道明寺雪緒ノ怪異蒐集録 -新訳-
槻白倫
第1話 運命の始まり
今日も一人、少女は寂れた公園のブランコに座る。別に遊んでいる訳ではない。少女ももう小学六年生。ブランコで遊ぶ
今はただ、あてども無くただブランコを漕いでいるだけだ。ただの時間潰し。漕ぐ事に意味など無い。
顔には薄っすら笑みを浮かべ、ふんふふんと上機嫌に鼻歌なんて歌ってみせる。
「今日も居たのか」
そんな少女に一人の少年が声をかける。とても目付きの悪い少年。ともすれば、普通の子供であれば怖がってしまいそうな程に。
けれど、少女は少年の顔を見るやいなや薄い笑みを深める。
「うん! 待ってたよぉ、お兄さん!」
にこにこ。嬉しそうに笑みを浮かべる少女を見て、少年は力が抜けたような笑みを浮かべる。
「そっか」
それだけ言うと、少年は少女の隣のブランコに座る。そこが彼の定位置だ。
「学校、どうだった?」
「えー? 別にフツーだよー。授業してー、友達とお喋りしてー、給食食べてー……あっ、でも今日たいくがあった! もー、へとへとだよー」
へにゃぁっと疲れたように脱力する少女。
「お兄さんは? ちゅーがく、大変?」
「まぁ、それなりに。受験も近いし、皆ピリピリしてる」
それを聞いて、少女ははぁと深い溜息を吐く。
「……そうだった。お兄さん来年こーこーせーだもんねー。ぶー……一緒にちゅーがく通いたかったー。あ、そーだ! お兄さん、りゅーねんしよ? そしたら、一年だけだけど一緒に通えるよ!」
「残念。留年するほどお馬鹿じゃないし、素行も悪く無いんだ」
「ぶー! なんでー! わたしと一緒にちゅーがく通いたくないのー?」
頬を膨らませて文句を言う少女を見て、少年は少しだけ影のある笑みを浮かべる。
「俺は、君が思ってるような中学校生活を送って無いからね。見られなくて良かったとさえ思うよ」
少年の陰のある笑みに一瞬見惚れるも、すぐに言葉を返す。
「そ、そっか……でも、一緒に通いたかったなー」
またしてもへにゃぁっと脱力する少女。しかし、直ぐに妙案を思いついたとばかりに姿勢を正す。
「あ、そうだ! お兄さん、こーこーでりゅーねんして? わたしが入学するまでりゅーねんしてくれたら、お兄さんと三年間一緒に通えるから!」
「断る。そんな事したら父さんが泣くか――」
言って、少年はしまったとばかりに言葉を止める。
だが、少女は気にした様子も無くにこりと笑う。
「……残念だけど、俺は君が思ってるよりもお馬鹿じゃない。留年なんてしないさ」
誤魔化すように、少年は慌てて言葉を紡いだ。
「ぶー! 意地悪ー!」
頬を膨らませる少女を見て、少年は安堵する。
「知ってるー」
はははと楽しそうに笑って見せる。
それが誤魔化しである事は、お互いに分かっていた。分かっていて、お互いそこには触れなかった。それが、二人の間の暗黙の了解。
「……そろそろ良い時間だろ。送ってくから帰ろうか」
腕時計を確認して少年が言えば、少女はぶーっと不服そうに頬を膨らませる。
「いやー!」
「ダメです。子供は帰る時間です。ほら、立った立った」
ぱんぱんと手を叩いて、ブランコから降りるように促す少年。
少女も、もう帰らなくてはいけない事は分かっている。けれど、帰りたくないのだ。
言わなくても、少年なら分かってくれる。全部知ってる上で、少年が一緒に居てくれることを、少女は理解している。
甘えたい。甘えさせて欲しい。帰りたくない。分かって。ここが良い。ずっと二人が良い。
口にしたい。でも、ダメだ。それは、少年を困らせる。困らせたい訳では無いのだから。
帰りたくない。帰りたくないけれど、どうしてだろう。
「ほら、行こうぜ」
そう言って差し出された少年の手が、少女は愛おしいほど好きなのだ。
「はーい」
少女は少年の手を掴む。心底、仕方なさそうに見せる。
少年は少女の手を取って歩き出す。
帰り道は嫌いだ。家に帰らなくちゃいけないから。でも、少年の手を取って歩く帰り道は大好きだった。
きゅっと力込めれば、優しく返してくれる。
自然と、笑みが浮かぶ。
二人は夕日差す帰路を歩く。少年に見つからないように、顔を俯けて嬉しそうにはにかむその顔が赤いのは、きっと夕日の悪戯だろう。
雨の降りしきる山道を一人の少年が歩く。
登山靴も、ぬかるんだ道程度であれば水の侵入は無いけれど、こうも雨に降られては防水のしようが無い。結果、靴下まで浸水し、歩く度にびちゃびちゃと不快な感触が返って来る。
しかし、そんな事を気にも留めずに、少年はひたすらに山道を歩く。
もうすぐ山頂。とはいえ、雨は止む気配は無いし、ごろごろと小さく雷鳴が雨の隙間を縫って耳に入る。山頂を目指すのではなく、すぐさま下山した方が賢明だというのに、少年はずんずんと山頂に向かって足を進める。
時折、何かを探すように周囲を見渡す。
疲れも、雨の不快感も、濡れる靴も苦にならないのか。それとも、気にしていないのか。少年の足取りは緩むことが無い。
そうして、少年がひたすらに歩を進めると、とうとう山頂までたどり着いてしまった。
山頂には大小様々な石が転がり、その中に一際大きな岩が鎮座している。
その岩には注連縄が巻かれており、岩の前の古びた立て板には『史跡 殺生石』と記されていた。
その立て板に興味が無いのか、少年は一瞥をくれるだけですぐに視線を逸らした。
「ここなら、居るかもって思ったんだけどな……」
少年の登ってきた山には曰くがある。
曰く、妖怪を見た。
曰く、美しい着物の女性を見たけれど、直ぐに見失ってしまった。
曰く、この山に登ると神隠しに遭ってしまう。
等々、様々な曰くがあり、実際に行方不明者も出ている事から、地元の者もあまりこの山には登りたがらない。それほどまでに、曰くにまみれた山なのだ。
目的が済んだのなら早く下山するべきだろう。けれど、少年の心中は徒労感で満たされており、直ぐに直ぐ移動する気にはなれなかった。
それが、あだとなったのだろうか。
曇天から一つ稲光が瞬く。
雷は鋭角な蛇行を見せてから、山頂に立ち竦んでいた少年に落ちた。
悲鳴を上げる間も、逃げる間も無かった。
一瞬で意識は闇に落ち、少年はその場に倒れ込んだ。
こんな場所、こんな天候では助けも来ないだろう。
雷に打たれた場合、迅速な応急処置が何よりも大切だ。加えて言えば、雷に打たれれば、ほぼ生存は不可能。それこそ、神がかり的な幸運でもない限りは。
だが、神がかりか、あるいは幸運か、その場には第三者が存在していた。
倒れ込んだ少年をいつの間にやら現れた、着物を着た美しい女性が抱え上げる。
登山をするにあまりにも不釣り合いな恰好。しかし、その姿に汚れは一つも無く、顔色も山を歩いた疲れを感じさせない程涼やかなものだった。
「ようやっと、追いつきました。さて、後は史実通りに」
女性は軽い足取りで下山する。
いつの間にか、雨は上がっていた。
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