第44話 神奈川公演⑥

 ドッ!


 地面を踏み込む音と同時に朧の姿が揺れる。動きを目でハッキリと捉えることが出来ない。この不気味な速さこそが朧の強さ。実際の速度以上に速く見える動き。だけど、動きを読めば!


「ぐっ!」


 音を超えた一撃。


 殴りをもらって初めて朧の姿をはっきりと捉える。しかしそれもつかの間。地面を蹴り上げる音と同時に朧は姿を消す。


 読みを入れてもその先を動かれる。


 追いつかない。追いつけない!手を伸ばしても朧の体に当たらない!


「ぁぁ!」


 見えない拳が銃弾のように飛んでくる。


 この不気味な速さのトリックを見つけないことには反撃のしようも無い。


「っ!」


 姿を捉えきれずにいた私の背後を狙った拳をモロにくらってしまう。


 だけど……速さの割に一発一発の重みは小さい。


 ……小さい?こんなに速いのに?


 普通、速ければ速いほど攻撃の威力は上がるはず。だからこの速さの攻撃を数発食らって私が耐えている、その事実がおかしかった。


「普通にタイマンなら俺に勝ち目は薄いけどな。今の条件なら俺に有利だ」


 朧は足を止めて私と向かい合う。油断のない表情だった。


 ―――なるほど。何となくわかった気がする。


「じゃあな。ゆっくり眠っとけ」


 地面を強く蹴る音が聞こえると同時に朧は高速で動く。

 高速で動く朧を目で捉えて反応するのは難しい。だから意識するのは……殺気。


 ――後ろ。


「!!」


 拳をくらう覚悟で後ろから襲いかかる朧の首もとを掴む。いくら動きが早くても掴まれたら動けない。


「おりゃあぁぁ!!!」


 力のままに朧を投付ける。仮設された壁を突き破り、視界が開けた場所に出た。

 場所はステージの後方。機材置き場。

 外ではあるけれど、立ち入り禁止の場所だから、近くのビルから目を凝らしでもしない限り見られることは無い。


 ここは、の私のステージ。


「随分派手じゃねぇか。外の方が動きやすくて助かるけどなぁ」


 朧はパンパン、と顔についた土をはらいながら何事も無いかのように立ち上がる。


「よく掴んだな」

「あなたは速さ以上に加速度が大きい」

「ご名答」


 普通、走り始めてからトップスピードになるにはある程度の時間が必要。初速っていうのかな?

 だけど朧は一瞬でトップスピードに達する。そして、トップスピードからノータイムで静止もしていた。

 その緩急の差で実際の速度以上に速く見えていた。


「でも……わかったところでって話だよなぁ!」


 土煙が上がる。この後の出番を考えれば迂闊に衣装を汚す訳にもいかない。……ってもうだいぶ汚れちゃったけど。


 私は目をつぶって殺気にのみ集中する。速さに惑わされるな。襲いかかってくる瞬間に合わせて防御をしてカウンターをすればいい。


 殺気が周りを囲む。正面、右、後ろ――


 ――左。


 体を左側に向けて防御態勢を……


 パンッ!


「っく!」


 音と同時に銃弾が右腕をかすめ、血が吹き出す。銃!?


「なんでこれでかするだけなんだよ!やっぱ化け物だなシトラス!!」


 本能と反射で銃弾をかわしたけれどさすがに間に合わなかった。かすめただけ、と言えどもめちゃくちゃ痛い。


 ――完全に油断した。


 今までの朧の攻撃パターンから銃を使う可能性を頭から排除してしまっていた。ここまで頑なに肉弾戦にこだわってきたのはこの一発のための布石。


 右腕がどんどん冷たくなっていく。右腕の感覚がどんどん無くなっていく。


「銃を使わないなんて言ってねーぞ」


 衣装に血が滲む前に左手で腕を捲る。殺し屋に卑怯なんて言葉は存在しない。


「喰らえよ、今までの拳は軽かったろ?」


 一瞬。本能で左手でガードをするも間に合わない。速さじゃなくて威力に重点を置いた音を切り裂く一撃。


「っぐ!」


 壁に思いきり叩きつけられる。


「お前が思っている以上に闇は深い。例えば黒川暗殺の依頼主だって……人の心を疑ったさ」


 ……え??


「残念だったな。お前を殺したあとで黒川を殺しにいく」


 ―――意識が遠のく。


 一歩、一歩、朧は私に近づく。

 終わりへのカウントダウン。


「……終わりだ」


 ここで、倒れる訳にはいかない。

 まだ、ライブは終わってない。ライブでやらなくちゃいけないことをやってない。


 ――アイドルのライブには絶対に欠かせないものを。


「……です」


 声を出すだけでも血が出てしまいそうだ。それでも私はその目で朧に向き合う。


「あん?」


「――アンコールです」


 ザッ!


「なにを……っ!」


 殺気を一瞬だけ最大まで高める。


 この戦いで布石を張っていたのは朧だけじゃない。


 この戦いで私は一度も殺気を出さずに戦っていた。

 それは奇しくも朧が加速度を使って速さを見せて戦うことと同じ原理。徐々に殺気を出すのではなく急に最大限の殺気を放つことで実際以上の殺気を感じさせる。






 それこそ、







「……殺気を消さずに戦ってたのか。すごい芸当だな。だがそれがどうした?」


 一瞬怯んだ朧だったけどすぐに何事も無かったかのように再び私との距離を詰め、拳銃を私の頭に向ける。


 だけど……その一瞬で十分だった。


「終わりだな」


 金色の閃光がの肩を貫く。


「!?」


 倒れ込んだのは朧。


 彼女の肩からは血がドバドバと流れていた。


 閃光の発生源は近くのビルの屋上。


 そこから飛んできたのは――銃弾。


「ありがと!ナットちゃん!」


 利害の一致。


 コンタクトは一度も取っていなかったけど、ナットならここで狙っていると思っていた。視界の開けた外に誘導したのはそのため。殺気を抑えて一気に開放したのもナットに気づいてもらうため。

 ナットの狙撃技術は東京公演の時に実感している。


 最後の力を振り絞って、その場に倒れた朧の前に立つ。お互い銃弾を一発ずつ食らった状態。この機は逃さない。


「この程度で倒れる、わけないだろ!」


 私の視界に広がるのは足。

 朧が飛び跳ねたのだ。

 確かに速い。


 だけどもう、動きが単調だ。


 足を左手で捌く。そして右手は風を切って朧の腹を穿つ。


「ぁあ!!!」


 ドサッ


 再び朧は倒れ込んだ。向かい合う形で私もその場に座りこむ。


「終わっ、た」


 こうして私と朧の戦いはギリギリ私の……いや、私とナットの勝利で幕を閉じた。

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