第27話
祀梨ちゃんへ
これを読んでいるあなたの隣に私はいないんだろうね。もしこれを読んでいるのが祀梨ちゃんじゃないまったく別の誰かであるなら、今すぐびりびりに破って、焼き捨ててください。それが私たちのためです。
なかったことにしてほしいです。たぶん、そのときはこっちで二人仲良く暮らしているので。二人揃ってなら地獄も悪くないかもね。
生きているあなたがこれを読んでいると仮定して、伝えたいことを伝えます。そのために残したものなのだから。声を録音してというのも考えましたが、それだとあなたを縛り続けてしまうかなと思ったんです。
そうなんです。この手紙の趣旨はずばりそこ。もういいよって伝えておきたくて。死んだ直後じゃなくて、きっかり一年後、いろんな意味で記念日にしたのは私なりの最後の悪あがき。
この一年間で私のことをどんなふうに思ってくれましたか。どれだけ考えてくれたかな。恨んだり、憎んだり、悔やんだり。そういうマイナスじゃなかったらいいな。そんなこと書きつつも、祀梨ちゃんが私を強く思ってくれていたなら、憎悪でもいいって思う。半分死んでいる状態で、この手紙の内容がまともにわからない頭になっているのが一番怖いです。もしも、後は死を待つだけの生き物になっているのなら、どうか祀梨ちゃんにも安らかな死が訪れるようにって祈っておきますね。
もういいんだよ。
これです。伝えたいこと。
何度も書かないと私自身が諦めきれないので。正直なところ、諦めたわけでもないんです。諦めていたら、道ずれになんてしようとしないから。
この手紙を書きはじめる前に書かないと決めていたのを、書いちゃいます。
好きです。
遠野笑実理は鹿目祀梨のことが大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大大好きです。
数えたら54個。きりが悪いですね。
文字通り大の字で倒れている人がいっぱいです。皆で立って、手をつないで踊っているのかもしれないね。そっちのほうが気分としては明るくなれる想像です。
あやうく手紙を汚しちゃうところでした。
やっぱり声にしておけばよかったかな。私が泣いていたら、祀梨ちゃんも泣いてくれるかな。うそうそ、こんなの書きたいんじゃないの。
もうなんかあれだよね、あれ。ですます調かどうかも統一できていない。こういうの私、気にする人だったんだけどね。
過去形。もうすぐ過去になる。
いっしょに死ねたらいいな。
一年後の生きている祀梨ちゃんにこんなことを言うのは間違っているかな。大丈夫、きっといつ死んだっていっしょになれるよ。
数えてみたらまだ1000字ちょっと。私の人生を振り返るには足りないな。祀梨ちゃんとの思い出を語りきるにはあと100枚ぐらいいるのかな。でも1枚におさめるって決めているんです。
読み返すと、半分以上、二重線を引いてしまうか消してしまいたくなる。でも残しておく。
祀梨ちゃん。綺麗な名前だよね。こうやって書くことってこれまでほとんどなかったけど、書いてみていっそうそう思う。祀梨ちゃんにぴったり。
もういいよ。これだけ伝わればいい。けど、伝わらないほうがいいのに。
死ぬその瞬間まで信じてもいいですか。あなたが私を好きだったこと。私の好きがあなたの好きより何倍も大きかったのがいけなかったんだよね。そんなことないって言ってくれたけどね。でも、私はあなたのために死ねる。あなたがそうじゃないってわかっている。
生きていてほしい。いっしょに死にたいと同じぐらい強くそう思って、だからぎりぎりにしておきました。
神様って信じてる? いたら私を止めてくれるかな。
ごめんね
忘れないで
※ ※ ※
次から次へと襲ってくる後悔を振り切って私は読み終えた。遠野笑実理、すなわち死んだ少女から一年越しの最後のメッセージ。これは私が読んでいい手紙じゃなかった。
私は手紙を祀梨へと差し出す。でも彼女はそれを受け取ることのできる状態になかった。しかたなしに私は丁寧に折りたたむと封筒にもう一度入れた。何事もなかったようにしまい込んだ。
肩を震わせ、とめどなく涙を流している彼女を抱きしめられない不甲斐ない自分が憎かった。野々井さんのときと同じようには抱きしめることができなかった。資格がないと私の頭が告げているのだった。私にそうする資格がないと。
嗚咽混じりの「ななみさん」は聞き取れなかった。彼女から抱き着かれてようやく、それが私の名前だったとわかった。彼女が口にしたのは死んだ女の子の名前ではなかった。
私は拒めない。拒まない。なんだか一回り小さくなったような彼女が力いっぱい私を抱きしめてくるのだ。何かに縋っていなければ、この世界をそんなふうに掴んでいなければ、遠くの彼方へ吹き飛ばされてしまいそうな抱きしめ方だった。
どこにも行きたくない。それが彼女の心だと決めつけられはしなかった。でも私は、八尾ななみとしてこう思った。この子をどこにも行かせたくない。離したくないって。
だから抱きしめ返した。やっと。
とけあってしまえたのなら、もう一度そんなことを考えて、けれど今度はそれじゃダメだって感じた。私は私で、彼女は彼女なのだ。
きっと遠野さんも思い知ったのだ。
二人は一つになれないと。
「ここにいさせて」
泣き止まない祀梨がそう伝えてきたときにはもう、涙で私の服はぐしょ濡れだった。私は彼女のその言葉に、選択に、そして決意に感極まった。「もちろんよ」と返した。そのはずだ。透き通ることのない私の涙声が彼女に届いたのを願う。
お昼前になって祀梨がようやく落ち着いた。私の太腿を枕にしてソファに寝転がっていた。彼女の髪を私は撫でる。どんなふうに沈黙を破ればいいかわからなかった。今日はこのまま時が過ぎるのを待つのがいいかもしれない。そんなふうに考えていた私に祀梨がそのままの姿勢でぽつりと呟く。
「約束、前倒しにしよっか」
私は撫でる手を止めた。すると、彼女がゆらりと起き上がる。
「話すよ。話しておきたいの。わたしが知っている範囲でね、笑実理の最期のこと。これまで誰にも言わなかったことをさ」
合格通知が届いたら。
そう約束していた話だ。野々井さんの同席は有耶無耶になったままだった。けれど、今ここで祀梨が打ち明ける覚悟を決めたのなら、それを私は大切にしたい。それを受け止めてあげたい。他の誰よりも優しく、まっすぐに。
「手紙を読んでくれたななみさんなら、予想できているよね。わたしたちの関係。それはたしかに友達から恋人に変わって、その日々は幸せだった。だけどね、わたしは…………笑実理の想いの強さに圧倒されちゃったの。ヤンデレって言えばいいのかな」
病的な愛情表現。
観てきた映画を思い返せば、その要素を含んだのもいくつかあった。行き過ぎた愛情は狂気となり、誰かを傷つける。相手も自分も。
「束縛や独占欲って言葉がどの程度、適切なのか判断は難しいよ。言えるのは、笑実理にとっての世界はわたしを中心に回っていたってこと。ねぇ、馬鹿みたいに聞こえる? でもね、あの子の瞳にわたしだけが映っているのは心地よかったよ。とっても、とっても、幸せだった。けど、いつだったかふとした瞬間に怖いって思ったの。好きで好きでたまらないのに怖い。わたしは同じだけの好きを返すことができなくて、それは悲しくて、やるせなかった」
たとえば、と祀梨は伏し目がちに話し始めた。高校一年生の夏のある日。
遠野さんの部屋で二人は勉強していた。クーラーがタイマーで切れた。二人はすぐにつけ直さずに暑さの我慢比べをすることにした。べつにどちらか一方が熱中症になるまで耐える気はさらさらなかった。ちょっとした遊び。
「わたしが負けたの。もう無理ぃーって。それで約束どおり笑実理の言うことを聞くことになった。あの子は、わたしに真っ裸になるのをお願いしてきた。その少し前にわたしたち二人は唇も肌もすべてを重ねていた仲だったから、恥ずかしかったけど言うとおりにしたの」
私は祀梨の裸を想像せずにはいられなかった。彼女の死角で自分の腕をつねり、煩悩を追い払った。
「笑実理がね、カーテンを閉めて部屋を暗くしたとき、そういうことをするんだって思っていた。結果としてその予想は当たりだったけど、思っていたのと少し違ったの。あの子はすごく舐めてきた」
「……すごく?」
「うん。全身いたるところ。耳の裏から足のつま先、こ、肛門まで。全部だよ? 唾液と汗とでベタベタになった。あのさ、その行為の淫らさをわたしは訴えたいんじゃないんだよ。終始うっとりと、さも美味しそうにわたしを舐め尽くして、愛を何度も囁いてくる彼女にわたしは……身悶えした。そう、快楽がなかったと言えば嘘になる。でもさ、同時に怖くなったの。この子はどこまでわたしを欲しているんだろうって」
私は何度も腕をつねって現実を直視した。目の前の彼女の肌を這う舌、その妄念が邪魔でしかたない。
「それに性的な執着心だけじゃなかった」
祀梨は少しずつ、遠野さんとの思い出を、これまで私に話してきたそれとは様相の異なるエピソードを語り始めた。それによって私は、これまでに聞いてきた二人の少女の甘酸っぱい日々は、切れ端でしかないのだとわかった。
無垢な少女たちの戯れとは言い難い交友がそこにあり、それは時に淫靡で、時に背徳的ですらあった。
解離が始まったのはいつか。すれ違い、二人の愛は天秤上で釣り合わなくなったのは。
「一年前、わたしはサインすることを求められたの」
「――――遺書に?」
「知っているんだね。そのとおりだよ。笑実理は耳元で優しく囁いてきたの。大丈夫、心配ないから。いつもどおり書けばいいのってね。……あの子の声は特別。穏やかな気持ちになっちゃう。人魚でもなく花の妖精でもなく、天使だったんだ。……なんて言ったら笑っちゃうかな」
「祀梨、あなたは……その日まで心中のことを知らされていなかった?」
私のその問いかけに彼女は考えて、注意深く答えを示した。
「『ああ、やっぱり』――そう思ったの、正直なところ。こんな日が来るんじゃないかって頭のどこかで思っていたんだ。笑実理はさ、嫌がり、憎んでいたから。時の流れがわたしたちの身体を変えてしまうのを誰よりもね。その強迫観念の発端があの子の幼少期にあると推定できるかも。病弱で痩せこけたまま閉じ込められていた過去に。まぁ、こんな分析、何の意味もないけどさ」
祀梨はそこまで言うとネックレスのチェーンを掴み、その半分のハートを宙に浮かせて見つめた。私もそうする。ただ、私の目線は自然とそのネックレスから彼女へと移る。泣きはらしたその顔にあるのは少女のあどけなさだけではない。
「あの日、笑実理がわたしに飲むように頼んだ薬は致死量に満たなかった。ううん、死に至ってもおかしくない質と量だけど、それと同時に生還の可能性がある、そんな運試しだったんだと思う。これまでにそんなふうに考えたこともあった。でも、手紙を読んでもらってそれが今、確信に変わったの」
「賭けをしたってこと?」
賭け。それは私が野々井さんへと言い、そして否定されたものだった。私自身、それはないと改めていた。だというのに、祀梨がその説を支持している。むしろそれしかないとその瞳は私に訴えている。
無論、私が思いついた賭けとは様相が違う。きっと遠野さんは、二人が死ぬほうに多くを賭けていたのだから。
「忘れないで、か」
祀梨が呟く。遠野さんが最後に綴った言葉。彼女は「もういいんだよ」とも書いていた。何度か。それこそが手紙の主旨だと記していた。つまり、鹿目祀梨という一人の少女を、やはり一人の少女であった遠野笑実理から解放するということ。
愛は呪縛だ。そんな、もっともらしい言い方をしても、私にそれの何がわかるだろう? 遠野さんは最後の最後で謝り、忘却を拒んだ。記憶に生き続けることを求めた。それまでの文面を、「もういいんだよ」を覆した。それが独りで死ぬことになった少女の、手放せない想いだったのだ。
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