第18話 ふたりの歌姫

「歌詞って、カッコいいよね」


 佳乃ちゃんは、たまに僕を驚かせることを言い出す。


 どうやら佳乃ちゃんのなかでは短歌、俳句、広告のキャッチコピー、絵画のタイトル、小説のタイトル、歌詞なども「カッコいい」ものとして、ひとくくりになっているらしい。


 水原さんと佳乃ちゃんが、椎名林檎という歌手の「本能」という曲を、ふたりで器用にデュエットして歌ってくれた。


 普段はカラオケに行く機会がないと僕が言うと、水原さんと佳乃ちゃんが顔を見合せた。

 そして、見たことがないニヤリとした雰囲気の微笑を浮かべながら、ふたりは僕の顔を見つめた。

 嫌な予感がした。


 図書館から、ふたりに連れられて、僕はマンガ喫茶の建物の中に併設されたカラオケルームに来ている。

他にも、ビリヤードやダーツの部屋も併設されていて、たまにふたりは利用しているらしい。


I just want to be with you tonight.

I know that you want to be my babe.


約束は要らないわ

果たされないことなど大嫌いなの

ずっと繋がれて居たいわ

朝が来ない窓辺を求めているの


どうして歴史の上に言葉が生まれたのか

太陽 酸素 海 風

もう充分だった筈でしょう


淋しいのはお互い様で

正しく舐め合う傷は誰も何もとがめられない

紐解いて命になぞら


気紛れを許して

今更なんて思わずに急かしてよ

もっと中迄なかまで入って

あたしの衝動を突き動かしてよ


全部どうでもいいと云っていたい様な月の

劣等感 カテゴライズ

そういうの忘れてみましょう


終わりにはどうせ独りだし

際虚さいからの真実を押し通して絶えてゆくのが

鋭いの目線が好き


約束は要らないわ

果たされないことなど大嫌いなの

ずっと繋がれて居たいわ

朝が来ない窓辺を求めているの


気紛れを許して

今更なんて思わずに急かしてよ

もっと中迄入って

あたしの衝動を突き動かしてよ


(椎名林檎「本能」/1999年/

JASRAC  出 070-0583-1)


 歌い出したふたりを僕は「カッコいい」と思い、つい見惚れてしまい、歌い終わったあと、思わず拍手していた。


「ふたりとも、すごくカッコ良かった!」

「うわっ、キョウくんに褒められた。ありがとうございまーす」

「やっぱり、佳乃の声は最高に素敵だわ」


 帰宅してからも、この曲の歌詞はどんな意味なのか考えたくなるぐらい、ふたりとも、とても魅力的だった。

 ふたりが歌い終わっても、僕の胸はドキドキとしていた。


 図書館やラパン・アジルで話している時のふたりを、僕は異性として意識し過ぎないように気をつけていた。

 それなのに、僕はふたりの歌声を聴いて、そわそわと落ちつかない熱い塊のような気持ちが生まれてしまった。

 特別な僕だけの思い出が、またひとつ増えた日になった。


 いまだに、歳時記や国語辞典を開き、眉間にしわを寄せて自分の句をながめながら、首をひねって考え込むことがある。


 洗濯物を干しながら、鼻歌を歌っている上機嫌らしい彼女のハミングが聞こえてきて、僕は集中力が途切れて苦笑する。


憂鬱を切り裂く幼稚園児の散歩

(せきしろ)


 これは自由律俳句。

 悩んだり、憂鬱な気分にひたるのも、なかなかムードが必要。

 憂鬱な気分の人が、思いがけず明るい幼稚園児たちの散歩の集団に遭遇して、気分をがらっと変えられる瞬間の驚き。


(あの日の歌っていたふたりの雰囲気を、思い出して俳句にするのは、なかなかむずかしいな)


 僕は彼女の鼻歌の歌声になごみながら、いろいろなことを思い出す。


 俳句の一句で、出来事を伝えるのは、説明しているようになりがちなので難しい。


 「源氏物語」や「伊勢物語」のように散文と和歌のスタイル。

 あと「奥の細道」のように、散文と俳句のスタイルのようにすれば、読者への状況説明はできるかもしれない。

 エッセイに近いかたちで。


 連歌のように、いくつも句を並べて、映画がカットをつなぐことでシーンをつなくような演出もできるかもしれない。

 モンタージュ。マッチカット。

 これは連作向けだろう。


 何冊も作品を書いた作家が亡くなったあとで、批評家たちによって、それぞれの作品を通じて共通しているテーマがあるように証拠のように巧みに細部を引用して並べ、推理するように解説するまとめかたに近いかもしれない。

 ベンヤミンなら「星座化」というところか。


七夕や髪ぬれしまま人に逢ふ

(橋本はしもと多佳子たかこ


 この一句では「髪ぬれしまま人に逢ふ」のは「作者」であると読まれる。


 登場人物が複数の場合や、一句の主人公が「作者」ではないときには、誰が何をというのが伝わりにくい句になりがち。


《ほしいものが、ほしいわ。》

(糸井重里)


 これは、コピーライター糸井重里氏が、西武百貨店のポスター用に考えたキャッチコピー。

 バブル絶頂期(1988年)すでに成熟消費社会に突入。市場には多種多様な商品が氾濫していて、その中で、企業により人工的に作り出された欲望やニーズに踊らされることに疲れた大衆が、本当に自分の望むものが欲しいという願望を表したコピー。

 そして、西武百貨店では貴方が本当に欲しいものだけを揃えているというメッセージ。

 そうやって説明するとわかりやすくなりすぎるけれど、インパクトは今もある。

 誰が、誰に対して何を「ほしいわ」と伝えているメッセージなのいうのは、キャッチコピーだけなら一句の俳句のように読む人にゆだねられている。


 女優の宮沢りえがイケメンと今にもキスをしそうなシーンのポスターが、池袋のSEIBUデパートの壁面いっぱいに貼られた。

 ポスターは、キャッチコピーと画像は取り合わされて意味を伝える。


夏草や兵どもが夢のあと

(芭蕉)


 目の前の現在の「夏草」に、切れ字の「や」で句を切り、過去のかつての戦で闘った兵士たちを思い浮かべているように詠まれている一句。

 この一句では現在と過去の回想がまとまってある。けれど、季語を現在とするパターンが多い。

 俳句は作者が現在を詠むというのが基本になっている。


一家ひとつやに遊女も寝たり萩と月

(芭蕉)


 「奥の細道」の中のこの芭蕉の一句は、一緒の宿に泊まっているらしい二人の「萩と月」という遊女の名のようでもある。

 また、萩の花を月が照らしているという光景にも思えるように書かれている。


 またいつ、どこでという情報を省略したり抽象的にして、読者に句の世界に共感しやすくする。

 動詞もひとつ、多めでふたつにすると説明文の断片のような印象が薄くなる。俳句はたくさんの動きを伝えるのも不向きではある。


 短歌のなかに登場人物が表記される場合、最も一般的なのは「われ」だ。

 それが「私」「僕」「吾」となっても基本的には一人称単数形、つまり英語の「I」であることに変わりはない。

 短歌は基本「われ」の文芸とされている。そこは俳句と同じようでありながら、短歌と俳句を比較すれば、内容の虚構性だけなら、散文である小説ほどではないけれど短歌は俳句より、虚構性の許容範囲が広い。


 哲学者ニーチェの有名な言葉の「神は死んだ」または、フランスの文芸批評家ロラン・バルドの「作者は死んだ」という言葉も、短歌や小説に当てはまるだろう。

 ナレーションをしているのは「作者」である、という約束事がすでに失われている。

 ナレーターは「作者」と「登場人物」どちらでもかまわない。

 「作者」はそっと隠れているか、あるいは登場人物になりきっているという感じ。


 俳句は、エッセイや私小説、ノンフィクションと同じように「作者」=「私」というレトリックの虚構性が維持されていて、それが書かれている世界観=場が読者と共有の認識がされていることが必要。


 一人称としての「僕」。

「僕」は明治以降に普及して使われた男性の自称代名詞である。短歌に登場するのは、戦後になってからだ。


するだろう ぼくをすてたるものがたりマシュマロくちにほおばりながら (村木道彦「天唇」)


きみに逢う以前のぼくに遭いたくて海へのバスに揺られていたり

(永田和宏「メビウスの地平」)


 村木道彦は六十年代、永田和宏は七〇年代、ともに作者が二十代の頃の歌。ひらがなの「ぼく」はこのあたりが発祥だろうか。

 六〇年代、政治的な時代に抗うように登場した「ぼく」と詠む感性は、やがて一九九〇年代へと繋がってゆく。

 「僕たち」という表現の作品が多く登場し始めるのは、その九〇年代前後から。


腕組みをして僕たちは見守った暴れまわる朝の脱水機を

(穂村弘「手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)」)


 「われら」という表現は「我々われわれ」という演説の語り口に似ている。

 何か大きな団体や組織の中で所属している多数に向けて、演説している個人のような……。


今朝われら羽を持たざるもののごと清々しただ水溜まりを越ゆ

(永田 淳「1/125秒」)


われらかつて魚なりし頃かたらひし藻の蔭に似るゆふぐれ来たる

(水原紫苑 「びあんか」)


 かつて終戦後になって「第二芸術論」(桑原武夫)という評論があった。

 開国や終戦を挟んでその前後に西欧の文化の影響を受け入れ、社会情勢や制度の変化も起きた。

 実際はころっと変わったのではなく、じわじわと考えや表現の方法が変わっていくのだけれど、目印や栞のように、ざっくりといえばという話だ。


世の中を遊びごころや氷柱折る

(高浜虚子)


 終戦後の翌年二月の一句。

 戦争末期、小諸に訪ねてきた門弟の中村草田男に虚子は日本の行く末はどうなると思うかときかれて「なるようになる」と答えたという。

 終戦の年、虚子は七十一歳。戦後は十四年間、彼は生きて句を残し続けた。

 桑原武夫が俳句を「第二芸術」であると叩いた時、大御所の虚子は笑っていたのかもしれない。

 のちに桑原武夫は、こう書いている。


 昭和二十二年ごろ、虚子の言葉というのが私の耳にもとどいた――「第二芸術論」といわれて俳人たちが憤慨ふんがいしているが、自分らが始めたころは世間で俳句を芸術だと思っているものはなかった。せいぜい第二十芸術くらいのところか。十八階級特進したんだから結構じゃないか。戦争中、文学報国会の京都集会での傍若無人ぼうじゃくぶじんの態度を思い出し、虚子とはいよいよ不敵な人物と思った。

(桑原武夫「第二芸術」講談社学術文庫の「まえがき」より抜粋)


 僕は彼女とダウンロードしてきたなつかしい椎名林檎の「本能」を聴きながら、インスタントコーヒーを飲んで休憩した。


 作家の坂口安吾は、第二芸術論について実作者らしい言葉を残している。


問題はたゞ詩魂、詩の本質を解すればよろしい。

主知派だの抒情派だのと窮屈なことは言ふに及ばぬ。

私小説もフィクションも、何でもいゝではないか。

私は私小説しか書かない私小説作家だの、私は抒情を排す主知的詩人だのと、人間はそんな狭いものではなく、知性感性、私情に就ても語りたければ物語も嘘もつきたい、人間同様、芸術は元々量見の狭いものではない。

何々主義などゝいふものによつて限定さるべき性質のものではないのである。

俳句も短歌も私小説も芸術の一形式なのである。

たゞ、俳句の極意書や短歌の奥儀秘伝書に通じてゐるが、詩の本質を解さず、本当の詩魂をもたない俳人歌人の名人達人諸先生が、俳人であり歌人であつても、詩人でない、芸術家でないといふだけの話なのである。

(「第二芸術論について」青空文庫より抜粋)


 「第二芸術論」は日本の有史で初めて味わった無条件降伏という隙間のような空虚の時間、そんな時代性が書かせた流行のものだったのではないかと思う。

 桑原をはじめとする若き知識人たちは、ひそかに大正時代のペシミストたちの言葉は正しかったと実感したのかもしれない。つまり明治以降、西洋の科学・技術の成果だけをとり入れ、西洋思想まで移入しなかった近代化の不徹底を声高に叫んだ、大正時代の知識人たちがいた。

 漱石一門に代表されるこれらの知識人たちは、やがて、軍部が政権を握る帝国主義の情勢に巻き込まれていく。


 二・二六事件。

 五・一五事件。

 そして日本は戦争に突入した。


 桑原たちの情熱は、日本の真の西洋化は敗戦直後という文化の変化が起きているこの時期をおいて他にないとはやったのかもしれない。


 戦時中文学報国会で桑原が垣間見た虚子の尊大な態度が、軍部的ファシズムと重なり、権威に対する反発として「第二芸術」を書く動機となったことは、後に桑原自身が語っているところでもある。

 ただし反響の大きさに反し「第二芸術」が生まれた舞台裏は、桑原武夫が述懐するように実にあっさりしたものであったらしい。

 雑誌「世界」からの依頼を「軽い気持ち」で引き受け、ほとんど一晩で書き上げたようである。


 ただし、この時代にはアメリカのGHQのWGIP

(War Guilt Information Program)

の存在がある。

 このWGIPは暫くその存在を語ることがさえはばかられたが、最近研究が進みその実態が明らかになっている。

 GHQによる思想と言論統制は徹底したものだった。

見えざる手。

 GHQの検閲があり許可された著作しか出版を許されない。

 出版社を通して直接、間接的に桑原や小田切など若き言論人におよんでいた可能性もある。

 短歌や俳句を内輪揉めさせる。

状況を混乱させることで、衰退させること。

 そうした敗戦国の日本に対しての文化や国民の意識のコントロールは行われてきた。

 しかし高浜虚子を含めて、桑原武夫は議論を避けられた。


 こうした陰謀論はさておき、椎名林檎の歌詞ではないけれど、

 衝動

が僕らを創作することに動かしていくような気がしている。


 ソファーに腰を下ろして、隣にいて肩を寄せてきた彼女の頬に、僕はそっとキスをした。


 僕は恋をして、あの頃にいろいろな人と出会ったことで、何かとても積極的に行動して楽しめるようになれた気がする。




































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