不運な夢魔~美女を狙ったつもりが男の娘だったなんて!

 何て不運だと思った。完璧な美女だから色欲に堕とす一人目にふさわしいと思って声をかけたのに、まさか男だったなんて。


「よりにもよって男に声をかけたなんて失態中の失態だ」

「男の娘の姿を楽しんでるだけなのに、その言いぐさはひどいなぁ。ほら、今夜の格好もなかなかいいと思わないかい?」

「黙れ。いくら見た目が美女でも男のおまえに用はない……って、ちょっ、」


 後頭部に手を回されて驚いた。そのまま近づいて来る美女の顔に思わず目を瞑ると、クスクスと笑う声が聞こえてくる。


「ここで目を瞑るなんて、ほんと可愛い」

「黙れ!」


 人間ごときに可愛いなんて言われる筋合いはない。そもそも夢魔の俺にキスを仕掛けようなんてどんな人間だ。こんなとんでもない奴とは関わりたくないと思っているのに、もう一週間も纏わりつかれている。


「いい加減諦めたら?」

「何をだ」

「僕から逃げようとすること。ついでに僕に身を委ねてくれると嬉しいんだけど」

「ふ……ふざけるな! 俺は誇り高き夢魔だ! 七人の美女の精を喰らって一人前になればアスモデウス様に仕えることができるんだ! それなのに、み、身を委ねるとか何を言って、」

「顔を真っ赤にしちゃって、ほんと可愛いなぁ」

「……っ」


 また笑いやがった。眩い金髪に湖面のような碧眼などという、まるで大天使のような見た目に無性に腹が立つ。俺はそういうキラキラした美しさが苦手なんだと、思わず視線を逸らしてしまった。


「きみがアスモデウス自身になるまで待ってもいいんだけど、僕としては早く取り戻したくてね」


 少し離れた男が何かつぶやいた。よく聞き取れなくて「何か言ったか?」と問いかけながらチラッと見る。


「なんでもないよ」


 そう言って男が笑顔を向けてきた。そんな些細な笑みにさえ戸惑ってしまう。


「と、とにかく、これ以上俺にかまうな」

「それは無理」

「黙れ。そもそも人間ごときが夢魔に纏わりつくなんて話、聞いたことがない」

「だろうね」


 眩しい微笑みに、なぜか一瞬だけ懐かしさを感じた。ぐらりと揺れた脳裏に輝かしい笑顔をした誰かの姿が浮かぶ。その人物が伸ばす手は美しく、背後には真っ白な六枚の……。


(いまのは何だ……?)


 まるで大天使のようだと思った。大天使なんて夢魔の俺には縁遠い存在で見たことすらない。それなのに、なぜ大天使の姿が思い浮かんだんだろうか。

 戸惑う俺の頬を、完璧な美女に化けている男が指先でつつっと撫でる。その感触に背筋がぞわっと粟立った。


「完全に堕天するのを待ってもいいんだけど、僕自身が辛抱できなくなりそうなんだ」

「な、何の話をしている」


 勢いよく手を払ったというのに、男は機嫌がよさそうな表情を浮かべている。


「こっちの話。それに本来担うべきは逃げ出した天使の回収だしね」

「天使の回収?」


 何の話だ? 聞き慣れない言葉に首を傾げると男が極上の笑みを浮かべた。


「せっかく僕の部屋に囲っておいたのに逃げ出した智天使がいてね。まったく、もう何度目かなぁ。毎回きちんと鎖を付けて、前回は風切り羽まで切っておいたのに逃げられちゃった。で、その子を捕まえるのがいまの僕の役目というわけ」


 そう言って笑った美しい顔に背中がゾクッとした。

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