第10話
住み慣れた我が家のリビングに、微妙な沈黙が落ちる。
その沈黙を構成するのは、緊張し冷や汗をだらだら流すお父様。そのお膝の上で大人しくお菓子を頬張るミシェル。にこやかに微笑むアルフレッド。
そして、その様子を直視できない私。
…なぜこんなことに。
――――それは、私が引っ越さないといけない事情について、お父様に報告するその場に、アルフレッドが同席したいと言い出したからだ。
アルフレッドとアリス嬢の手紙について話し合った後、善は急げとばかりに、本日の仕事を中断して家へと戻ることにした。先ほど仕事に出たばかりの娘が急に帰ってくるだけでなく、その雇用主(しかも貴族)が一緒に付いてきた。お父様は目を白黒させながらもとりあえずお茶を出してくれたものの、この状況が全く読めずおろおろとしている。
このままじゃお父様がかわいそうだわ。
私はこの微妙な空気を払拭するために、意を決して口を開く。
アルフレッドとお付き合いしていること、アルフレッドの婚約者候補の女性に目をつけられ、家族が危険なことをお父様に報告した。だから、オーエンス伯爵家にご厄介になろうと伝えた。
黙って話を聞いていたお父様は私が話し終わると、照れくさそうに笑った。
「なんだ、そういう話だったんだね。いや、てっきり、巷で言う結婚の挨拶に来られたのかと思っちゃったよ。ついにこの時が来たのかと…」
「何言ってるのよ。貴族のアルフレッドと結婚なんて出来るわけ無いでしょ!」
お父様の勘違いに、私は間髪を入れず突っ込む。
お付き合いはしてるけど、それはそれ、これはこれよ。
あれ?私間違ってないよね?
お父様とアルフレッドがすごく微妙な顔をしている…。
私をとがめるような表情で見た後、アルフレッドが気を取り直したように、居住まいを正してお父様を見る。
「こういう状況に巻き込んでしまい申し訳ございません。でも、オリビアさんの事は、真剣に考えてますので、ご心配なさらないでください」
「不束な娘ですが、よろしくお願いいたします」
頭を下げるアルフレッドに合わせて、ぺこりと頭を下げるお父様。
ちょっと待って、当事者差し置いて何の話!?
微妙な空気で始まり、微妙な空気で終わったけれど、とりあえず無事、引越しをすることが決まった。
馬車をもう一台呼んで、このまま越してしまいましょうと、アルフレッドが言うので、私たちはそそくさと荷物を詰めることにした。正直、アリス嬢に自宅や家族がばれているこの状況は心が落ち着かないので、大変助かる。
大きな家財道具は揃っているらしいので、持ち出すのはわずかな服や思い出の品ばかり。お父様もミシェルも、そして私も、大体大きなカバン2つに収まってしまった。5年も住んでいたのに、こんなものなのね、と思うが、色々なものを買い揃える余裕もなかったのだからこんなものだろうとも思う。
アルフレッドが荷物を持ってくれて、促され、馬車に乗る。
荷物を後から呼んだ馬車に乗せ、アルフレッドと家族三人で、同じ馬車に乗る。
初めて馬車に乗ったミシェルが、車内をきょろきょろと見渡している。そして、馬車が動き出すと、お父様のお膝の上であっという間に眠ってしまった。そうそう。座席に座っていると結構揺れがきついのだけど、誰かに凭れているとクッションになって心地いいのよね…。
そして、いつその状況になったかを思い出して一人で顔を赤くする。一人で百面相している私をアルフレッドが面白そうに見ていたことには気が付かないまま…。
ミシェルが眠ってしまったので、起こさないようにと、私たちは皆黙っていたが、1時間もすればオーエンス伯爵邸に到着する。気持ちよく眠っているから、可哀想だなと思いながらも、ミシェルを起こす。
眠い目をこすりながら馬車を降りたミシェルは歓声を上げた。
「すごい!おしろ!ミシェここにすむの!?」
「そうよ。でもここはミシェルの家じゃないの。お父様のお仕事場に一緒に住ませてもらうだけだからね」
「んー?」
ミシェルには少し難しいかな?
アルフレッドに先導を受けながら、荷物を持って屋敷に入る。屋敷に入ると、以前も案内してくれた執事が出迎えてくれる。お待ちしておりました、と言われて首をかしげてアルフレッドを見る。
「商会を出る前に、ブラウンに伝えておいたんです」
私は納得する。そっか、受け入れる側にも準備が必要よね。
それにしても、こんなに急なのに、全く動じない伯爵家の執事、すごいわ。
屋敷の中も豪華で、見たことのない調度品や飾られた花を見るたびに、興奮するミシェルが走り出さないように抑えるのが大変だった。
階段を登り案内されたのは最上階。入った部屋は、台所やトイレが付いていないだけで、ほぼ以前の部屋と同じくらいの規模だった。
「ちょっと待って、ここ、本当に使用人部屋!?」
アルフレッドはなんでもないことのように言う。
「正確には上級使用人部屋ですね。世帯を持っても大丈夫なように広く設計しています。他の使用人は基本的に使用人棟に住んでいますが、さすがに執事と家政婦は近くにいて欲しいですので、特別に屋敷に部屋があるんです」
流石、資産のある伯爵家。使用人の部屋とは思えない…。
じゃなくて。
「私たちが一部屋貰ってもいいの?」
「ええ。うちの執事と
「でも…」
言葉を濁す私に、アルフレッドは悲しそうな顔をする。
「お気に召しませんか?すみません、でもアリス嬢が来る可能性が高い以上、客間はお貸しできなくて…」
「そうじゃなくて…!普通の使用人部屋でいいわよ!」
「あちらは、個室になります。ミシェルさんはまだ一人で暮らすのは大変でしょう?こちらなら家族で住めますよ。それに、離れだと万が一が無いとも限りませんから…」
そう言われるともう何も言えないじゃない…。
観念した私の肩にそっとお父様が手を掛ける。
「私たちに過分なご配慮ありがとうございます」
丁寧に頭を下げたお父様に倣って私も頭を下げると、ミシェルも真似してお辞儀をした。
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