第32話 議員秘書の裏の顔


 K県警察本部内の取調室。落合寛治巡査部長はパイプ椅子に腰かけ、ライトグレーのスーツを着た男とスチールテーブルを挟んで向かいあっていた。男はスーツのボタンをきっちりと閉じ、ネクタイも寸分の歪みなく真っすぐ締めている。丁寧に撫でつけた黒髪にノンフレームの眼鏡がよく似合う、一目で役人と判る風貌と面構えだ。

「どうして自分がここにいるのか、頭の切れるあんたなら理解しているんじゃないのか。古川夏生さんよ」

 議員秘書の男は、捜査資料が入ったクリアファイルとタブレットから視線を落合に向ける。

「さあ。残念ながら身に覚えがありませんね。どうして私がここにいるのか、教えていただけませんか刑事さん」

 落ち着き払った声で答えた。パーマ刑事はジャケットを椅子の背もたれに引っ掛けると、テーブルに肩ひじをついて前のめりの姿勢を取る。

「身に覚えがないってことはないんじゃないのか。ネタは挙がってんだ、素直に白状したらどうだ」

「まるで一昔前の刑事ドラマを観ているようですね。このご時世、自白の強要はご法度なのでは」

「これが強要のうちに入るなら、あんたは随分甘ちゃんだな。そんなんじゃ議員秘書なんてやってらんねえだろ」

「政治家や議員が皆、気性の荒い性格だとお思いですか。それこそ時代錯誤です。メディアに取り上げられる政治家たちの顔は、いわばパフォーマンスのようなものですから」

「しかし、政界に汚職が蔓延していることは事実だろ。それとも、それすらパフォーマンスとでもほざくつもりか」

「汚職や悪事が蔓延っているのは、政界に限ったことではないでしょう。あなた方警察の世界だって、裏社会とのコネクションを持っているではないですか。同じことですよ」

 落合が投げるボールを、顔色一つ変えず淡々と打ち返す古川。両者の間にはピアノ線を張り詰めたような緊張感が漂っている。

「それなら、あんたはどんな悪事に関与しているのか教えてくれよ」

「悪事ですか。県議会議員の事務所の受付嬢に手を出したことは、悪事のうちに入りますか」

「そりゃ大変だ。その受付嬢がすでに唾付けられていたら、危ねえかもな。だから、二人で国外逃亡を計画していたんだろ。夢の国へ愛の逃避行、ってか。感動的な話だな」

「もし私が映画監督なら、そんな陳腐な作品は制作段階で打ち切りですね」

「手厳しい監督だな……それじゃ監督さんよ、俺が考えた映画のストーリーを評価してくれないか。あんたが認めたら、制作決定ってことでどうだ」

「今のお話はあくまでタラレバですよ。空想ごっこみたいなものだ」

「いいじゃねえか、空想ごっこは嫌いじゃないぜ。時間はたっぷりあるんだ、いっちょ付き合ってくれよ」

 秘書の男は眼鏡のブリッジを指で持ち上げると、吐息交じりに「いいでしょう」と同意した。パーマ刑事はにんまり笑うと、ネクタイを緩めてパイプ椅子に真っすぐ坐りなおす。テーブルの端からタブレットを引き寄せ、電源を入れた。捜査資料を電子データ化して落とし込んでいるのだ。

「まずは、基本的な事実確認からだ。古川夏生、四十二歳。現自由公正党議員である末永保彦の議員秘書を勤めている。居住は河崎市原中区森月二丁目のガーデンズイースト森月八〇五号。間違いないか」

「ええ、間違いありません」

「2LDKで家賃は月十八万円か……独り身にしては随分リッチな部屋に住んでいるんだな」

「広々とした空間が好きなんです。いけませんか」

「いいや。しかし羨ましいな、現職議員の第一秘書ともなれば、年収一千万なんて奴もいる。ましてやあんたみたいに、十年以上も政界に奉仕してりゃなおさらだ」

「たしかに、私も初めてこの世界に飛び込んだときは金銭感覚が麻痺しそうになりましたよ。最初のうちは、まだ庶民感覚が残っている状態ですからね。それが今では、昔の感覚じゃ信じられない額が日夜当たり前のように動いている――政治の世界なんて、半端な覚悟で入るものじゃないですよ」

「けど、そこで上手く生き残ることができれば成功者の道まっしぐらだ。あんただってその一人だろ」

「安定はしていますが、成功しているかどうか主観では判りかねますね」

「傍から見れば成功者そのものだろ。がっぽり稼いで不自由のない生活を送って、おまけに近々美人秘書とゴールイン」

 今度はクリアファイルから数枚の写真を取り出し、机上にばらまく。古川と三輪佑美子が東京都内のジュエリーショップに来店したときのものだ。

「警察の人は、パパラッチみたいな真似事もするのですか。あまり感心しない仕事ぶりだな」

 微かに不機嫌さを滲ませた声音で、議員秘書は言い返す。パーマ刑事は唇を歪め、

「悪いな、これが俺らのやり方なんだよ。ただ、こっちだって何の疑いもない善良な市民を盗撮する趣味はない」

「その口ぶりですと、私が善良な市民ではないような言い方ですね」

「おっと、そう聞こえたのなら失礼……ただ、あんたが清廉潔白だっていう主張には、ちょいと疑問の余地があるがな」

 クリアファイルからA4サイズのリストを二枚抜き取ると、古川の前に並べる。ある口座の中での金の流れを示したものだ。日付は二年前、立浜市連続詐欺事件が発生した一か月後。

「これは見覚えがあるよな。末永保彦の銀行口座の出入金記録だ。二年前の特定の期間、末永はある慈善団体におよそ一千五百万円を送金している。〈立浜市連続詐欺事件被害者支援団体〉――二年前に世間を騒がせた、出会い系アプリの連続詐欺事件だ」

「そういえば、ワイドショーで随分と騒がれていましたね。被害者は皆女性で、アプリの中でやり取りをしていた男性から現金を詐取されたと」

「その通り。最終的に二十名の被害者から総額およそ三千万円を騙し盗った犯人は、今なお行方知れずのままだ」

「警察も、随分と手を焼いているみたいですね。そこまで頭の切れる犯人なのですか」

「悔しいが、そうかもしれねえ……けどな、俺はようやく検討がついたんだよ。詐欺事件の犯人の検討が」

 古川夏生は眼鏡越しに両目を見開くと、

「それは大変じゃないですか。こんなところで私相手に油を売っている暇などないでしょう。一刻も早く詐欺事件の犯人確保に乗り出すべきでは」

「言われなくても、すでに拘束しているさ――俺の目の前にな」

 互いに眉ひとつ動かさず、対面に坐る相手をじっと睨み合う。先に表情を崩したのは議員秘書だった。薄い唇を歪めてほくそ笑むと、

「これはこれは、とんだ戯言ですね。あなたが考えたストーリーとはこのことですか」

「ああそうだ。なかなか洒落が利いているだろ」

「残念ながら、私が映画監督ならばやはり没ですね。一体どこにそんな妄想話を信じる人がいるのですか」

「映画なんだからフィクションが混じっていても問題ねえだろ。ま、話は最後まで聞くこった」

 古川の否定をものともせず、落合は目の前に置いた資料をトントンと指先で叩く。

「この、末永保彦の口座だがな。よくよく調べてみるとこれは末永本人ではなく彼の秘書たちが仕事用に使っている口座であることが判明した。もちろん、あんたもこの口座の存在は知っているはずだ」

「ええ。国会議員の政治活動には多額の資金が必要です。その資金を管理することも、議員秘書の仕事のひとつですから……ですが、今お話しした業務は主に公設第二秘書が行うことです。私は末永先生の公設第一秘書で、資金管理にはほとんどタッチしていません」

「それは表向きの話だろ。あくまで仕事が割り振られていないだけで、あんたもこの口座を自由に動かすことはできたはずだ」

「仮にできたとして、一体どんな問題があるのですか。この〈立浜市連続詐欺事件被害者支援団体〉に、私が一千五百万円を送金したとでも仰るつもりですか」

「ドンピシャだよ、まさにその通りだ」

 古川は首を傾げながら、目前の資料にじっと視線を落とす。

「残念ながら、〈立浜市連続詐欺事件被害者支援団体〉という名前に見覚えがありませんね。末永先生が個人的に送金したのではないですか。あるいは、第二秘書が内密で行っていたか」

「そりゃねえだろ。K県は末永の選挙区内だ、んなことすりゃ公職選挙法に抵触しちまうだろうが」

「それは私にも同じことが言えるでしょう。そんなことをすれば政治生命が断たれることくらい理解できます」

「だが、この口座から支援団体に多額の金が流れていることは動かしようのない事実だ」

「少なくとも、私はこんな出金記録に覚えはありません。質すだけ無駄ですよ」

「あくまでも白を切るつもりか……まあいいさ、それならこれはどう説明する?」

 落合は新たに一枚の写真をクリアファイルから取り出した。一般市民と思しき十数名程度の人々が、「法改悪反対」「政治家の暴挙を許すな」などと書かれた横断幕やプラカードを掲げている。どこかの公園で撮影されたものらしく、背景にブランコと滑り台が小さく写り込んでいた。

「これが、何か」

「見りゃ判るだろ。市民デモ活動の様子を撮影したものだ。ある週刊誌の記者が激写した一枚で、四月十一日に美土里区で起きたデモを取材していたんだ。このデモは学生を中心に構成されたある団体が起こしたもので、その界隈じゃ比較的過激な言動が多いと有名らしい。実際、このデモ活動の最中に数名のメンバーが規制に入った警官をぶん殴って公務執行妨害でパクられている」

「そのデモ活動と先ほどの話は、何か関係あるのですか」

「まあ、聞けよ。正直、このデモ団体のことはどうでもいい。問題は連中の背後に写っている人物でな」

 さらに一枚の写真を机上に並べる。デモの写真の一部分を拡大したもので、二人の人物が肩を並べて歩いている様子が撮られていた。写真を見た古川夏生が、一瞬だけ目を細める。

「記憶にないとは言わせないぜ。この写真に写っているオールバックにスーツ姿の男はあんただろ。眼鏡も髪型も変えてイメチェンしているみたいだが、随分と雑な変装だな」

「さあ。これが私という証拠はあるのですか」

「あんたの顔写真とこの写真の男を顔認証システムで照合したら、ほぼ百パーセントの確率で一致しているんだよ。警察の科学捜査を甘くみないこったな」

「この写真の男が私だとして、隣にいる人物は誰なのでしょう」

「んなもん、あんたがよく知っている奴に決まっているだろ――桜井芳郎、二年前の連続詐欺事件の被害者遺族だ」

「どうしてそんな方と私が、一緒に歩いているのでしょうね」

 飄々と受け答えをする古川に、落合はふんと大きく鼻を鳴らす。

「忘れたフリがお上手なんだな。さすがは政治家秘書だ……俺は親切だからな、教えてやるよ。あんたは桜井芳郎をよく知っているはずだ。なぜなら」

 パイプ椅子に背中を預け、ゆっくりと告げた。

「あんたと桜井は、立浜市連続詐欺事件のだからだ」



 数秒の沈黙の後、古川は「はっ」と失笑した。肩を大袈裟に上下させ、薄い唇から均等に並んだ歯がのぞく。

「いやいや、これは失礼……あまりに奇想天外なことを言い出したもので、つい」

「随分ウケているみたいだな。俺は真面目に話しているつもりなんだが」

 言葉の通り、パーマ刑事の顔は笑っていない。対面に坐る議員秘書に鋭い視線を向けながら、

「あんたは桜井芳郎とともに、ある左翼団体に入っている。立浜市連続詐欺は、あんたらの組織が起こした卑劣極まりない事件だった」

 古川は眼鏡を外し、スーツの胸ポケットから取り出した眼鏡拭きでレンズを丁寧に磨く。

「あなたの話には驚かされるばかりですね。面白いお人だ」

「お褒めの言葉をいただきどうも。ちっとも嬉しくないがな」

 眼鏡をかけなおした秘書の男は、その顔から笑みを消して能面のような表情に戻る。中国の伝統芸能に伝わる変面のごとき早業だ。

「いいでしょう。どうせすぐにここから解放する気などないのでしょう。あなたの妄想話にとことんお付き合いしますよ」

「そりゃ助かるぜ。心配すんな、単なる妄想じゃ終わらせねえから」

「その代わり、あなたの話が真に妄想で終わったあかつきには、名誉棄損としてしかるべき手段を取らせてもらいます」

「覚悟の上だ。それじゃ、まずはあんたとこの桜井という男が二週間前に美土里区で密会していた訳から説明しようか」

 二枚の写真の上に、落合はもう一枚を重ねる。駅構内に設置された監視カメラの映像をコピーしたものだ。スーツ姿の人物が改札口を通過する瞬間が撮影されていた。

「学生団体によるデモが起きた日、加茂井駅のカメラに映っていた。このスーツの男はあんただろ」

「警察ご自慢の顔認証システムで確認したのですね」

「その通りだ」

「判りました――たしかに四月十一日、私は私用で美土里区へ赴きました。認めましょう」

「随分と潔いんだな」

「プライベートで美土里区を訪れることは犯罪ですか」

「まさか。ちなみにどんな用件だったのか教えれくれると、取調の手間も省けるんだがな」

「同業者に会っていたのです」

「政治家秘書か?」

「ええ。互いに積もる話がありましてね。捜査協力のためお答えしましょう。会っていたのは砥部という議員秘書です。場所は加茂井駅の近くにある和食の創作料理店。名前はたしか〈花庵〉だったでしょうか。駅前の大通り付近にある店です」

 証言内容を復唱し、「ご協力をどうも」と告げる。片耳に装着したイヤフォンから「裏取りします」という短い言葉が飛び込んだ。待機していた捜査員の声だ。落合はスマートフォンで店の位置を確認しながら、

「デモがあった公園は、加茂井駅のすぐ裏手だ。歩いて十分もかからない……〈花庵〉での会合以外にも美土里区に用があったのか」

「法改正に関する市民説明会の打ち合わせがありました。砥部と会った後のことです。打ち合わせ場所が駅から少し歩いたところにある市民センターでした。先ほどの公園の写真は、そこへ向かうとき撮られたのではないでしょうか。市民センターは駅を挟んで〈花庵〉とは真逆の方向にありますから」

「具体的な時間は憶えているか」

 古川は鞄から革張りの手帳を取り出し、ページを捲る。

「〈花庵〉で砥部と会った時間が昼の十二時。店で二時間近く過ごして、十五時から市民センターでの説明会に参加していますね」

 他人事のように平然とした口ぶりだ。落合は地図を表示したスマートフォンを顎で示しながら、

「〈花庵〉での会合が十四時に終わったとして、説明会までは一時間ほど余っている。店から市民センターまでは徒歩でもせいぜい二十分かそこらの距離だ。空白の時間はどこで何をしていた」

 挑発的な口調で切り込む。重箱の隅をつつくような問いにも、秘書の男は顔色一つ変えずに回答した。

「私は散歩が好きなんですよ、刑事さん。目的地までわざと遠回りして、周囲の景色を眺めたり道行く人を観察したりしながら、ふらふらと彷徨うように歩き回る――意外ですか。結構面白いですよ、風変りな人に出会ったり、未知の店を発見したり。散歩は暇つぶしにもってこいです。健康促進にもなりますし」

「その散歩の途中で、桜井芳郎と密会したんじゃないのか」

 口角を僅かに持ち上げて、古川夏生はパーマ刑事を見遣る。

「写真のような人物と、すれ違うことはあったかもしれませんね。しかし、会話をした記憶はありません。ましてや密会など」

「この学生団体によるデモが起きた前日、もう一つ事件があったんだ」

 会話のハンドルが急に切り替わり、古川は怪訝な顔をする。

「小林誠和不動産会社の社員が殺された。名前は友枝雅樹――友枝を殺したのは、あんたらが所属している過激派組織〈ゾディアック団〉のメンバーだ」

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