第8話 情報共有


 公安課のフロアに戻ると、東海林警部がデスクから時也に向かって手招きをしていた。どんなに仕事に追われていても、ボスの机上は捜査資料や法律書などが見事に整頓されている。片づけ下手の落合刑事とは大違いだ。

「急に呼び立てて悪いな。実は、お前に一任したい仕事がある」

 書きかけの書類をデスクの端に押しやり、両手を組む。鷹のごとき鋭い双眸が時也を見上げた。

「小林誠和不動産内部の提報者獲得作業だ。ただし、今回の目的は極左組織の情報収集ではなく友枝殺害事件に関する調査に限定する。〈カラス〉からも既に了承を得た案件だ」

 カラス――鳥類の鴉ではない。警察庁警備局警備企画課において、警視庁公安部や各道府県警察本部警備部と連携しスジ運営の管理や情報収集を担う係。かつては〈サクラ〉〈チヨダ〉〈ゼロ〉などと呼ばれていたが、現在は〈カラス〉という呼び名がついている。警視庁や道府県警察本部の公安同士でターゲットがバッティングしないよう調整するのも〈カラス〉の重要な仕事の一つだ。

 ちなみに〈提報者〉とは情報提供者エージェントの略称だが、これはターゲットの組織内に潜む協力者スジとは微妙に役割が異なる。提報者はターゲット周辺である程度までの情報提供が期待できる人物を意味し、必ずしも組織の人間であるとは限らない。

「小林誠和内部に狙いを定めたということは、上は内部犯の可能性を疑っているのですか」

「いや、まだそこまで考えてはいない。ただ、友枝が殺されたタイミングで例のDVDが警察署に届けられた点については上も相当神経質になっていてな。友枝雅樹、小林誠和、堂珍仁の三者がどこかで繋がっているのは間違いないとの意見が強いんだ……小林誠和内部に提報者を作る作業は、その真偽を見極める意味も含まれているというわけだ」

「了解しました。作業にあたって、友枝雅樹をスジ運営していた者と情報共有しておきたいのですが」

「ホシの目的が友枝の掌握していた情報だとすると、その情報の中にホシへと繋がる取っ掛かりがあるかもしれないからな……判った、俺から担当に繋ごう」

 公安課の部屋を出ると、廊下で内海巡査長と鉢合わせた。クリップ留めされた資料の束を手にしている。

「新宮部長。ちょうど良かった、刑事部の捜査状況について共有です。友枝雅樹の失踪後の足取りがなかなか掴めず苦労しているみたいですよ」

 無人の小会議室で紙コップのコーヒーをお供に、二人は極秘入手した捜査一課の資料に目を通した。

 まず、友枝雅樹の失踪当日の足取りについて。友枝の自宅から通勤経路、小林誠和不動産の周辺を含めて聞き込みをしているが、現在のところ手がかりなし。同僚や他の社員にも、退勤後の彼の予定を知る者はいない。また、友枝は自身の携帯電話にGPS機能をつけていたが、失踪直後に電源ごと切られていた。本人がそうしたのか、あるいは第三者が足取りを追わせないよう意図的に仕組んだのかは不明だ。着信履歴を調べた結果、最期の通話相手は失踪日の仕事終わりに電話した妻の百合であり、履歴に不審な相手との通話記録は残されていなかった。

 履歴といえば、小林誠和不動産の友枝のデスクからは仕事用ノートパソコンが押収されている。現在解析を進めているが、メールのやり取りは顧客や他支店の人間がほとんどで怪しい内容のものは見つかっていない。友枝は私物としてのパソコンは所有していなかったようで、自宅からはタブレットの類も発見されていない。友枝百合によればスマホ一つで何でもこなす人だったという。それだけに、被害者のスマホを犯人が持ち去ったのは賢明な判断である。すべての機密情報がそこに集約されている可能性があるのだから。

 友枝は公安の協力者という立場を気にしてか、交友関係はかなり狭かったようだ。百合によると、「仕事の日は接待も含めてかなり忙しくしていたが、その分仕事が休みの日は家族孝行をしてくれていた。プライベートで知人友人と会ったり出かけたりということはほとんどなかったように思う」。公安に雇われたスパイという顔を隠し、ありふれた家族生活を築いていたのかもしれない。

「マル害は、百合さんとも一人娘の夕菜ちゃんとも仲が良かったみたいですね。公安のスジにならなければ今も家族三人で平和に暮らしていたのかも」

 暗い表情で呟く内海に、時也は捜査資料をパラパラと捲りながらすげなく返す。

「友枝雅樹は五年もの間、公安のスジとして動いていた。自分の立場が常に危険と隣り合わせであることは充分すぎるほど理解していたはずだ」

「だからって、殺されていいことにはなりませんよ」

「その通りだ。俺たちはどんな手を使ってでも、犯人を表に引きずり出さなきゃならないのさ」

 資料を指で弾き、きっぱりと告げる。紙の束を太腿の上に置いた内海は、

「そういえば、一つ気になることがあるのですが」

「何だ」

「森野一祐のマンションに行ったとき、コーヒーを出されましたよね。あのとき、カップの下にコースターが敷かれていたのを憶えていますか」

「星座の刺繍が入ったやつだろ」

「ええ。星座で思い出したのですが、誕生日の十二星座ってそれぞれにシンボルマークがあるんです。その中で、牡羊座のマークがこれなのですが」

 スマートフォンの画面に、十二星座のシンボルマーク一覧が表示される。画面を指で拡大しながら、

「ほら、このマーク。見方によってはアルファベットの〈Y〉に似ていませんか」

 牡羊座のマークは〈Y〉の左右に分かれた先が丸くなっているが、たしかに全体の形は似ていなくもない。

「小林誠和を出入りしていた男の刺青は、星座のシンボルマークということか」

「あくまで私の想像ですが」

 時也はしばし考え込んでから、

「とりあえず、今の話を東海林補佐にそれとなく伝えておこう。それから、落合部長にも一応共有しておいたほうがいいな。二人には俺から話しておく」

「了解です……新宮部長は、これからどちらに?」

「俺は小林誠和をもっと突っついてみるよ。内海はどうする」

「私はマル害関係者の行確です。実は、森野を当たることになって」

「そうか。現時点で、生前のマル害の様子を詳しく知っている数少ない人物だ。細心の注意が必要だな」

「ええ。何か判ったら連絡しますね」



 庁舎を出たら、外はすでに日が暮れて家路を急ぐ人々が表通りを往来していた。このまま小林誠和本店に向かおうか先に腹ごしらえをしようか迷っていると、後ろからぽんと肩を叩かれる。

「どうしたよ、そんな深刻な顔をして」

「落合部長。堂珍仁の聴取に行っていたのでは」

 ネクタイを緩めながら、パーマ頭の刑事はひょいと肩を竦めてみせる。

「堂珍は不在だったよ。受付の若い姉ちゃんとマッチ棒みたいに痩せた秘書の男しかいなかったから、しばらく雑談して帰ってきた……それより、真剣な顔をして何悩んでたんだ」

「先に夕飯を済ませようかこのまま作業をしようか考えていただけですよ」

「んだよ、そんなことか。じゃあ、俺に付き合ってくれよ。ちょうど俺も腹が減ってな、一杯ひっかけようかと思っていたんだ」

「いいですけど、アルコールは遠慮しますよ。一応まだ仕事中なので」

「相変わらず生真面目だな。まあいいや、それじゃ俺の行きつけの店にするか。ここから近いし」

 落合刑事に案内され向かったのは、県警本部から徒歩五分足らずの〈弁財通り〉にある店だ。ビルの地下へ続く狭い階段の横に、〈居酒屋もくれん〉の蛍光灯看板が立てられている。店内はカウンター席六つとテーブル席二つを拵えていて、十人程度の団体客でも入れば満員になりそうな小ぢんまりとした空間だった。

「ここは海鮮料理が美味くてな。前に生粋の肉好きで『俺は魚なんて食べません』っていう後輩を連れてきたんだけど、そいつを魚介の虜にしたほどだ」

 テーブル席は二つとも先客がいたため、カウンターの端二席を陣取る。目の前には焼酎の大瓶がずらりと並んでいて奥の厨房はよく見えないが、「らっしゃい」という野太い声の主がおそらく大将だろう。まな板に包丁の刃がぶつかるリズミカルな音、食材を油で揚げる音、食器と食器が触れ合う音が絶え間なく響き、商売繫盛を物語っている。注文を先輩刑事に任せると、すぐさま女性スタッフを呼び出して「これとこれと、あとこれも」と迷うことなく料理をチョイスした。

「よく来られるのですね、この店」

「ああ。新作以外のメニューはあらかた試したが、どれも甲乙つけがたいんだよなあ。とりあえず、ここに来たら必ず食う料理を最初に頼んだぜ」

 通しの枝豆に続いて運ばれたのは、白身魚の巻き卵にエイヒレの炙り、刺身の盛り合わせ、大海老の塩焼き、牡蠣フライだ。特に海老と牡蠣は一個が非常に大ぶりで、一口食べただけでもかなり満足感を得られる一品である。白身魚の巻き卵は時也好みのあっさりとした上品な味わいだ。

「たしかに美味いですね。この巻き卵はいくらでも腹に入りそうだ」

「そうだろ。ここの店主は船乗りをしたり鮮魚の仲買人をしたりと、海の世界を知り尽くした男でな。俺の知っている板さんの中じゃ、海鮮料理で彼の右に出る者はいないね」

 仕事の話そっちのけで、二人で黙々と料理を堪能する。ようやく一息ついたのは、最初の五皿を空にしてあさりの酒蒸しに天ぷらの盛り合わせ、海鮮丼を注文し終えたときだった。

「ところで落合部長。先ほどの話ですが」

 芋焼酎のロックを豪快に飲みながら、パーマ刑事はちらと時也に目を向ける。

「堂珍の事務所で秘書に会ったと話していましたね」

「ああ。ちょっと風でも吹いたら飛ばされそうなくらい、病的に痩せた男だったな」

「その秘書って、もしかして古川夏生ですか」

「それは国会議員時代だよ。古川は堂珍の秘書を辞めた後、現自由公正党の末永保彦すえながやすひこの雇われ秘書になっている。末永は次の内閣改造で初入閣の噂もあるし、そうなりゃ堂珍の時代よりうまい汁を吸えるだろうな」

「末永が入閣? 落合部長、どこでそんな噂を」

 鼻の下を擦る仕草をしながら、熟練巡査部長はにやりと笑う。

「まあ、俺くらいのキャリアになれば色んな世界にスジができるのさ――ってのは冗談だけど。スジ伝手の情報ってのは本当だよ。あくまで噂レベルだけどな」

 組対部経験が長い落合刑事だが、彼の人脈は暴力団関係に留まらず政界にも幅広いネットワークを張っている。堂珍の聴取を彼に一任したのはまさに適材適所の判断なのだ。

「ですが、末永といえばあの事件の」

「あの事件?」

 鸚鵡返しする落合に、時也は虚空を見上げながら記憶の糸を手繰り寄せる。

「俺の記憶が正しければ、たしか末永は過去に闇献金問題で摘発されていたような」

「常磐会闇献金問題、か……懐かしい話を持ち出すな。ありゃたしか、お前がガキのときに起きた事件だろ」

「もう高校生くらいにはなっていたはずです。特捜部の大々的な捜査がニュースで取り沙汰されて、大物議員も逮捕されていましたよね」

 パーマ刑事は片手で頬杖をつき、氷だけになったグラスをぼんやりと見つめる。

「そうなると、もう十五年も前になるか。常磐会が自由公正党と共産推進党に億単位の政治献金をして、その受け取り主の中にはたしかに末永の名も挙がっていた。けど、実際に起訴できたのは幹部を含む四人の国会議員で末永は証拠不十分により不起訴。それも、常磐会の中で末永と定期的に接触していた医師が事件の最中に自殺を図って、末永の不正に関する証拠を文字通り墓場まで持ってった――何とも後味の悪い結末だったな」

「その後、常磐会はどうなったんですか?」

「献金問題を皮切りに、常磐会が過去に行なってきた数々の違法行為が芋づる式に露呈してな。治療費の水増し、手術実績の改ざん、院内のパワハラ問題……法人自体は今も存続しているが、県内にいくつもの診療所や介護施設を建設して最新の技術をばんばん投入するほど羽振りが良かった最盛期と比べると、今や見る影もなし、ってところだ。たしか上港区には、常磐会が過去に運営していた病院の廃墟が残っていたっけ。若い奴らの間では心霊スポットだなんだで有名らしいぜ。大病院も幽霊病院に都落ちってわけだ」

 皮肉交じりの落合の言葉に頷き返しながら、

「逮捕された四人の中に、堂珍仁もいたのですか」

「いや。献金の受け取り主は七人いたが、起訴された四人の中にも不起訴に終わった三人の中にも堂珍の名前はなかったはずだ。そもそも起訴されていたら、いくら影響力があるとはいえ国会議員に返り咲くのは厳しいだろうぜ」

「それもそうですね……堂珍の事務所では、何か有益な話を聞き出せたのですか」

 あさりの酒蒸しを突っつきながら、落合は口をへの字に曲げる。

「受付の嬢ちゃんものっぽの秘書もなかなか口が堅くてな。余計なことは喋るなって堂珍から口止めされてるな、ありゃ」

「二人のどちらかをスジにできればいいですね。堂珍が我々の動きに勘付いているとすれば、なかなか事務所には寄り付かないかもしれないですし」

「ま、既に受付か秘書かどちらかが堂珍に告げ口している可能性もあるけどな――小林誠和はどうだったよ」

「マル害の直属の上司には会えましたが、今日は会社自体が休みでほかに話を聞けそうな人物はいませんでした」

「おおかた、マスコミや野次馬やらが詰めかけて仕事にならず臨時休業ってところだろうな……そうだ。さっきの話だけど、もし常磐会のことについて気になるっていうんなら当時特捜で事件を担当した奴が捜二にいるはずだ」

「地検から県警に? 変わった職歴ですね」

「まあ、本人もかなり風変りだからな。けど、恐ろしく記憶力の良い男だし頭も切れるから面白い話が聞けるだろうぜ」

 海鮮丼と天ぷらが到着したところで会議は一時中断される。贅沢な海鮮料理付きの捜査会議は、一時間ほどでお開きとなった。

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