かけるが湘南の「ソルティ・キャット」でのバイトを始めてから、今日で四日目だ。その間、毎日が雲一つない好天だった。だがその分、外はかなりの猛暑のようだ。

 毎日が同じような天気でも、客足は日によって違った。今日は比較的少ない。


 「お客さんの多い日と少ない日って、天気はあまり関係ないんですね」


 仕事の合間に、カウンターの中のマスターと立ち話する余裕もできた。


 「そう、天気じゃないんだ」


 「では、何ですか?」


 「波だよ」


 マスターはにっこりと笑った。


 「波がある日はサーファーが来る。自然の物理法則だ」


 「でも、波は来てみないと分からないのでは?」


 スマホの天気予報アプリでも、ある程度の風速や風向きは風レーダーでわかる。だがあの程度だと、サーファーにとって重要な波の高さまで分からないだろう。そのようなものは、台風が来た時などの災害時くらいにしか報道されない。


 「サーファーには、サーフィン専用の波情報アプリがいくつもあるんだよ。サーファーにとっては必須アイテムだ」


 サーフィンをやらない人々には、その存在すら知られていないであろうアプリだ。


 そんな話をしているうちに、ふと翔の目を引く客が入ってきた。午後二時を過ぎていた。

 珍しくサーファーではなさそうな、四人組の女の子だ。高校生か大学生か、それくらいの年頃だろう。


 「こちらへどうぞ」


 翔に誘導されて、四人は海の見える孫際の、ちょうど四人がけのテーブル席に着いた。


 「ご注文が決まりましたらお呼びください」


 そう言って翔が手渡したメニューを、四人は見ている。

 その翔の全身は硬直していた。

 四人のうちテーブルの向こう、いちばん窓に近いところに座っていた一人に完全に視線が止まっていた。

 デニムのショートパンツに白いTシャツ、髪はツインテールだ。


 「注文いいですか?」


 手前に座っているセミロングの子が軽く手を挙げた。


 「あ、あ、はい」


 明らかに翔はうろたえていた。四人の注文を聞き、たどたどしい口調で復唱した。窓際の白いTシャツの子はソルティ・レモネードを頼んでいた。

 カウンターのマスターに注文を告げると、マスターは首をかしげた。


 「もしかして知り合い?」


 「あ、いえ」


 「だって、なんかびっくりしたような顔で窓際のお客さんを凝視して、かたまってたじゃない」


 「別に知り合いではないです」


 明らかに狼狽しながら、翔はマスターから目をそらした。そのまま小声で言った。


 「サーファーじゃなさそうですね」


 「観光客かな?」


 たしかに地元の女の子という感じでもない。翔がバイトを始めてから、サーファーではない客も少しは来た。

 ただ、たいていはカップルである。それ以外は常連のサーファーであふれているけれど、地元の人はあまり来ない店らしい。

 翔はあの四人組をなるべく見ないようにしているようにしていたが、こんな時に限って他の客はほとんどいなかった。


 そのうち、例の四人がどうも自分の方をちらちら見ているのに、翔は気づいた。それもなんかひそひそと声を落として、遠慮がちに笑ったりしている。

 そこに四人の注文したドリンクができたとマスターに告げられ、トレイに乗せて翔はそれをテーブルまで運んだ。


「お待たせしました」


 四人はまたこそこそ話していたけれど、今はすぐそばにいるのでその内容が聞こえてしまう。

 

「ねえ、やっぱ原田さんに似てる」


 さっきも窓際の白いTシャツが、向かい側に座っているいちばん髪が長い細身の子に言った。

 長い髪の子も笑ってうなずいている。


 「あのう、なにかありましたか?」


 ついに翔も会話に加わった。バイトを始めて自分から客に話しかけたのは初めてだ。

 常連のサーファーたちは自分よりも少し年上のような感じだったが、この女の子たちは同世代かあるいは年下かもしれない。


 「あ、ごめんなさい」


 窓際の子はそう言いながらも、にこやかな表情だ。


 「いや、いいんですけど、原田さん……?」


 「ヨコハマの人」


 「俺も横浜なんだけど」


 「えーッ!」


 四人とも見事にハモって、嬉しそうに大げさに驚いた。


 「君たちも横浜?」


 四人は少し顔を見合わせていたけど、髪の長い子だけが軽くうなずいた。


 「あとはみんな湘南」


 「湘南ってここだよね。じゃあ地元の人?」


 「あのう」


 白いTシャツが言う。


 「湘南って大磯から私が住んでる藤沢まで。鎌倉は入ってないです」


 「え?」


 俺はカウンターのマスターの方を振り向いた。小さな店だから、カウンターの中からもこのテーブル席での会話は全部聞こえているはずだ。


 「ここは湘南じゃないんですか?」


 「うーん」


 マスターは軽く唸ってから言った。


 「厳密にはそうだけど、いいんだよ。134号が走ってるとこはみんな湘南だ」


 翔はマスターから目を戻し、また白Tシャツの子を見た。


 「そうか、藤沢ね」

 

 「あ、ばれちゃった」


 白Tシャツは笑いながら両手で口を押さえた。

 髪の長い子の隣、つまり翔にいちばん近い位置にいた子がこれまで黙っていたけど初めて口を開いた。


 「まあ、でもみんな似たようなところに住んでます」


 肩より少し長い髪だが、声が低めで渋い感じがする。その声と見た目とのギャップが激しい。


 その時、ドアを引いていつものサーファーの常連客がどっと入ってきた。

 翔はその応対に、四人のテーブルから離れた。

 ふとそのテーブルから、白Tシャツの子の手前に座っていたセミロングで、一人だけ水色のワンピースのスカート姿の子の声が聞こえた。


 「あ、本物のサーファーさんたちだ」


 「たまちゃん、声が大きい」


 すぐにその向かい側の、声の低い子にたしなめられてた。サーファーたちはすかさず、四人に声をかけていた。互いに隣同士のテーブルについていたのですぐに会話が盛り上がり、翔の出る幕はなくなった。

 それでも耳を澄ませていると、この女の子たちはサーフィンを見るためにここまで来たようだ。


 一時間くらいして、四人は席に立った。

 翔がレジで応対した。四人とも会計は別で、それぞれ電子マネーで支払った。

 最後が白Tシャツの子だった。

 スマホを読み取り端末にかざしている間、何気なく翔は言ってみた。


 「今度、横浜に来ることがあったら案内するね」


 「いいえ、大丈夫です」


 笑いながら白Tシャツは、自分の顔の前で手を小さく左右に振った。翔も笑い声を返しただけだった。

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