は骨太で、しっかりと僕の攻撃を受け止めていた。
「……攻撃は重い。身のこなしもいい。ただ、予備動作が多いな」
ミシミシと軋む。それが「どちら」なのかはもはやわかりはしない。
「見切られれば防がれる。こんな風にな……ッ」
「――っ」
舌打ち――呼吸――もう片方の足で蹴り上げ、あたかも無重力のように宙返り。距離をとって。
――どうする。
着地、見据える目標。
――どうする、どうする。
すっと、呼吸して。
――どうする、どうする、どうする!
「焦りすぎだァ!」
叫び。攻撃。受け止めた腕。じんじんと痺れ、呻き声。
吐きだした息。――氷のように冷たく鋭い眼光。
再び距離を取り、一瞬の落ち着きとともに、僕は少しの冷静さを取り戻す。
落ち着け。落ち着くんだ。
――考えろ。生きるために。
地の利はどう考えても向こうにある。この一面の床に、戦術上のメリットもデメリットもない。
どうする。
深呼吸して。
「大丈夫。一人じゃないにゃ」
ぽん、と肩を叩かれたような幻覚。それだけで僕は、頑張れるような気がして。
「うん。ありがとう」
独り言。迫る犬将軍。僕は微かに笑った。
「落とし穴、作れるかな」
[ああ、お安い御用さ]
――目の前に、大穴が顕現した。
「その程度、飛び越えて――」
想定済みだ。
大穴が出現したのは「僕の目の前」。着地地点はちょうど僕の立っている場所になる。
滞空中は思いのほか身動きがとりにくい。すなわち。
「――はめられたか」
気付いたとして、時すでに遅し。
「……ネコ、パンチっ!」
僕の拳の一撃が、犬将軍の腹に突き刺さる。
作用反作用の法則に従って僕らは引き離され――飛ばされる犬将軍の身体。僕は、足を目いっぱい曲げて、それに向かって跳躍した。
数メートルの最高点でくるりと宙返りをして、そのまま重力に従って落ちていく。
ちょうど、かかと落としの態勢で。
「キャットサマーソルトっっ!!」
犬将軍の脳天に深く深く、靴が突き刺さる。
呻き、しかし、どこか嬉しそうに。
「ふ、はは、ははは!」
豪胆な笑い声。
そして、轟音が鳴り響いた。
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