一話 編入性は白雪姫

 ――九月三日。

 八月が終わった事であらかた気温が下がり、残暑はまだ厳しいものの災害並みの暑さは和らいだ。じっとしていても首筋や背に汗が滲むが、決して耐えられない程ではない。

 夏休みがあけて今日で三日目だというのに、クラスメイト達は未だ夏休みの余韻に浸っている。

 旅行で遠方に行った、遊園地へ行った、高級ホテルに泊まった、など。夏休みの思い出に花を咲かせるのは大いに結構だが、もう新学期が始まって三日目になるのだからそろそろ静かにして欲しいものである。

 私――遠海えんかい真姫まきには、人に自慢できる程の夏休みの思い出など存在しない。課された宿題をこなし、趣味の読書に明け暮れ、二週間に一度のペースで精神科とリハビリへ通院する日々。学校は好きでは無いが、それと同じ位、休日も好きでは無い。夏休みの様な、大型連休ともなれば尚更だ。

 二日前――始業式当日におこなった席替えで勝ち取った、窓際の一番後ろの席に着き、約十インチのタブレット端末に表示させたネットショップをぼんやりと眺める。すると、とある書籍のページが目に付いた。約半年前に発売された、好きな作品の続編にあたる本の様だ。一ヶ月ほど前に発売されたらしく、もう既にレビューが十件以上ついていた。星の数は多く、絶賛するコメントが並んでいる。

 発売されたの、知らなかったな。もっと早く知ってたら、予約して買ったのに。出遅れてしまった事を悔しく思いながら、その書籍をカートに追加する。

 今や、SNSの時代だ。全ては、作家のSNSアカウントや出版社のアカウントから情報が公開される。やはり、私もSNSを始めた方が良いのだろうか。しかし、私に使いこなせるとはとても思えない。溜息をつきながらも、ショッピングを続ける。


「お買い物?」


 ふと右隣から声が聞こえ、反射的にそちらへ顔を向けた。 

 私のタブレットを覗き込んでいたのは、クラスで一番可愛いと噂されている椎名しいな亜梨子ありす。彼女は誰にでも優しく、一人きりでいる生徒を見つければ積極的に話し掛けにいくタイプの女子だ。正直、私は苦手なタイプである。


「何探してるの? 小説? 遠海さんよく教室でも読んでるよね」


 校則に引っ掛からない、ギリギリのラインを攻めた茶髪。毎朝セットしているのか、くるくると綺麗に巻かれた髪を背に垂らしたその姿は些か目立つ。椎名さんの背後に視線を向けてみれば、男子が熱烈な視線を彼女に向けていた。

 いつも一人で居る、友達の居ないにも優しい椎名さん。

 男子の目には、そう映っているに違いない。彼女はそれを分かっているのか、それとも無自覚か。私個人の憶測では前者の様な気がしているが、どちらにせよ不快だ。


「私も小説たまに読むよ! 最近だと、シンデレラストーリーとか、学園物とか……、ライトノベルも友達にオススメされて読んだ! でも私はやっぱ漫画の方が――」


 どうやら彼女は、私が会話に応じるまで喋り続けるつもりらしい。苦手な女子から媚態を見せつけられて辟易しながらも、サイトを閉じを立ち上げた。

 筆談用といっても、決して仰々ぎょうぎょうしいものでは無い。最近ではタブレットやスマートフォンでイラストを描く人が一定数存在しているらしく、そういう人達の為に開発された無償のペイントツールだ。文字を打ち込むより書いた方が早いと判断し、このタブレットを購入した時にインストールした。

 もっと適したツールがある事は安易に予想出来るのだが、私は機械に恐ろしく疎い為徹底して調べないとそのツールに辿り着けない。いつか調べよう、なんて思っているうちに気が付けば一年の月日が経ってしまい、今ではこのペイントツールが定着してしまった。

 真っ白のディスプレイに、タブレット専用ペンシルを走らせる。


〈そういうジャンルはあまり読まない〉


 タブレットを傾け、殴り書きの文字を彼女に見せる。そして椎名さんがその文字を読んだのを確認した後、手早く【削除】を押し再びペンを走らせた。


〈漫画も、興味ない〉


「――……」


 椎名さんが無表情でタブレットを見つめ、僅かに首を傾げた。

 何を考えているのか、分からない人だ。早く会話を切り上げたくて、キャンバスに文字を追加する。


〈そろそろ先生が来るから、席に戻った方がいいよ〉


 タブレットを見た椎名さんが、媚態の無い声で「ふーん」と唸る様に呟いた。媚びた表情が消え失せ、その顔に影が掛かる。

 しかし、次の瞬間には花が咲いた様な笑顔が戻っていて、「そっか! 邪魔してごめんね!」そう言って、足早にグループの輪の中へ戻っていった。

 椎名さんが戻ったグループから、ひそひそと話す声が聞こえる。嫌でも耳に入るその話は、どうやら私の事のようだった。


「――何話してたの?」


「――本の話!」


「――本? あぁ、遠海さんよく一人で読んでるよね。あの子、あれでしょ。〝冷淡少女〟」


 誰かが放ったその一言に、グループの全員が吹き出す様に笑う。あの椎名さんも、その言葉に笑っていた。


 冷淡少女。


 それは、陰でつけられた私のあだ名だった。

 だが私自身は、そのあだ名について何も思っていない。寧ろ、その通りだと思う。

 笑わない、喋らない、人を寄せ付けない。それが私だ。いじめに遭っていない事が不思議にすら思える。

 小さく溜息をつき、まだ文字の残ったディスプレイを見つめながらペンを指の間でくるりと回した。

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