第11話 恥ずかしさの虹のむこうに(2)

 僕はあまり目立ちたくない。


「どんなに自分の句が良いと思っても、自分の詠んだ句は選ばないでください。他の人の一句の良いところを見つけるつもりでお願いします」


 山口さんがそう言ったので、僕はそういう自信がある人もいるのかと思った。


「キョウくん、どれがあの先生のやつだと思う?」


 佳乃ちゃんは一番いいと思う一句はもう選んだらしく、小声で僕に囁いた。

 右側に佳乃ちゃん、左側に水原さんに挟まれて、僕はなかなか一番いい句を決めかねていた。


「では、横山さんに手伝ってもらって、書き出してみます。一票も自分の句に入らなかったからといって、気を落とさないように。あとは、一票でも票が入っていたら喜んでください。あなたの詠んだ句が誰かに届いたということですからね」


 山口さんが番号を読み上げ、横山さんはその句を、とてもしっかりしたきれいな字で、ホワイトボードに書き出していく。


「横山さんは、字がいつも丁寧できれいですね。俳句は縦書きで書き出された時と、横書きで書いた時は、見た目の印象がちがいますから、手書きで手帳などに縦書きに書き直して、ながめて口に出して読み上げてみるのも、見た目もテンポも良いすっきりした句にする方法です」


コスモスのゆれあう道に待たせをり

赤とんぼつかず離れず来て故郷

たこ焼きのくるりと祭惜しみけり

ついばみてよきもの得たり初雀

春の海ふたりに今日の揮発性

白息につつまれてくる言葉あり

冬の朝パンにバターのすつと溶け

ふたりして打ち上げ花火待つも恋


「今回はなかなかいいですね。十六人で八句に票が入りました。ちなみに、私の句も一句入っているのがありがたいことです」


 僕の俳句も、ちゃっかり一句まぎれこんでいる。


冬の朝パンにバターのすつと溶け


というのが、僕の詠んだ一句。

 ここにいる誰かの心に、僕の書いた言葉が詩になって届いたと思うとうれしい。


「みなさんは、私と横山さんの対談を聞きながら、自分の二句以外の三十句から一句をわずか十分間で選句したわけですが、いかがでしたか。こうして他の人が選んだ一句もまとめて見てみると、どっちにするか迷ったけれど、たしかにその句も良かったな、とか感じたりしませんか?」


たこ焼きのくるりとまつり惜しみけり


 これが僕の選んだ一句。

 僕は高校生の夏休みに、アルバイトで、屋台のチョコバナナ売りをしたことがある。

 たこ焼き屋ではなかったけれど、通りの帰っていく人たちをながめていて、祭の時間がもうすぐ終わりだなと感じながら、少しさみしい気持ちがあったのを、この一句を読んで思い出したから選んだ。


 もしかすると、僕の一句を選んでくれた人も、朝のトーストの焼きたての匂いや、もしかしたら食べた時のさくっとした食感を思い出してくれたのかもしれない。


「私の句は、ふたりして打ち上げ花火待つも恋、という一句です」


 水原さんは黙って、ひたすら書き取りを続けている。


二人見し雪は今年も降りけるか

(松尾芭蕉)

二人してむすべば濁る清水哉     (与謝蕪村)

ふたりして雛にかしづく楽しさよ

(夏目漱石)

滴りてふたりとは始まりの数

(辻美奈子)

ふたりしてかたき杏を齧りけり

(森中いづみ)


 山口さんはホワイトボードの左半分に、五人の俳人の例句を書いた。


「私の場合は、俳句をぱっと見た時に、似た言葉の使われた俳句がいくつか思い浮かびます。そこで思い浮かんだ先人たちの既存の句の言葉の使い方があり、内容が別のものではないかを、よくチェックします。俳句は十七音。とても短く、覚えやすいけれど、忘れやすいところがあります。使われている言葉ではなく、シーンの印象を覚えていて、自分で詠むためにどんなシーンを書きたいか考えた時、それに似たシーンを書かれている既存の作品が、どうやって言葉で演出しているかを参考にして書いてみます。この一句は、恋をしているふたりが、夜空に打ち上げ花火が上がるのを待っている間も、恋を意識しているというシーンです。恋愛映画や青春映画などでは、やや使われているシーンかもしれません。たとえば……おっといけない。今、みなさんは映画の話を聞きに来たわけじゃなかった。たまに自分が実際に体験したことがなければ、リアルに描写した作品が書けないと話す人はいますが、半分は正解で、半分はまちがっています」


 山口さんは実際に体験して感動したことや、映画や小説から想像して感動したことも、同じように感動であることは変わらないと説明した。


「この句は、打ち上げ花火という花火という季語ですが、たとえば別の季語で初日の出や名月の出を待っていることで季節感や場所などが変わってきます。美しい月をながめる人物が登場する和歌などもかなりありますので、夜空を見上げる人物が物思いにふけっているというのはありがちなものかもしれません。きっと、花火が上がっている瞬間を光や音に感動しているシーンが使われている作品はたくさんあるでしょう。そこで、役に立つのが自分の体験です。打ち上げ花火も、ずっと連続で打ち上げられているわけではなくて、打ち上げられたあと、次の花火玉が打ち上げられるまでに、しばらく間が空くことがあります。それを私は打ち上げ花火をながめて実際に体験したので知っています。その間に何かを考える時間があることを詠んだわけです」


ねむりても旅の花火の胸にひらく

(大野林火おおのりんか


「作者の自選自解によると、飯田橋の踏切で、終戦後に久しぶりに上がった花火を見て、興奮して、就寝してからも、心から平和の良さをつくづく感じたと書いている一句です。特徴として下五の部分が五音で収まらず、六音の字余りにされているのは溢れる思いを表現したかったからと思われます。字余りの句は、他にも有名な句に松尾芭蕉の、旅に病んで夢は枯野をかけ廻ると上五の部分を字余りにして書かれています。字余りはかえって句の内容にふさわしい勢いが生まれることや、作者の強い思いの緊張感を表現できます。中七の部分を字余りにしない、するなら句またがりなどで八音と九音で間をつくるなど全体のなだらかな五七五を崩すことで表現にすることもできます。切れ字や字余りなど俳句にはいくつかの表現方法がありますが、それに頼りすぎてしまうと、まず句を作っていて退屈ですし、読む人はまたかとその百倍ぐらい退屈してしまいます。定番のシーンが思い浮かんだとしたら、それを書いた類想類句はたくさんあることを思い出して、自分の体験からでもいいので、少しずらしてみる工夫が必要です。演出、つまり俳句の表現方法に慣れるには、逆に類想類句をたくさん作って、まねをしてみるのもよいでしょう」


わが夏帽どこまで転べども故郷

葱坊主どこをふり向きても故郷

(寺山修司)


赤とんぼつかず離れず来て故郷


 ホワイトボードを裏返して、三句を、山口さんは横山さんの字よりも少し癖のある力強い字で書き出した。


「このふたつの寺山修司の俳句です。故郷という言葉が効果的に使われています。寺山修司の短歌や演劇にも一貫している郷愁というテーマがこれらの俳句にもすでにあります。さて、みなさんが選んだ句の中で、とても似た印象の一句がありますね。赤とんぼつかず離れず来て故郷。この一句を詠まれた方は?」


 すっと手を上げたのは、前列の端の席の色の明るい髪色をしたセミロングの中年女性だった。


「ふんわり袖のブラウスに、ベージュのパンツを合わせではいていた人ね」


 水原さんにあとで言われて、僕はそう言われるとそうだったかなとは思ったけれど、僕は正直なところ、どんな服装だったか、うろ覚えだった。

 意識していないことから、見ていたとしても忘れていく。


 職員の横山さんが椅子から立った女性にマイクを手渡した。


「こんばんは、俳句講座へようこそ。みなさん、句会では、名字ではなく、名前かペンネームか俳号で呼び合います。選評のときに自分の俳句が司会進行役の人に読み上げられたあと、この句はどなたですか? と尋ねられたら、初めて手を上げて名乗ります。では、お願いします」


「はい、杏子きょうこです」


「彼女は、カルチャーセンターの講座の受講生のひとりです。彼女の俳号は季語のあんずと、同じ漢字を書きます。これは、寺山修司の俳句を参考にしたのですか?」

「いいえ、と言いたいところですが、そうです。先ほど先生が先人の俳人をまねをして慣れるとおっしゃっていたように、自分の子供の頃にふるさとで見た赤とんぼを思い出して詠んでみました」


「句意はよく伝わっています。赤とんぼと故郷は、童謡の赤とんぼという歌も思い浮かびますから、詠まれやすい取り合わせだと思います。あと夕暮れと故郷という取り合わせはもっと多いです」


 たしかに赤とんぼと故郷の組み合わせが、よくある感じがしたので僕は選らばなかった。

 だけど、びしっと故郷という言葉が最後に置かれているのは、寺山修司の句、この人の詠んだ一句どちらも、とてもいいと思った。


「本歌取りですね。俳人の金子兜太はこれを〈もじり〉といっています。和歌では新古今和歌集の撰者の藤原定家がこの技法の名人です。できあがった作品が、もとの作品とは、別の趣を持った作品になっているかどうか。それが〈もじり〉と〈なぞり〉のちがいということになります」


わが夏帽どこまで転べども故郷

葱坊主どこをふり向きても故郷

赤とんぼつかず離れず来て故郷


「さて、この三句が寺山修司の句集に並べられていたら、みなさん見分けられますか。私は見分けられる気がしません。共通している故郷という言葉から喚起されるイメージが、そっくりだからです。季語のイメージを、故郷と最後に置かれた言葉で重ねています」


 山口さんはそう言ってから、もとの作品に使われている季語と杏子さんの一句に使われている季語「夏帽」「葱坊主」「赤とんぼ」とホワイトボードに書き出して、杏子さんの一句では、秋の季語の「赤とんぼ」が使われていることで「つかず離れず」というフレーズが「赤とんぼ」の動きであると同時に「故郷」へのなつかしさが「つかず離れず」という意味にも読めるのが良いことを説明した。夏の季語と秋の季語の与える印象のちがいで寺山修司の句よりも少し感傷的だけれど、本歌取りは、もとの作品のイメージを大切にして、さらに新しい趣を加えていくことがポイント。さらに杏子さんが自分の気持ちや感じかたが「赤とんぼ」の季語を選んだことや「つかず離れず来て」のフレーズで表現できているところが良いですね、と褒めていた。


「俳句で季語を使うことは、今までに作られた先人たちの詠んできた同じ季語の句の本歌取り、とも考えることもできます。そこに自分の気持ちや感じ取りかた、つまり感性を表現するわけです。杏子さん、ありがとうございました」


 それを聞いていた水原さんが、ノートから顔を上げて「あっ」と小さな声をもらしたので、僕は思わず水原さんの横顔を見つめてしまった。


 この時、水原さんが何を気づいたのか。

 僕と佳乃ちゃんは、その気づきをあとで水原さんから説明された。


「世界の物事の感じ取りかたを言葉にした時に、それを伝える表現方法のひとつが詩だと思うの」


僕はそのことよりも、自分の詠んだ一句もホワイトボードに書き出されていたので、みんなの前で授業で当てられた生徒みたいに、マイクを持って話すことになるのかもしれないと心配になって、どきどきしてしまっていた。


 表現方法は、詩の場合は言葉の組み合わせから作られている。

 その言葉の組み合わせをランダムに組み合わせていっても、読む人が何かが表現されていると感じ取れば、それは詩になる。

 本家取りの〈もじり〉か、組み合わせで見た目はそっくりにできているけれど自分の気持ちや感じかたを表現していない〈なぞり〉かのちがいは、句意が本人に聞けない作品だけの場合は、見分けがつかないことがある。
























































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