第14話:過去は自分から去ってくれない

 混乱の末に、怒りをホープにぶつけるしかなくなった7sセブンス。突然の出来事にぼうぜんとするヨシュアとは対照的に、金色の瞳は冷静だった。


 力任せに飛んでくる豪腕にも、瞼を閉じない。


「お前ら一体、どういう関係なんだ!」


「7sと同じだよ、幼なじみだって」


 聞きたいのは、そんな話じゃない。バーベルに手を掛けた7sは、唸り声を上げ、持ち上げた拍子に思い切りぶん投げた。

 ジムの床に片手をついたホープが、身体をねじって後方に回転する。着地の反動をバネに、更に大きく後ろに飛んで、サンドバッグの背後に回り込んだ。


 常人離れした身のこなしに、7sが青ざめる。


 ホープは転校してきた時から、スポーツ万能だった。問題は、万能どころではなかった事。しかもそれを、意図的に隠していた。


 ――ホープの両親は、テロ組織のトップだった。


 7sも警察官になるための訓練を受けたから分かる。スポーツとしての戦闘ではない。実戦に特化……いや、即実戦レベルの戦闘スキルをホープは持っている。


 ――それじゃあ、あのビデオに映ってたヨシュアも、本物って事じゃん。


 7sは涙を止められなかった。くしゃくしゃになった顔は子供のようで、かすかに震えている。無駄と分かっていても、サンドバッグに突っ込むしか気持ちのやりようがない。


「俺だけ、何も知らなかったのかよ!」


 サンドバッグが壁に激しくぶつかって、中身が漏れ出す。ホープは7sの動線を読んで、既にリングロープを掴んでいた。


「そういう訳じゃない。落ち着けって、7s。俺は確かにテロリストの息子だよ。お前の叔父さんも、同じ組織に所属してた。セブンって言うんだろ」


 それまで尻餅をついて、言葉を失っていたヨシュアがか細い声で、ホープに問いかけた。


「……7の事まで知ってたの?」


 ホープの視線が、揺れるサファイアブルーを捉えた。無言で瞳を伏せる。

 7sは叔父の名前が出たのも許せなかったし、二人がアイコンタクトを取ったのも許せなかった。


 一番許せなかったのは、何も知らず脳天気に、ヨシュアに恋をしていた自分だけれども。


「ホープ! てめえが叔父さんの名前を口にすんな!」


 ヨシュアの目が大きく見開かれ、肩が激しく上下する。7sが何を何処まで知ったのか、今は分からない。けれども、ホープが『セブン』の名を口にした以上、最悪の事実が開示される可能性は極めて高い。


 

 命の取り合いをさせてしまったのは、一度目のヨシュアだ。


「ホープ、叔父さんは何故死んだ。言え!」


 母親似のつり目が、ギュッと強ばった。珍しい瞳の色。そのせいで、細くなった瞳孔が一際目立つ。わずかな変化を見逃さなかった7sが、リングに向かって突進する。


 ――誰も否定しない。何も言わない。叔父さんは、てめえの両親が殺したんだろ!


 泣き続けていた7sは、絶望を通り越して、殺意が剥き出しになっていた。元よりガキ大将気質ではあっても、本気で怒った事などない。ゆえに怒りに対し、7sは余りにも無防備だった。


 オイルマンの告発から続いたストレスが、限界を迎えた。無自覚な殺意で、はちみつ色の髪が逆立つ。


 腰のホルスターから、拳銃を抜き構える。ホープはエメラルドグリーンの瞳を見据えたまま、コーナーにじりじりと寄り始めていた。


 安全装置を外そうとした時、走り出したヨシュアが7sの足にしがみついた。


 7sが泣いていたのと同じように、ヨシュアもまた泣いていた。祈りにも近い叫びが、青白くなった唇から放たれる。


「止めて! お願いだから、そんな事しないで!」


 ……!


 激しい衝撃と共に、暗転した世界を火花が散って、目の前が赤く染まる。

 振り上げられたグリップは、離れようとしないヨシュアを何度も打ち付けた。それでも彼は、しがみついた手を決して離そうとしなかった。


「……一体、何者なんだ。お前」


 7sが化け物でも見るような目で、ヨシュアを見下ろした。細い身体が震えて、呼吸が速くなる。


「僕……僕は!」


「異能とかはどうでもいい。どうせ受け止めきれないから」


「そう、だよね」

 

「なあ、ヨシュア。そんなに俺が信用出来ないかよ。叔父さんの代わりに、俺はなれないか?」


 ジムに現れてから、初めて見せた7sのほんかい。流石のヨシュアでも気が付いた。血と涙でぐちゃぐちゃになっているのもお構いなしに、7sを見上げる。


「そんなことない! だけど7とは、恋愛関係じゃなかった。僕の問題なんだ。傲慢だったんだよ……やり直せばゆるされるって、心の何処かで思ってた」


 最早、矛先を見失った拳銃。その銃口をホープがそっと掴んだ。7sは抵抗せず、銃身を下げた。だらりと肩を落とし、自分が振るった暴力の残骸を見る。


 力のない声が、せたエメラルドグリーンから絞り出された。


「この間、逮捕した変態から聞いた。『トロイ』ってテロ組織の構成員だったそうだ。組織を率いていたのは、お前か? 20年前のビデオテープにヨシュア、お前が映ってた」


 額の傷にタオルを当てていたヨシュアが、無言で頷く。

 眉間に深い皺を刻んだホープがポツリと告げた。


「ナオミも、殆ど知らないんだ。苦しいのは、俺達だけじゃないよ。親世代だって悩んでる。俺達がもう、子供じゃなくなっちゃったから」


「……過去は、自分からいなくなってくんねえもんな」


 背中を向けた7sは、誰にともなく呟くとジムから去って行った。




 ◆




 酷い顔をして帰宅したヨシュアに、ナオミは驚き、キングは『ついにその日が来たか』と悲痛な表情をしていた。


 病院へ行こうと説得するナオミ。ヨシュアは「転んで出来た傷だから」とけ続けた。誰がどう見ても嘘。今にも崩れ落ちそうな横顔には、普段のプライドチョモランマが欠片もない。


「アンナには言わないで」消え入りそうな声でこんがんするヨシュアを、キング父娘はそっとしておいた。


 一日経ち、二日経ち、一週間が経った。

 ヨシュアはトイレに出てくる位で、食事も殆ど摂らない。


 彼は、部屋の中で小さい頃からのアルバムを繰り返し見ていた。一度目の人生では、夢見る事さえ叶わなかった平凡な生活。

 学校に通い、遠足に行って、幼馴染みと遊ぶ。

 多くの写真が7sと一緒に撮ったもので、どれを見ても二人して笑っている。


「いつから勘違いしてたんだろうな。過去の罪が帳消しになるかもしれない、だなんて」


 自嘲気味な口調とは裏腹に、声色は悲嘆そのものだった。ドアをノックする音がして、ヨシュアは虚ろな目を向けた。


「携帯電話の充電、切れてない?」


 そう言いながら入ってきたのは、弟のキングだった。家の電話を持っている。ぼんやりと携帯に目を落としたヨシュアは、おざなりに頷いた。


「7s君のお父さんから、電話」


 渡された受話器を耳に当てる。「はい、ヨシュアです」最初は声に出してしていた応答も、次第に無言で首を振るだけになった。

 通話終了ボタンを押したヨシュアが立ち上がる。眩暈めまいを起こした身体をキングが支えた。


「……7sが辞表を置いていなくなった」


 笑顔の二人を捉えた写真に、涙が零れ落ちた。 

 

 

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