三 喜楽堂の提案
喜楽堂善哉門は畳に手を着き、藤五郎と藤裳に深々と頭を下げて懇願した。
「つきましては、亀甲屋さんを通じて私どもに砂糖と小豆を商ってもらえないものでしょうか・・・」
突然の、喜楽堂善哉門の提案に、驚いた藤五郎と藤裳は思わず顔を見合わせたが、互いの目は笑っている。亀甲屋は廻船問屋で薬種問屋だ。廻船問屋として小豆も商い、薬種問屋として砂糖も商っている。
「突然そのように言われましても・・・」
藤五郎は取って付けたように言い渋った。
喜楽堂善哉門は頭を上げて藤五郎と藤裳を見た。藤五郎が砂糖と小豆の商いを断わらないと見るや、これなら亀甲屋を通じて砂糖と小豆を入手できると踏み、喜楽堂善哉門は、畳に手を着き、藤五郎と藤裳に深々と頭を下げて懇願した。
「いかほどなら商ってもらえますでしょうか・・・」
「得意先には相場で商っていますが、量に制限がありまして・・・」
藤五郎は、問屋が商品を出し渋る折の口上を述べた。
「そこを何とかしていただけませんでしょうか。無理を承知でお願いするのですから、相場で商ってくれとは言いませぬ。
正直に言います。相場の二割増しまでなら支払えます。何とぞ、砂糖と小豆を商ってくださいまし・・・」
喜楽堂善哉門は、また、畳に手をつき、藤五郎と藤裳に深々と頭を下げて懇願した。喜楽堂善哉門は頭を下げたままである。
藤五郎と藤裳は互いに顔を見あわせてほほえんだ。
「そうですか・・・。二割ですか・・・」
「はい、二割です」
喜楽堂善哉門は頭を下げたままだ。
「では、相場の二割引で、砂糖と小豆を商いましょう」
「今、なんと仰いましたかっ」
藤五郎の言葉に、喜楽堂善哉門は聞きちがえかと思い、驚いて顔を上げた。
「それで不満なら、喜楽堂さんで扱う砂糖と小豆の全てを、亀甲屋が相場の二割引で商いたいと思います。いかがでしょうか」
藤五郎と藤裳は、喜楽堂善哉門にほほえんだ。
喜楽堂善哉門は、何かのまちがいではないかと藤五郎と藤裳を交互に見て言った。
「もう一度、仰ってくださいまし」
「はい、もう一度言いますよ。
喜楽堂さんで扱う砂糖と小豆の全てを、亀甲屋が相場の二割引で商いたいと思います。いかがでしょうか」
「はい、本当なのでございますね」
喜楽堂善哉門は半信半疑だ。
藤五郎は言った。
「喜楽堂さんに上がりこんでまで、戯れ言は申しません。
なにぶんにも急な注文をお願いするのですから、此度の注文の分だけの砂糖と小豆を二割引で喜楽堂さんにお納めして商おうと思いました。
しかしながら、今後も大名家との商いに手土産を持参しますので、私ども亀甲屋が、喜楽堂さんで扱う砂糖と小豆の全てを二割引で商えば、私どもの菓子の注文に無理が利くだろうとの魂胆なのですよ」
そう言って藤五郎は藤裳とともに喜楽堂善哉門にほほえみ、
「いずれ、注文に無理なお願いをする場合も出てきましょう。そのための二割引ですよ」
と藤五郎は全てではないもの、本音の一部を語った。
「本当に二割引で商っていただけるのですか」
喜楽堂善哉門はいまだに半信半疑だ。
藤五郎は喜楽堂善哉門に微笑んだまま告げた。
「はい、二割引で商います。とりあえずは砂糖と小豆の商いです。口約束では何かと不安でしょうから証文を交わしますか」
「もちろんです。それで、注文に無理なお願いをとの事ですが、いったい私どもはどのような事をすれば良いのでしょうか」
喜楽堂善哉門はうれしいやら、困ったやら、引きつった笑いを顔に浮かべている。
藤五郎の顔から微笑みが消えた。藤五郎は真顔で言った。
「私どもは廻船問屋と薬種問屋を営んでおります。巷の廻船問屋や薬種問屋では扱えぬ御禁制の品も、御上からお墨付きを頂いて商っております」
「それは然りっ。
大名家への手土産とは、そうした品を商う際の品でしたか・・・」
喜楽堂善哉門は飲みこみが早いが、それだけではない・・・。喜楽堂善哉門の言葉に、藤裳はそう思った。
「商う品の中には、商い主がお墨付きを得ており、私どもがお墨付きを得ておらぬ品もございます。そのような場合、私どもは、お墨付きを得た商い主の、商いの代行を致しております。
言うなれば、喜楽堂さんが砂糖問屋と交渉して、廻船問屋がじかに砂糖を喜楽堂さんに届ける場合と同様な廻船問屋の立場にあるのが、私どもなのです」
「なるほどっ。ごもっともなお話ですっ」
藤五郎の説明に、喜楽堂善哉門は一も二もなく納得した。
ゴロさんは説明がうまい、さすがだ・・・。藤裳は藤五郎をほほえましく思った。
納得いただけましたね。では、
『喜楽堂さんに商う小豆と砂糖を、相場の二割引で商う』
と証文をしたためましょう」
「では、筆と硯と紙をお持ちいたします。お待ちください」
喜楽堂善哉門はその場を立って奥座敷から下がった。
しばらくすると、喜楽堂善哉門は書き物机を持って戻った。
藤五郎の前に書き物机を置き、
「朱肉も用意いたしました」
書き物机には筆と硯と紙、朱肉がある。藤五郎が最初から砂糖と小豆を商うつもりだったと気づき、喜楽堂善哉門は朱肉も用意していた。
「若旦那様は商いがお上手でいらっしやる。はなから・・・」
喜楽堂善哉門がそこまで話すと、藤五郎は喜楽堂善哉門の言葉を遮った。
「此度の商いは特別なものですから、なにぶんにも内密になさってください。御店の奉公人にも話しませんように・・・」
「と仰いますと・・・」
喜楽堂善哉門は不審な面持ちになった。
「これからの話、内密にできますか。他に漏れると、私だけでなく喜楽堂善哉門さんにも御上の手が下ります。いかがでしょうか」
藤五郎はじっと喜楽堂善哉門を見つめた。
喜楽堂善哉門は、藤五郎が相場の二割引で小豆と砂糖を商うのは御法度に当たるのか、と思った。
「相場の二割引で品を商うと、砂糖問屋など組合から横槍が入るでしょうが、御法度ではありません。御法度になるのは、商い主のお墨付きを話さぬまま、依頼された品を扱う場合です。
商い主から依頼されている品は、宝石や阿片です。御上からのお墨付きは、この通り、頂いておりまする・・・」
藤五郎は懐から紙包みを取り出して、喜楽堂善哉門の前に拡げた。御上が霊岸島の越前松平家下屋敷留守居役の松平善幸にあてた、宝石と阿片商いを許可するお墨付きの証文である。
喜楽堂善哉門はお墨付きの証文を見て納得した。
「このお墨付きがあるなら、お困りになりますまい」
喜楽堂善哉門は安堵している。
「ですが、私どもが商い主の代行をしているのを、他へ知られたくないのです・・・」
藤五郎は、商いの代行を他の商人に奪われたくないよう、ほのめかした。
「ああ、それで、手土産の饅頭に、商いの品を忍ばせたのですね」
喜楽堂善哉門は、藤五郎が毎月饅頭を買い求めるわけをそのように理解した。そして決意し、
「ようござんす。相場の二割引で小豆と砂糖を商っていただく事も、商い主の代行も、私、喜楽堂善哉門、他言いたしませぬっ」
喜楽堂善哉門はきっぱり言った。飲み込みが早い。
「では、取り引き証文をしたためます・・・」
藤五郎は小豆と砂糖の取り引き証文をしたためた。花押を書いて朱印を押して喜楽堂善哉門に手渡し、
「・・・事がうまく運んだ暁には、喜楽堂さんで扱う材料を、相場の一割引で納めとうございます。いかがでしょうか」
宝石や阿片の商いをいかにして世間の目に触れぬようにするかを語らず、喜楽堂で扱う菓子の材料の仕入れへ話をすりかえ、喜楽堂善哉門の欲を引き出した。
「本当でございますかっ。それは願っても無い事ですっ」
喜楽堂善哉門は恐縮している。満面の笑顔だ。
「はい、折をみて、事を運びましょう」
「はい、誠にありがとうございます。
今後、私どもでできる事なら、何なりとお申し付けください」
喜楽堂善哉門は畳に手を着き、藤五郎と藤裳に深々と頭を下げた。
ゴロさんは話し巧みだ。いったいこんな事をどこで学んだのだろう・・・。藤裳は不思議だった。
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