誘拐少女と探偵 - 3

「なるほど。姉さんから聞いた通りだね」


 紅坂さんは腕を組み、大げさに頷く。


「あの――」関係ないことで口を挟むべきではないとは思ったが、どうしても気になってしまい、僕は聞くことにした。「紅坂さんは奈々瀬さんの妹さんなんですか?」


「違う違う。あたしも昔、とある事情で帰る場所をなくしてね。そのときに姉さんに拾われたの。里子として引き取られたから、位置づけとしては親子に近い関係のはずなんだけど、母親呼ばわりをされるのを向こうが嫌がって、それで『姉さん』って呼んでいるんだ」

「なるほど。そういうことでしたか」


 通りで二人の苗字が違うわけだ。


「それにしても、記憶喪失か。自分の名前も覚えていないんだよね?」

「覚えていません。ただ名前がないと不便だからと、奈々瀬さんから『真雪まゆき』という仮の名前を付けてもらいました。僕が事故に遭った日に、初雪が降っていたからというのが理由みたいです」

「真雪くんか、いい名前だね」


「そうだ」そこで僕は奈々瀬さんから預かっていた物を思い出した。「これを紅坂さんに渡すようにと言われていたんでした」


 そう言って、ポケットから取り出した物をテーブルの上に置く。紅坂さんは人差し指と親指でそれをつまむと、目の前にかざす。


「これは、鍵かな? それにしては小さいし、造りがかなり簡素だね。家や金庫の鍵にはとても見えない。鍵と言うよりゼンマイと言った方が近いかな」

「僕が記憶を失う前の所持品らしいです。これが何の鍵なのかはわかっていないんですけど、紅坂さんに渡せば手掛かりになるだろうと言っていました」

「そうだね。何かしら情報は得られると思う。ただ時間が掛かると思うから、気長に待ってて」


 紅坂さんは上着のポケットに無造作にしまった。唯一の手掛かりがそのまま忘れ去られてしまいそうで不安になるが、立場上指摘するのは憚られる。態度や口調は軽いが、仮にも探偵を名乗っているのだから、そんな失敗はしないはずだ。


「そうそう、記憶を見つかるまでは、この事務所に居候してもらうことになってるから」

「えっ?」

「あれ? 姉さんにから聞いてない?」

「いえ、聞いてはいたんですけど……」


 奈々瀬さんに言われたときは、紅坂さんのことを男性だと思っていたので抵抗はなかった。しかし女性となれば話は別だ。突然、自分より少し年上であろう女の人とひとつ屋根の下で暮らすことになり、動揺するなと言うのは無理な話だ。


「なになに、照れてるの?」

「……それは、そうですよ」

「まあ取って食おうってわけじゃないから気楽にしてよ。君の生活費を含めた依頼金も姉さんから受け取ってることだしさ」


 考えてみれば当然だけれど、探偵に仕事を依頼しているのだから、そこにはお金が発生している。それは本来、僕が出さなければいけないお金なのに、赤の他人の奈々瀬さんに甘えていることに申し訳ない思いが募る。お金はいずれ返すにしても、おんぶに抱っこの今の状況に息苦しさを覚えた。


「紅坂さん」窮屈な思いを何とかしたくて、僕は提案する。「住まわせてもらう間、紅坂さんの仕事の手伝いをさせてくれませんか?」


「別に気を使わなくても大丈夫だよ。お金はもらってるんだし」

「それだと僕の気が済まないんです。雑用でも何でもします」


「うーん」紅坂さんは顎に手を当て思案する。「真雪君がどうしてもって言うのならお願いしようかな。もちろん給料は払わないよ」


「ありがとうございます」


 僕は頭を下げる。心がわずかに軽くなった気がした。


「ところで、探偵ってどんな仕事をするんですか?」


 探偵と言えば、殺人事件に駆けつけて颯爽と解決しているイメージがある。しかし現実ではそれは警察の仕事であり、探偵は浮気調査などを主な業務としていると聞いたことがあった。どこで知ったかは覚えていないのに、こうした知識は記憶を失っても残っているようだ。


「仕事内容は依頼主によってまちまちだよ。私はね、どんな依頼であっても断らないことを信条としているんだ」

「どんな依頼でも、ですか?」

「そう。友達が欲しいという依頼であれば友達を作ってあげる。離婚の理由が欲しいという依頼であれば理由を生み出してみせる。形あるものも無いものも、森羅万象があたしにとっての商売対象なの。でも、そんな職業はないものだから、便宜上探偵と名乗っているってわけ」


 誇らしそうに語る紅坂さんだが、規模が大きすぎて僕にはピンとこなかった。何とか言葉を絞り出し、「手広くやっているんですね」と曖昧な相槌を入れる。


「一つの業種に絞れないってのは、何でもできちゃうことが故の悩みでもあるんだけどね。できる女はつらいよ」

「僕の記憶探しも紅坂さんからすれば、数ある仕事の一つに過ぎないってことですね」

「そういうこと」


 例えば別の誰かがこんな大言壮語を吐こうものなら、依頼するこちらとしては不安の一つでも覚えそうなものだろうが、どうしてか彼女の言葉には信頼できるだけの力を感じた。


 不思議な気持ちだ。まだ会って間もないはずなのに、彼女がいれば本当に記憶が取り戻せるような気がしてくる。


 それと同時に不安もあった。紅坂さんの能力に対してではなく、記憶を取り戻すことに対する不安だ。警察で取り調べを受けていたときもそうだった。記憶が戻りそうな予感がすると心がざわつく。


「どうしたの?」


 僕の様子がおかしいことに気が付いたのか、紅坂さんは先ほどまでの軽薄さを残しながらも、どこか真剣な面持ちで聞いてきた。本心を話すべきか迷いはあったが、僕は正直に言うことにした。


「嫌な予感がするんです。記憶が戻ったとき、何か取り返しのつかないことになる気がして」

「まあ、自分が知らない自分の姿を知ることになるわけだしね。ナーバスになるのもわかるよ」

「本当に僕は記憶を取り戻していいんでしょうか?」

「あれ、怖気づいちゃった? 依頼内容を変えるのなら今のうちだよ。あたしには依頼された仕事が何であれ、完璧にこなせる能力があるからね。後は真雪くん次第だ」


「僕は――」気が付けば僕は頭に浮かび上がった言葉をそのまま口にしていた。「僕は幸せになりたいんです。紅坂さん、僕に幸せを売ってくれませんか?」

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