第106話

 毒を持つ生き物の中には、通称に『ヴァイオリン』とつくものがある。『ヴァイオリン・スパイダー』。ドクイトグモ。名前だけ見れば美しく、危険な香りのする蜘蛛だが、非常に臆病で、自分から攻撃することはほぼない。背中に茶色いヴァイオリンのような模様を持つことが名前の由来。


 常々、ミステリーを観ながらアリカは考えていた。なぜすぐ殺すんだろう。本当に殺したいのであれば、遅効性の毒で後日じっくり、というほうが自身は疑われにくいのに。もちろん、即効性の毒のほうが致死量を与えるのが楽、というのもあるだろう。だが、捕まってしまっては元も子もない。


 毒蜘蛛といえば、タランチュラやセアカゴケグモを思い浮かべる人も多い。しかし、実際にはタランチュラには毒性はほぼ無いし、セアカゴケグモは毒性は強いが、ドクイトグモと同じで攻撃は基本しない。世界最大のフォニュートリア・ドクシボグモはあまりにも毒が強すぎる。アリカの目的と合わない。


 その点、ヴァイオリン・スパイダーは、咬まれたことにも気づかず、毒はすぐにはまわらず、合併症などもない。非常に弱く、咬まれても重症化することは稀。抵抗力の弱い子供や老人でなければ、知らぬ間に治癒していることも。


 だが、この蜘蛛の厄介なところは、その毒の種類と解毒法。毒蜘蛛ではポピュラーな神経毒ではなく、非常に特殊な成分でできている。赤血球や白血球、血管を破壊するというもの。知らぬ間に治癒と言っても、正しくは『完璧な解毒法が存在しない』というほうが正しい。待つしかない、というのが正直なところだ。


「とても弱く、臆病で、美しく、それでいて危険。キミ、素晴らしいね」


 手に乗せ、ヴァイオリンスパイダーを弄ぶ。場所は自宅。だがもう、両親はいない。母親は離婚してどこかへ行き、父親も女を作ってどこかへ。家だけが残された。不動産税は払ってくれているようだ。散らかり放題の家。元々父親が書斎としていた部屋は研究室となった。


「あぁ、また咬まれた。くすぐったい」


 まずやったことは、ヴァイオリン・スパイダーの輸入。生息地は北アメリカ。そして繁殖。もちろん、ドイツ国内で放してしまったら、生態系の破壊に繋がる。ちゃんと研究室以外では、イトグモ用のトラップを仕掛けてあり、逃げてもこの家の中だけで終わる。


 身体中、咬まれた痕だらけ。もう誰とも海へなんて行けない。それでも毒への興味が尽きることはない。自分の中のミス・マープルは、このくらいでは自分への、まさに文字通りの蜘蛛の糸を手繰り寄せてしまう。もっと毒のことを知らなければ欺けない。

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