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「俺さぁ、母親に疎まれてんだよね。昔はまぁ、普通の母親だったんだけど、数年前親父と離婚してから、どんどん親父に似ていく俺を疎む様になった。男を家に連れ込む事も多くなったし、なんか、変な男と再婚するかもしれないし」


〈変な男?〉


「母親、水商売やってんの。だから夜仕事行って、朝帰ってくるんだよ。そん時に、男連れてる事が多いんだよね。多分、客の一人だと思う」彼が自嘲気味に笑って、「丁度学校休みの時でさ、その男と喋ってんの聞いちゃったんだよ。『あいつが死ねば大金入るのに』って」


「……」


 なんて返答すればいいかが分からず、ペンを強く握り締める。


「保険金殺人っての? 割と他人事じゃねぇなって」


 はは、と白川が乾いた笑いを漏らす。しかしその笑いはやはり機械的で、初めて彼と話した時に見せてくれた笑顔とは程遠いものだった。胸がずきりと痛み、白川の横顔から視線を外す。


「――俺、白雪姫好きなんだよね」


 は?

 何の脈絡もない発言に、ペンを握り締めたまま思わず固まる。再び彼に視線を向けるが、彼の表情は変わっていなかった。


〈なんだ急に〉


「白雪姫って生命力超強いじゃん。毒林檎食わされても尚生きてるって普通に凄くね? あと、俺王子様のキスで目が覚めるっていうベタなの好きだからさ、白雪姫好きなんだよ」


〈王子様のキスで目が覚める系は白雪姫だけじゃないが。それに、白雪姫はキスで目を覚ましたんじゃなくて〉


「あー! いいから! そういう現実的な話! どうせあれだろ、毒林檎が喉に引っかかってただけとかいう説だろ!」


〈知ってたのかよ〉


 白川が溜息をついて、いつの間にか食べ終わっていたパンの空袋をくしゃりと握り潰した。


〈白川って、白雪姫みたいだな〉


「それ皆言うんだけどなんなの? 白雪姫好きだとは言ったけど白雪姫になりてぇとは言ってねぇよ。それに、そんな事言ったら遠海は人魚姫じゃん」


〈あんな哀れな女と一緒にするな〉


「王子様とか怠いだろって思ってたけど、俺遠海の王子様にだったらなってもいいかも」


〈仮に私が人魚姫だとしたら、お前が王子様になったら私に刺される事になるけどな〉


「あれ、人魚姫って王子様刺せなくて自害したよね? なんで刺す前提で話してんの?」


〈お前の為に自害はしない〉


 そんな他愛のない話――と、いうよりも下らない話をしていると、校内から授業を知らせる予鈴が聞こえてきた。タブレットの上方に表示された時間を見て、思いの外長く白川と話し込んでしまった事を悟る。

 タブレットと食べかけのパンを抱え、フェンスに掴まりながらその場に立ち上がった。


「なぁ、お前階段降りられんの?」


〈バカにするな。階段の昇り降り位は出来る〉


「でも、時間かかるだろ。その足で、ここから五分以内に教室に戻るって無理じゃね?」


「……」


 白川の言う通り、私の足では階段を降りるだけで五分消費してしまいそうだ。

 やはり、こんな場所来るべきじゃなかった。遅刻覚悟で戻るしかない。

 そう、思った時。

 白川に腕を掴まれ引き寄せられたと思ったら、急に身体が宙に浮いた。目の前には、下から見た白川の顔と青い空。次第に状況に理解が追い付き、浮遊感に恐怖を感じ始める。


「王子様の予行演習、という事で。落ちたくなかったら暴れるなよ」


 これは所謂、お姫様抱っこという奴だ。

 現実世界でこんな事する奴いたのか。――いやいや、そうじゃなくて。そんな事どうでも良くて。

 私の声であるタブレットは腕の中。とてもじゃないが、文字を書いて見せられる状況では無い。

 彼はこのまま何処まで行くつもりなのだろう。教室まで運ばれては堪ったものでは無い。とにかく、彼の腕から脱出しなければ。羞恥を通り越して最早使命感と変わったそれに、彼の肩を叩き足をバタつかせる。


「あんまり暴れると階段で落すぞ」


 とんだ暴君だ。下ろすという選択肢はないのかこいつには。

 それより今は、背と膝裏に回された腕や、密着した身体からダイレクトに白川の体温が伝わってきて落ち着かない。どくどくと鼓動は早くなる一方で、背や掌に変な汗が滲みだす。

 あの日と、同じだ。初めて白川がバスに乗せてくれた時。あの時にも、今と同じ様な感情を抱いた。その感情と共に胸の中に芽吹いたものは、八神の元から連れ出してくれた時に葉を開き、それからというもの植物が育つ様に大きくなっている気さえしてくる。


 ――『人間の心はプランターである。この世に生を受けたと同時にプランターに土を敷かれ種が埋め込まれる。褒め言葉や好意、会話が肥料になり、人間は己の人生をかけて心の内に美しい植物を育てる』


 思い出すのは、北条涼太の『植物』。違うあれはフィクションだ。作り物だ。北条涼太のファンとしては言いたくない事ではあるが、つまりは彼の空想の話に過ぎないのである。

 羞恥と困惑、そして僅かな恐怖。そんな感情に苛まれている私を他所に、白川は何処か満足げな顔で歩き出した。

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