誘拐少女と探偵 - 9

 紅坂さんが部屋を出て行ってから三十分以上の時間が経過した。


 僕は紅坂さんの指示通り、部屋の中で少女と紅坂さんが帰ってくるのを待っていた。少女は紅坂さんに対しては警戒をむき出しにしていたのだが、なぜか僕には懐いてくれたので、こうして二人で留守番をすることになったのだ。


 今は僕の膝を枕にして、毛布にくるまり気持ちよさそうに寝息を立てている。年齢は四、五歳くらいだろうか。寝顔にあどけなさが感じられる。


 僕は目元が隠れるほどに伸びた少女の髪をそっと撫でる。長い間風呂に入っていないのだろう、長い黒髪皮脂でべとべとだった。


 服はそれほど汚れていないみたいだが、部屋の中はひどい有様だ。大量のお菓子やコンビニ弁当などの残骸があちこちに投げ捨てられており、いろいろな食べ物の混じった悪臭が立ち込めている。


 しかし何より気になるのは、少女の細い腕にはめられた手錠だ。


 二つの輪のうちの一つが少女の右手に繋がれている。もう片方の輪は開いたままぶら下がっているだけだが、二つの輪を繋ぐ鎖の部分にチェーンが巻かれ、チェーンによって手錠と部屋の柱とが結ばれていた。チェーンの全長はわからないが、部屋の外へ出られる長さではなさそうだ。


 頑丈に巻かれた鎖から少女を解くために、紅坂さんはホームセンターへと向かってくれている。鎖を切断できる器具を買ってくるとのことだ。


 少女の事情については、彼女の思考を読んだ紅坂さんから教えてもらった。


 この子は『ツキノ』ちゃんという名前らしい。どんな漢字なのかは彼女自身が知らないため、紅坂さんにもわからないということだった。


 てっきり誘拐でもされているのだと想像していたが、この家に住んでいる子供らしい。一緒に住む父親によって手錠をかけられ、こうして監禁されているのだった。


 監禁されている理由についてもツキノちゃんは知らなかった。


 というのも、ツキノちゃんは耳が聞こえていないのだ。聞くこともできなければ、話すこともできないし、文字によるコミュニケーションも取れない。


 紅坂さんという異端の能力者がいなければ、少女から情報を得ることは不可能だっただろう。父親からこんな扱いを受けているのも、ツキノちゃんが持つ障害が理由だったのかもしれない。


 その父親は一週間前に出て行ったきり戻ってきていないということもわかった。部屋中に散らばる食べ物の残骸は、父親が置いて行った食料をツキノちゃんがこの一週間で食べ散らかしたものだった。


 これだけの食料をツキノちゃんの手の届くところに置いて行ったということは、長期間戻ってこないことを見越していたのだろう。父親が今どこにいるのかはツキノちゃんにも心当たりはないようだ。


 また、ツキノちゃんの思考から、僕がこの家と何ら関係がないこともわかった。彼女の記憶の中に、僕の姿はなかったと紅坂さんは言う。


 こうしてあっけなく僕らがここへやって来た目的は消えてしまったわけではあるけれど、幼い女の子が監禁されている家と自分の間に関係がなかったことはむしろ喜ぶべきことだった。

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