第25話

「湯川くん、申し訳ないのですが、加藤くんがまだ来ていないようなので代わりにXの装填作業をお願いできますか」

 次の日、コアの最終確認をしていると、教授がそう声をかけてきた。加藤さんが遅くに来るのはいつものことだが、今日ばかりはその意味が透けて嫌な感じがする。笹近さんもまだ来ていないし。

「わかりました。私がやっておきます」

「よろしくお願いします。私は少し出てきますね。実験までには戻ります」

 そんな思いを飲み込み、答えると、彼はそう断って研究室を後にした。

 教授から鍵を受け取り、僕は金庫へと向かう。そして前にやったように鍵を挿し、暗証番号を入力して扉を開けた。

 だが見ると、前にはたくさんあったXが、残りひとつとなっていた。実験は何度かしたが、こんなに減っていただろうか。教授が移動させた?あるいは盗まれたということも……。

 まぁ、後で彼に確認しておけばいいだろう。場合によっては追加してもらわなくては。

 カラになったとはいえ、金庫はしっかりと閉じてXを手に実験室に戻る。

「あれ?新しいコアはXを二つ使うの?」

 すると、計器の調整をしていたのか、バインダーを携えた斎藤が訊いてきた。

「いや、ひとつしか使わないけど……」

「中に置いてあったのを使うんじゃないの?」

「中?」

 不可解に思い、聞き返す。すると彼女は、さっきあったの、と言ってマシンの中へ入って行ったかと思うと、「ほら」と手にしたガラスケースを見せて来た。

 確かにそれは間違いなくXだった。

「なぜそれがここに?」

「ああ、それね。昨日加藤が置いたままにしてたみたいなんだ」

 後ろから坂口さんが答える。

 それで理解した。大方、笹近さんにこの綺麗な結晶を見せようとしたとかそんなところだろう。まったく……盗まれでもしたらどうするのか。

「なるほど……はぁ、じゃあこれは戻してきますね」

 僕はため息を吐き、研究室へ引き返した。


「おはようございます」

 再び金庫に対峙していると、横に笹近さんが来た。どうやら、たった今到着したらしい。

「おはようございます」

「昨日はありがとうございました」

「私が何かしましたか?」

 不思議なことを言う彼女に、僕は目線を逸らさず訊く。

「私たちを止めませんでした」

「何もしていないってことじゃないですか」

「しないということをしたんです」

「……何が言いたいのかわかりませんが、良ければ彼に伝えておいてもらえますか。『Xはちゃんと片付けてください』と」

「了解です」

  そして彼女は、実験室へと歩いて行った。嫌な話を聞いた。


「お待たせしました。進捗はどうですか?」

 作業があらかた終了し、すぐにでも実験ができる状態になった頃、教授が戻って来た。見ると、手に何かを抱えている。それはガラスで出来ていて、中には赤い眼をした白い毛玉がいる。

「水槽……ネズミですか?」

「ええ、そうです。今回は動物実験もしてみようと思いまして。申請しておいたんです」

 そう訊ねると、彼は頷いてそれを机に置いた。

「坂口くんに固定をお願いしたいのですが……」

「はい、はい今行きますよ」

 続いて彼がつぶやくと、それを聞きつけた坂口さんが何やら金具を持って入って来た。どうやら、彼は動物実験のことを知っていたらしい。


「こうしてみてると、ちょっと可哀想な気がしてきますね」

 固定が終わった後、僕は水槽の中で遊ぶ二匹のネズミを見てつぶやく。確かこのネズミは、種としては家に湧くようなハツカネズミとして分類されているので、本質的には害獣と同じということになる。だがそうは言っても、哺乳類である以上どうにも可愛く見えてくる。

「生き物だからねぇ。でも、この子たちがいるから人間が……いや、なんでもない」

「彼らがいるから我々人間が犠牲にならずに済むんですよ。向けるのは哀れみではなく、感謝でないといけません」


 何かを言いかけてやめた坂口さんとは対照的に、教授がそう続けた。なるほど、確かにその通りだ。我々人間がその運命を強制している以上、謝りながら実験を行うのではなく、感謝しながら行われるべきなのかもしれない。


 その後準備が整い、いつものように研究室に避難する。今回は坂口さんと笹近さんがいるが、庄司さんと水野さんがいないので、人数はいつもと変わらない。

 操作盤の前に立つのは、坂口さんだ。

「タイムマシンが動くのを見るのは初めてなので、少し興奮してしまいますね」

 ガラス越しにマシンを見ながら、笹近さんがつぶやく。

「暴走する危険もありますから、少し下がっていてください」

 そしてそれに対し、加藤さんが言う。なんというか、いつもより……正直言ってキモい。


「ねぇ。加藤さん、いつもと何か違くない?」

 斎藤も同じことを思ったのか、彼に聞こえないよう小声でつぶやいた。

「好きな人の前に立つ男はみんなこうなるんだろうね」

「そうなんだ……湯川も?」

「わからない」

「何よそれ」

「自分は見えないから……」


 そんなやり取りをしていると、坂口さんによって操作盤のスイッチが入れられた。それを期に、僕と斎藤は話すのをやめる。

 まもなくマシンはバチバチと空中放電を始め、宙に浮く。ここまではいつもと同じだ。しかしその直後、マシンはガタガタと金属の軋む音を立て、それに伴なって研究室全体が地震の時のように大きく揺れ出した。

 電灯は点滅し、マシン周りの空間が、夏の陽炎のごとく歪む。

「きゃあ!」

その音に交じり、女性の声が響く。直後、左腕を何者かに掴まれる。どうやら声の主は斎藤だったらしい。


「教授!これは危険なのでは?今からでも中止を」

「いいえ。続けます。坂口くん!」

「問題ありません。予定通りです」


 彼女を支えつつ言うが彼らは聞かず、操作をやめようとしなかった。

 その間も揺れと音は増し続け、まもなく電灯は完全に消えて窓のない研究室は暗闇に包まれる。


バシューー!!!


 そして暗闇の中、そんな、バスのブレーキ音を何百倍にもしたような音が響く。

 ガラス越しに閃光が走り、一瞬もうダメかと思う。

 だが身体はなんともなく、数秒して電灯が灯った。


マシンはというと、白い煙を残して消失していた。

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