第25話 葉書が示すもの


 三好友希の図書カードは、公安三課の捜査員に貸し出しデータの照会を任せることにした。その間、時也は杉山慧介から得た情報を基に〈株式会社賢者の石〉の動向を探るのだ。

 杉山の情報と木内冬実から得た証言を擦り合わせたところ、〈賢者の石〉はK区鶴谷町にある〈金ビル〉三階のワンフロアを丸ごと借りて雀荘の新店舗を開く予定らしい。ついては明日の金曜日、支店長の狭間氏は小林誠和本店の大村泰明とともに金ビルを内見するとのこと。〈MERCURY〉の物件を狭間氏に紹介して以来、〈賢者の石〉は大村の得意先になっているのである。

 時也は手始めに、金ビルの管理会社を訪問した。担当者に袖の下を通して〈株式会社賢者の石〉の内見に立ち会ってもらうよう交渉するためだ。本来、内見に行くのは不動産の社員と借主だけで管理会社は同席しないのが通常らしいのだが、時也の目的は立会人にこっそり盗聴器を仕込むことだった。

 ビル名から察しはついていたが、社員の多くが韓国系で立会人を務める楊壇月ヤンダンウォル氏もまた在日韓国人である。もともと武骨な雰囲気の男で愛想の欠片もなかったが、挨拶の際に時也が韓国式の握手をごく自然にこなしてからは人が変わったように気さくな態度を見せた。

 サッカー好きだという楊氏にワールドカップの話題を出すと、同士を見つけた喜びに一層顔をほころばせる。そうしてサッカー談義で盛り上がるうちに、「君のためなら喜んで協力するよ」と肩を抱かれるほど打ち解けた。時也はそれらしい理由を拵えて、内見当日に小型マイクをスーツの内側に仕掛けるよう頼み込んだ。

 翌日、マイクの通信状態を確認した時也は一足先に金ビル近辺を訪れた。ビルはK駅にほど近い場所にあるが、かなり狭い通りに面しているため路上駐車をして建物を監視することは困難だ。時也は駅近くのパーキングに車を停め、車内でアプリを起動させる。本来であればビルを出入りする大村泰明と狭間慎二の姿をカメラに収めたいのだが、万一にも面が割れては今までの苦労が水の泡だ。ここは慎重すぎるくらいが丁度いい。

 金ビルにまず到着したのは、小林誠和本店の大村泰明のようだ。マイクから聞こえる楊氏の声は「大村さん、大変お待たせ致しました」「ハザマさまはまだのようですね」と流ちょうな日本語を話している。

 きっかり五分置いて、いよいよ狭間慎二のご登場だ。待たせて悪いな、と詫びる支店長の声は太くざらついていて、にもかかわらず発音が明瞭なので聞き取りづらさはない。三人は挨拶もそこそこにビルの中へ入ると、時間がもったいないと言わんばかりに事務的な内見を始めた。

 マイク越しの会話を総合すると、狭間氏は金ビルで雀荘を開業するようだ。今日の内見は、金ビルが開業に必要な条件を満たしているか確認するためらしい。

 雀荘の物件選びはかなり条件が細かく、風営法により「高さ一メートル以上の家具は置かない」「照明が十ルクス以下になってはいけない」「麻雀の椅子の高さは一メートル未満」などと定められている。さらには飲食物の提供がある場合、厨房設備も要項を満たしているかチェックされる。少しでも不備があると警察署の審査で撥ねられるため、開業初心者にはそれなりにハードルが高い作業だ。

 雀荘の申請手続きはその道に詳しい行政書士に依頼をする者も多いが、狭間氏は同行させていない。「次はこの要項」「台はこの辺で」「厨房も見させてもらおう」など淡々と進めるあたり仕事で慣れているのだろう。木内冬実が「社長は敏腕だ」と評したのは単なる煽て文句でもなかったようだ。内見は滞りなく一時間もしないうちに終了し、最後に内装工事の手続きについて簡単な確認をしてから三人はビルを後にする。大村と狭間氏はそのまま小林誠和本店へ移動し諸々の手続きがあるようで、楊氏はここでお役御免と相成った。

 管理会社に戻った時也は、楊氏からマイクを受け取りながら内見の様子を尋ねた。

「内見はとても順調に進みましたよ。麻雀のことはよく判りませんでしたが、店を持つのに随分煩雑なルールがあるようですね。あ、テレビもつけるのでサッカーの中継も観られると言っていました」

 声を弾ませる楊氏に、大村と狭間氏がどんな言葉を交わしていたか探りを入れる。

「時々、聞き慣れない日本語がありました。私はよく意味を理解できませんでしたが、かすり傷がどうのとか薬局がどうのとか話しているときがありました。あと、『イタイ』もよく口にしていました。麻雀はそんな過激なゲームなのですか?」

 韓国では麻雀は日本ほど一般的ではなく、中身を知らない韓国人は意外に多い。楊氏も例に違わず、怪我をするほど激しい遊戯なのかと勘違いしているようだ。

「楊さん、麻雀はボードゲームの一種です。トランプや花札に近く、ギャンブルの要素を備えています。ただし、日本では賭博いわゆる賭け事は法律で禁止されていますので、お金を賭けてゲームをすることはありません」

「おお、花札ですか。私、花札は好きですよ。日本に来たとき最初に教えてもらった遊びが花札でした。そうだ、この後ぜひ一緒にどうですか。私の行きつけのお店、料理も美味しくて花札もできます。私の故郷の料理も出てきます。きっと楽しい時間を過ごせますよ」

 すっかり心を許した楊氏によって、その日の夜の予定が強引に決められたのだった。



 韓国料理店〈韓韓亭〉は、金ビルからほど近い飲み屋街の一角にあった。ビルとビルの間に店舗を強引に造らせたような構造だが、楊氏の評判通りたしかに料理は美味でしかも格安だ。店主は韓国で長年腕を磨いた料理人で、てきぱきと給仕をする若い美女は一人娘だという。楊氏は〈韓韓亭〉の店主に時也を「私の弟分ドンセン」と紹介し、次々と料理を運ばせた。そこへ酒も入りいよいよ陽気に拍車がかかると、店内は初対面の客同士による花札大会で大盛況の様相を呈していく。宴もたけなわとなって時也が店を出る頃には、とうに日付を越えて深夜一時を回っていた。

「今日は楽しかったです。またいつでも会社に遊びにきてくださいね」

 これから馴染みのキャバクラに行くのだという楊氏に別れを告げ、疼くような頭痛と闘いながら最寄りのコンビニへ立ち寄る。ミネラルウォーターを購入し、タクシーを呼ぼうとしていたところに電話がかかってきた。

「葉桐部長、お疲れさまです」

『どうしたよ、酷い声だな』

「これでも一応仕事していたんですよ……どうしましたか、こんな夜分に」

『ああ、遅くに悪いな。〈MERCURY〉の件でちょっと話があるんだ。今会えるか』

 二つ返事で了承した時也は、K駅まで何とか徒歩で辿り着き葉桐刑事と合流した。助手席のドアを開けるなり、運転手は鼻をつまんで盛大に顔をしかめる。

「うわ、酒くせえ。宴会にでも参加したのかよ」

「だから仕事ですって。〈賢者の石〉が新しく物件を借りるらしく、今日――もう昨日か――が内見だったんです。その物件の管理会社に頼み込んで、内見に立ち合わせたんですよ」

「またパチ屋か」

「いえ、雀荘です。鶴谷町の金ビル三階。規模的にはさほど大きくありませんが、おそらく麻雀店というのは表向きでしょう」

「どういう意味だよ」

「内見自体は滞りなく完了しやり取りも特別怪しいところはありませんでした。しかし、立ち会っていたスジが気になることを小耳に挟んでいたんです」

 時也が着目したのは、楊氏が麻雀の内容を勘違いした下りだ。

「〈かすり〉〈薬局〉〈イタ〉……か。なるほどな」葉桐巡査部長はにやりとする。「となると、〈賢者の石〉は次なる商売を始めようとしているってことか」

「ええ。おそらく麻雀を隠れ蓑にしてヤクの売買を目論んでいるのでしょう」

〈かすり〉はみかじめ料、〈薬局〉はクスリの売買、〈イタ〉は〈板〉のことで架空口座の隠語である。狭間慎二と大村泰明は共謀し闇商売で一儲けを企んでいる、という仮説が立つのだ。

「けど、開店してからガサ入れじゃ時間がかかりすぎる。もっと効率的に奴らの尻尾を出させる必要があるな」

「まあ、ヤクのことはまだ仮説の段階ですからね。早とちりしてドジを踏んではこちらが自滅しかねない……ところで、葉桐部長の話とは?」

「ああそうだ。実は昨日、東凰会のスジから連絡があってな。ようやく重い口を開いてくれたんだ」

「東凰会にスジを?」

 葉桐の言葉で一気に酔いが冷める。

「前に担当したヤマで作ったスジだよ。末端構成員だが組織の情報屋としてあちこちで聞き耳を立てる役どころでな。すばしっこく動き回るし集める情報の質も高いから組織の上層部からも気に入られているようだ。で、そいつから引き出した話によると、〈MERCURY〉が裏でこそこそやってる風俗商売はどうも青龍会が本家に内密で始めた商売らしい」

「東凰会に知らせず独断で、ですか。たしか、現東凰会の会長は鬼頭源二でしたよね」

「ああ。数年前、ヤク絡みで花巻という幹部を強引に脱会させた」

「あれは、花巻が自らの意志で組織を離脱したのではないですか」

「表向きそうなっているだけさ。花巻と絶縁するよう当時の会長に進言したのが、他ならぬ鬼頭だったんだよ。花巻のように自由奔放で組織の足並みを乱す輩が嫌いなんだ。ま、そういう意味では青龍会が〈MERCURY〉の裏商売を鬼頭に知らせていないのは必然だな」

「青龍会のシノギは売春斡旋だけですか。ヤクや違法賭博に手を広げている線は」

「どうだろうな。花巻がヤクの密売で組織から弾かれて以来、東凰会はそちら方面にほとんど手を出していないと聞くが――なんだよ、煙草一本しかねえじゃん」

 ぼやきながらも貴重な一本を口に咥え、運転席の窓を全開にする葉桐。間もなく丑の刻になろうかという時間帯、駅の出入り口付近はさすがに人の姿もまばらで閑散としている。

「そうなると、〈MERCURY〉の案件は生安部と組対の合同ですね」

「例の刺青の女が裏事業に一枚噛んでるってことはねえのか」

「ゼロとは言えませんが、おそらく彼女は単なる監視役でしょう。刺青の組織と青龍会が手を組んでいる可能性は否定できませんが、刺青の組織は〈MERCURY〉の経営自体にはほぼノータッチかと思われます。おそらく奴らは――友枝殺しから始まった一連の連続殺人のホンボシです」

「一件目の友枝雅樹、二件目の爆破事件の爺さん、そして三件目の森野一裕か。けど、二件目は爺さんが一人で自爆したんじゃないのか」

「それも、組織の上層部による指示であれば自殺教唆で罪状がつきます。友枝雅樹と森野一裕に関してはれっきとした殺人ですし……ただ、現段階では組織の誰かが直接手を下したという証拠は」

 ない、と言いかけたところで時也のスマートフォンが震えた。内海巡査長からの一報だ。

『新宮部長、夜分遅くに申し訳ありません』

「ああ、問題ない。今ちょうど葉桐と話していたところだ」

『葉桐刑事とですか。では、彼にも共有したい情報があるのですが、今メールで送った画像を見ていただけますか』

 通話をスピーカーモードにしてメールを開くと、画面いっぱいに夜空の写真が表示された。ペン先を紙に軽く当てたような小粒の星まで確認でき、満天の星という表現が相応しい一枚だ。ただ時也に天体観測の趣味はないため、写真を見ても「綺麗な夜空だ」という所感しか抱けない。

『これ、森野一裕の実家に送られた絵葉書です。母親に許可を得て預かりました』

「森野の実家に? 送り主は」

『森野一裕です。新宮部長と葉桐刑事と三人で捜査会議をした日、森野のマンションを捜索したのですが結局何も見つけられなくて。駄目元でもう一度森野の実家を訪ねてみたんです。すると、母親がその絵葉書を持ってきて〈一裕が殺された日に届いた。手紙や葉書を送ってきたことなんて一度もないから何か意味があるんじゃないか〉と。葉書からは森野一裕と母親、郵便局員の指紋が検出されました』

 無精ひげの生えた顎を撫でながら、葉桐も険しい顔で画面を凝視している。

「この葉書の星空は、森野一裕が撮影したものなのか」

『それが何とも。葉書は表に実家の住所と森野のマンションの住所、裏は写真だけでほかに何も書かれていないんです。科捜研でも調べてもらいましたが、特殊インクや炙り出しといった仕掛けの痕跡もありませんでした。ただ』

「ただ?」

『この写真を国立天文台で見てもらったのですが、写真は実際の星空を撮影したもので撮影時期は五月だろうということです。少なくとも今年撮影されたものでないことは確かですね』

「時期が特定できるということは、ここに写っている星座が何かの暗示になっているのか」

 時也の言葉に、「まさにそうなんです」という熱っぽい声が返ってくる。

『写真の夜空には、春の代表的星座である乙女座が見えているんです。国立天文台の職員によれば、乙女座は北斗七星の南にあるアルクトゥルスという一等星と結んで〈春の大曲線〉と呼ばれていて、それがしっかり写っている。つまり〈春の大曲線〉が見頃である五月の夜空だと特定できるというんです』

「乙女座、か。その葉書が森野一裕の死の直前に送られたということは」

『先輩のマルタイだった女子大生が、森野の死に関与している可能性があるということです』

 電話口で、女刑事が強く言い切った。

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