第一章:大連(六)

 群集が道を空けてくれたおかげで、何とか山口達は屋台街を奥に進んでいた。

「もう少し行って、曲って、それから少し行った所に、小さい病院が有ります。中国人の医者ですが、腕は中の上ぐらいです」

 そう説明した古賀の横には、白人の男を「父」と呼ぶ協和服の東洋系の子供が居た。

「そう言や、あの男だか女だか判らんヤツは一体?」

 木村は、そう聞いた。

「ありゃ、梅村淳ちゅうヤツじゃ。女だてらに『満洲の阿片王』と言われとる里見はじめの片腕にまで成った……荒事もお手のモンの……クソ野郎では有るが女傑と認めざるを得んヤツじゃ」

 山口は、そう答えた。

「満洲の阿片王⁉ 物騒な渾名のヤツですなぁ……」

「『主義者殺し』の甘粕正彦と並ぶ満洲国の裏の親分じゃ」

「ヤクザか何かですか?」

「そぎゃん甘か連中じゃなか……裏で関東軍とつるんどる。ヤツがうとった『昭和通商』ちゅうのは、関東軍の特務機関の表向きの姿じゃ」

「川島芳子みたいなモンですか?」

「あれをもっとエゲツのうしたような……待て、何の音じゃ?」

 山口が音のする方を見ると、協和服の男が屋台の屋根の上を飛び移りながら走り、やがて、山口達を追い越すと止り、背負っていた背嚢から、弓と矢を取り出す。

「まずかぞ、そこの店に入れ‼」

 山口は、そう叫ぶと横の店を指差した。

 だが、次の瞬間、古賀の肩に矢が刺さった。

「えっ……あれっ……ああああ……痛ェっ‼ いたたたた……」

「おい……大丈夫か? ん?」

 その時、空中に湯気か煙のようなものが現われた。白人の男を「父」と呼んでいる子供と、屋根の上の男を繋ぐように。

 そして、その湯気の辺りだけ、微かに舞っていた粉雪が消えていた。

 やがて、屋根の上の男が手にしていた弓が煙を上げ燃え始めた。屋根の上の男は、一瞬、怪訝な表情をしたが、弓を捨て、今度は背嚢から山刀を取り出し、屋根から飛び降りた。

おいが行く。木村君と義一さんは、こん人と古賀さんば頼みます」

「わかった」

「わかりました」

 山口達を追って来た男は、背嚢を捨てると、山刀を抜いた。

 山口は、男の前に立つと、左半身はんみとなる。体重は右足にかけて、左足は、やや浮いている。右手は開いたまま、腰の高さに、左手は胸の高さに。

 それを見た相手の男は、少しづつ後ろに下っていく。だが、男の表情は奇妙なものだった。釣竿の当りを確認している熟練の釣り人のような、真剣ではあるが、他人の生命を奪おうとする者の表情としては、どこか違和感を感じさせるものだった。

 そして、男は駆け出した。山口に向かってではなく、近くに居た通行人に向かって。

 男は通行人を蹴り、その反動で山口の方に跳び、空中で、山刀による斬撃を加えるが、山口も、それを予期していたように紙一重で躱した。

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