Roaring 36. ニューヨーク市長の正体




 ラブクラフトが意識を取り戻した時、直前の記憶を思い出して頭がズキリと痛み、反射的にえずいて胃の中身をぶちまけた。どうやら拘束されているらしいが、両腕の感覚はない。光に目を慣らしてゆっくりと視界を開くと、そこは緑色のカーペットで覆われた執務室だった。


「ここは……」

「市長室だよ、ラブクラフトさん」


 大きくて立派な執務机の椅子が回転し、グレーのスーツに身を包んだ金髪の男が姿を見せる。

 ラブクラフトははっと息を呑んだ。その顔に見覚えがあったからだ。


「あ、あなたは……」

「ニューヨーク市長のデイビッド・カーティス・スティーブンソンだ。お初にお目にかか――いや、そうではないな。少なくとも、君は私の顔を知っているはずだ」

「え、ええ。それはもう。は、は、母は熱心な民主党員でしたし……。そ、それより、これは一体どういうことなんです?」


 その問いに、ニューヨーク市長はニヤリと笑ってシャツの袖を捲った。


「簡単だ。私も、教団員クランズ・マンだということだよ」

「そんな……」


 シャツの下に現れたのは、〈Kの教団〉への忠誠を誓う証としてノートに書かれていた、白い十字架の入れ墨だった。


「私だけではない。じつにニューヨーク議会の半数以上がそうなのだ。すでにニューヨークは我らの手に落ちた。あとは、儀式を済ませるだけだ」

「そ、そんな――」

「君の論文は読ませてもらったよ。『クトゥルフ神話』と、そう名付けているそうだな。だが、旧支配者グレート・オールド・ワンは大いなるクトゥルフだけではない――我らが仕えしは、『彼方より飛来せし者』ヨグ=ソートスだ」

「ヨグ=ソートス……」

「我らは復活の呪文が記された古の魔導書を探し求めた。人皮で装丁され、中国語で記された『ルルイエ異本』……アーカムに住む研究者の一人、エイモス・タトルがチベット奥地に住む中国人から十万ドルで買い取ったところまでは追えたが、奴の死後、ミスカトニック大学に寄贈されたはずのそれは、いつの間にか姿を消していたのだ。……我々は血眼になって探した。そしてある単純な事実に気づいたのだ。そもそも、魔導書が本の形をしているのか・・・・・・・・・・・・・・、とね」


 スティーブンソンはその蛇のような緑の目を大きく見開いて、ラブクラフトを見つめた。


「そう、人の形をした魔導書だ。別に珍しい話ではない。バチカンではローマ教皇庁が所有する十万三千冊もの魔導書を禁書目録として管理するために、選ばれし修道女シスターの脳に直接入れる話を聞いたことがある。非人道的だが、人道という言葉が生まれる遥か以前からの伝統だ。まさに本人間……いや、人間図書館といったところか」

「…………」

「古代闇魔術の研究者は数多くいるが、中でも君は若くて優秀だそうだ。そして戸籍によれば君は一人っ子で……妹など初めから存在しない」

「――っ!」


 その瞬間、ラブクラフトははっと息を呑んだ。それからギリッと奥歯を噛んで叫ぶ。


「そんなわけないだろう! ルルイエは僕の大事な妹だ! 母が死んでから病弱な僕を一所懸命に支えてくれた……僕の唯一の肉親だ!」

「その記憶は果たして本物かな?」

「なに……?」

「いや、単純な疑問だよ。そう思い込んでいるだけなのか、それとも誰かに植えつけられたものなのか……。最近だと、〈リコール社〉とかいう新興企業が記憶の植え付け事業をやっているそうだからな。……とまあ、長話はここまでにしよう。時間は限られているのでね」


 スティーブンソンがパチンと指を鳴らすと、市長室の扉が開いて白装束の不気味な男たちが入ってきた。男たちはラブクラフトを無言のまま取り囲み、それぞれの杖を頭に突きつける。


「これから君を拷問する。バミューダで闇の魔法使いに使われるような、強制開心の術式だ。対象の深層心理をこじ開け、『ルルイエ異本』に関する鍵を見つけるのだ。……廃人になるかもしれんが、まあ、なるべく長くもってくれると助かる」



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