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第28話

「先輩、おはようございます!」


「うん。おはよう。イェニー・ベイヤーさん。髪切ったんだ、それも可愛いね」


 シシー・リーフェンシュタールは、模範的で優秀な生徒である。初めて声をかわす下級生の名前も全て覚えている。下級生どころか、初等部からの全校生徒、教員や臨時教員問わず全て名前や特徴は覚えている。先ほどの彼女は、どこかで昨日見かけたが、その時より二、三センチほど髪を短くしたようだ。イェニーと呼ばれた生徒は、白い息を吐きながら泣きそうなほどに喜んでいる。登校中にこういうことはよくある。


 王子様など、自分から言ったことなど一度もない。ただ、勉強もスポーツも友人関係学校生活、全力でやった結果、そんなことになっただけ。それらが人よりたまたま上手くできて、質の高い結果になっただけ。ただそれだけ。


「おはよう、シシー。相変わらずモテるね。ちなみに私はなにが変わっているか気づいてる?」


 そう声をかけてきたのは、ひとつ上の学年、ペトラ・ファルケンベルク。よく学校で会議の時に一緒になるので、仲はいい。


 ドイツには大半の学校に『学校会議』というものがある。行事など、学校の大事な事項を決める際には、職員だけでなく、生徒の代表や保護者、外部からの第三者を呼んで話し合いで決める。校長の選出すらもこの会議で決まるのだ。 


「やめてくださいよ、先輩。なにか……変わりましたか?」


 上から下まで凝視してみたが、シシーは特に思いつかない。身長伸びた? いや、そんなバカな。


 一〇秒ほど待ったが出なかったため、ペトラはふくれっ面で答え合わせをする。


「シャンプー変えた」


「わかるわけないでしょそんなの」


 いくらなんでも、完璧に見えるシシーでも、そこまで全校生徒のデータなど持っていない。むしろ、そこまで持っていたら少々薄気味悪いだろう。


 なぜ王子様と呼ばれるのか。それには容姿や能力、性格といったものも含まれるが、ドイツの学校には『調停者』と呼ばれる制度がある。これは学校内でのトラブルは生徒が処理をする、というものから始まり、当事者の間に入って、納得のいくように取り決めを行うものである。専門的な講義を受けた生徒のみが担当するのだが、事後の精神のケアも調停者が請け負う。些細なケンカから、クラス全体、学校全体の問題まで担当するのだ。


 その中心人物がシシーであり、誰もが納得できる解決法と、アフターケアで校内でも知らない人はあまりいないほどに有名だ。


「……あんた、なにか変わった?」


 シシーの雰囲気が、若干であるが以前より煌びやかな気がし、不思議に感じたペトラが問いかける。曖昧な表現であるが、本人自身、こういうのに鋭いという自負がある。


「なにかってなんですか。なにも変わってませんよ」


 適当にシシーはあしらう。


 ペトラは、ジトっとした目を突きつける。


「男できた?」


「できるわけないでしょ。変な噂とか流さないでくださいよ」


 男は知らない。女なら知った。


「あれー? 私の勘て結構当たるんだけどなー。なら最近、なんか楽しいこととか。てか香水がほのかにする」


 首を傾げ、自分の勘が外れたことに不思議がるペトラ。しかし、なにか以前と違うことは確実なはずだ。少しずつ追い詰め、秘密の多い王子様のプライベートを丸裸にしたい。


 シシーは微笑む。


「楽しいことはいっぱいありますよ。学校も楽しいし。ルームメイトが香水とかアロマに詳しいので、そういうの勉強するのも」


 香水をつけたつもりはなかったが、おそらくララのせいだ、と吐息をついた。まだ下腹部がジンジンする。少しビクっとしたが、気づかれる言い訳ではないだろう。朝、部屋を出る時にはそういうところもチェックしてから出よう。


「そういえばパリの姉妹校との交換留学の話出てるけど、シシーは行くの? あんたなら余裕だと思うけど」


 毎年、新学期の始まる八月末頃からそんな話が出始めて、年明けに出発。パリのモンフェルナ学園への留学はかなり競争率が高い。ペトラもパリへの憧れはあるが、基準が高く断念した。


「行きませんよ。あっちは共学でしょ。嫌ですよ」


「とか言って、本当は男ができたんじゃない? 離れたくないとか」


 まだ自分の勘が外れたと思えないペトラは、再度問いただす。


 ふっ、とシシーは鼻で笑う。


「さぁ、どうでしょうね。遅刻になりますから、先行きますよ」


「あぁー、怪しいねぇ。逃げたところがなんとも」


 と、ニヤリと笑うペトラを尻目に、シシーは足早に歩みを進めた。微笑を浮かべながら、脳内に思いつく人物をピックアップ。


「男か……男っちゃ男か」


 だが、あの老人は。いつか。


「殺す」


 シシー・リーフェンシュタールは模範的で優秀な生徒である。

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