僕は君のために時を、時は僕のために君を
葉式徹
プロローグ
「皆さんは、時間を遡ることが出来たら、何がしたいですか?」
授業が早く終わって自習時間となったとき、教師の声がした。
見ると、立ち上がって教卓に手をついている。窓の方を見ていたのでまったく気がつかなかった。
それは周りも同じだったらしく、教室はシンとしてすぐには誰も返答しなかった。無理もない。急にそんなことを訊かれたって困る。
「……昔に戻って、高校時代の先生がどんな人か見てみたいです!できればお付き合いとか」
空気が気まずくなるかならないかという時間が経った頃、クラスのお調子者が答えた。そのあまりにもふざけた内容に、教室には笑いが響く。
「構いませんが、私はそう簡単に落とせませんよ?」
しかし教師はまったく動じることなく、白くメッシュの入った長くしなやかな髪をかき上げて見せた。
この感じだと、過去にも生徒からアプローチされた経験があるらしい。
「あ、あの……」
今度は、僕の右前の女子が小さく手をあげた。恐る恐るという様子だ。
「はい、野田さん。どうぞ」教師は手袋をした左手を、彼女に向ける。
「私は……。私が生まれる前に亡くなった、ミュージシャンのライブを聞きに行きたいです」
「おお、良いですねぇ。そういうのですよ、そういうの」
彼女が背中を丸めたまま恥ずかしそうに言うと、教師は先ほどより良い反応を見せた。どうやら、自分が望んだ答えに近かったらしい。
時間を遡ることができたら……か。僕は何がしたいだろうか。
やり取りを見て、少し考えてみることにした。ありがちなのは、「過去の自分にもっと勉強をするように言う」とかか。でも正直、僕はこの高校の雰囲気や偏差値なんかに納得している。少なくともいじめの類はないし、学力も、中堅の大学を狙う程度はある。
それで十分だ。トップの大学など、ハナから目指そうと思っていない。
そうなると、勉強以外。私生活……?
「昔好きだった女の子に告白するように言う」とかだろうか。
だがこれについても、僕には必要がない。僕には現在進行形で恋人、彼女がいる。
名前は酒井千尋。とびきりの美人だったり、特別スタイルが良かったりというわけではないが、教養があり、一見物静かに見えるが本当はおしゃべりが好きな、素敵な子だ。
同級生である彼女とは付き合い始めて三か月。関係は良好だし、これといった喧嘩はしていない。むしろ最近はますます親密になっている気がする。
お互いに不満もない……と、思いたい。
「この線もない、か」
現状への満足を確信し、僕は頬杖を突いて窓の外に眼をやる。
四階に位置する教室の窓からは、いつもの景色が見えた。都内の住宅地に位置する高校なので周りにそれほど高い建物はなく、一軒家の屋根を飛び越えて、遠くに高層のビル群がある。『いつもの景色』というのはそれのことだ。
さて、他にはどんなシチュエーションがあるだろうか。視点を移し終えて、僕はまた考える。
あるあるのシチュエーションを二つ出した今、残っているのは……。
その刹那、目の前をなにかが上から下に通り過ぎ、教室に影を落とす。
残されたシチュエーション、それは。
『死んだ恋人を助けに行く』
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