有双離脱
森本 晃次
第1話 加算法と減算法
この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ただし、小説自体はフィクションです。
「相手のことを好きになったわけではないが、なぜか気になる人がいる」
という話をしてきたのは、クラスメイトの如月達也だった。
如月は、大学に入学式の日に、最初に話しかけてきたやつで、それが縁になって、ずっと友達でいる。今までにたくさんの友達ができたが、最初に声を掛けてきてくれた如月達夫が一番の親友であることに間違いない。意外と話も合うようで、気が付けばいつも一緒にいた。
もっとも、最近では一緒にいて楽しいと思っている感覚は、五月雨俊介の方が強いようで、
「気が付けばいつもお前と一緒なんだよな」
と笑いながらいうのが如月だった。
高校時代まで友達らしい友達もおらず、大学に入れば積極的にまわりに自分の方から声を掛けるようにしようと思っていた五月雨だったが、最初に声を掛けてきたのが如月だったことで、すっかり自分の最初に決めていた計画が狂ってしまった。
自分がなりたいと思っていた性格を地で行っているのが如月だった。
「俺もあんな風になれたらいいのに」
という思いを抱いていて、
「如月と一緒にいれば、俺もあんな風になれるかも知れないな」
と感じるようになっていた。
いつも如月を観察していて、何とかマネができないかと思っているのだが、そのマネをうまくできないでいた。
それはなぜかと考えていると、
「あいつも同じことを考えているんじゃないか?」
と感じた。
如月と五月雨は、性格的には似ていない。友達になるのは、似た者同士だということだけではないということを証明しているような二人だった。
どちらかというと、似ているから友達になったというよりも、
「お互いに似ているところを探り合って、欠点を補い合っているような仲なんじゃないだろうか?」
と感じた。
つまりは、似すぎているとお互いに見えてくるはずのところが見えてこないことで、存在が薄くなってしまうのではないかと感じるところにあった。
お互いに、相手が見ている時に自分が見合うのは嫌だった。見つめ合って、ニッコリと笑うなどということは、二人の間にはないと思っている。苦笑いを浮かべるだけで終わってしまう仲になるのではないかと感じるのだが、それを考えているのは五月雨の方で、如月がどのように考えているのかということは、よく分かっていなかった。
「お互いに、相手を意識していないようで意識しているという素振りは、見る人によっていろいろな意識を与えるようで、二人が仲がいいという人と、本当は仲が悪いという人とが結構半々くらいいるんだよ、これって面白い現象だよね」
と言っているのは、五月雨の妹の恵子だった。
恵子は、まだ高校三年生で、女子高に通っている。
成績は優秀で、大学進学も普通にできると思われていたが、本人は短大でいいという。欲がないというのか、何かやりたいことがあるのか、いまだにそれを打ち明ける人がいなかった。
ある意味、完全に人を信用するタイプではないのかも知れないと、兄貴の俊介は思っていたが、本当のところは分からない。ただ頭のいいのは間違いないことであり、一つ言えることは、
「人とは一線を画した考え、つまり奇想天外な考え方をする女性だ」
ということであった。
それが頭の良さに結び付いてくるのは、きっと恵子の性格がいいからなのかも知れない。
恵子は、男の子から結構人気があった。まんべんなく人気があるのだが、最近は、少し過激な人がいることに悩みを抱いていた。
「最近、時々下駄箱に変なラブレターが入っていた李、靴に何か細工されていることが多いのよ。そのために、靴を何度か買い替えたりしているんだけどね」
という。
「どういう風に細工してあるの?」
と訊かれて。
「どうも、靴を舐めているんじゃないかって思うような、べたべたを感じることがあるの。最初は、そこまでは思わなかったんだけど、急にそれを感じるようになってくると、靴を持った時、また今日もそうなんじゃないかと思うと、余計に指先が敏感になってきて、最近では三日に一度くらい損な感覚になることがあるくらいなの。だから、今は先生に相談して、職員室で靴を預かってもらうようにしているのよ」
ということだった。
「何、それ。それって本当の変態ってこと? いつも同じ人なのかしらね?」
と言われて、
「それが分からないのよね。ラブレターに関しては、最初は一人だったんだけど、途中から複数になったみたいなんだけどね」
と、恵子は言った。
「みたいって、相手が分からないの?」
「ええ、そうなの、署名をしていないのよ。それなのに、書いてあることは完全にラブレターで、あなたのことが好きだとか、自分のものにしたいっていうことを書いているんだけど、自分が誰であるか書いていないからなのか、付き合ってほしいとは書いていないのよ」
と恵子がいうと、
「それは本当は付き合ってほしいんだけど、名前を出したくないから書いていないのか。それとも、付き合うとかいう発想がないから、名前を出す必要がないのかのどっちなんでしょうね」
と友達が言った。
「付き合ってほしいという目的もないのに、ラブレターなんか出すかしら?」
と恵子がいうと、
「だって、本当に付き合ってほしいのなら、そんなラブレターなど書かないでしょう。ラブレターを無記名で出すというのは、そもそも、自己顕示欲が強くて、自己主張が先にあるのが前提なんじゃないかしら? つまり、ラブレターを書いたことで満足する。でも、その満足する機関が短いから、またラブレターを出す。そのうちにラブレターを出すということが自分にとっての自己主張の形になってくれば、その行為に対して快感を感じるようになっているのかも知れないわね。でも、それも一種のラブレターを書く十分な動機だと思うの。気持ち悪いんだけどね」
と、友達が解説してくれた。
「そういう話を訊くと、先ほどの靴の話にも繋がってくるんだけど、ラブレターを書く人の心理と、靴に悪戯をする人の心理って、似ているということなのかしら?」
「それはあるかも知れないわね。ラブレターなんていうものが、自己顕示欲と、普段は内に籠った鬱積した気持ちを、表に出そうとすると、わざと変質的な行動に出る場合もあると思うの。つまり、好きな人と、嫌いな人の区別がつかないということがあるなんて、恵子には想像がつかないでしょう? でも実際にはあるのよ。それが歪んだ精神になって、行動に出るということね」
と言われて恵子も少し考えて、
「それって、好きな子ほど、いたずらしたくなると言われる、あの感覚に似ているということかしら?」
「そうそう、その感覚ね。自分でも、相手のことが好きだということを分かっていて、好きなんだけど、その気持ちを整理できなくて、そのうちに、自分がこれだけ好きなんだから、相手にもその気持ちが伝われば相手も自分を好きになってくれるのではないかという感情ね。一種の押し付けの感情なんだろうけど、それって、誰にでもあることなんじゃないかと思うの。例えば、毎日のように、プレゼントを贈り続けたりする行為だってあるでしょう?」
「それって、まるでストーカーじゃない?」
と恵子がいうと、友達は一瞬呆れたような表情になり、
「そうよ、私はそのつもりで最初から話をしていたのに、やっと今になって気付いたということなの?」
と聞かれた恵子は、
「ええ、そうなんだけど、でも、どうしてあなたはそんなに詳しいの?」
と聞かれた友達は、
「私は、幸いに、そこまでの行為を受けたことがないから正直分からないところがあるんだけど、逆に人がそういう行為を受けているのを見ると、自分も考えてしまうところがあるからかしらね。特にまわりにちょうど恵子がいるから、私も自分のことのように考えることができるのかも知れないわね。でも、これは自分に向けての行為ではなく、身近な人ということで、他人事ではあるんだけど、無視はできないくらいの距離なので、一番見える距離にいるということも言えると思うのよ」
という。
「ということは、私にとって、一番の相談者だということも言えるかも知れないわね」
と言われた友達は、
「そう思ってくれると嬉しいけど、少しプレッシャーでもあるわね。でも、本人である稽古に分からないことも、私なら分かる場合も結構あると思うの。そこを指摘することはできると思うの。その時初めて、二人で考えるようにすれば、少しは違ってくるんじゃないかしら?」
「そうね。そう言ってくれると私も心強いわ。正直、少し悩んでいたのよね。靴の件では、かなり参った気分になっていたので、どうすればいいのか。結構考えていたわ」
と、いう恵子に対して、
「それはその通りね。一人で悩んでいると、どうしても悪い方にばかり考えてしまって、本質が見えてこなかったり、相談できないことであればあるほど、必死に隠そうとするものなのよ。でも、そんな時って、結構まわりは気付くもので、そのあたりで、まわりと距離ができてしまって、余計に孤立してしまうことだってあると思うの。一人でいるとどうしてもそんな気持ちになってしまうから、なるべく、相談できる人を一人でも二人でも作っておくことが大切ね」
と言ってくれる。
「あまり多いと、今度は却って考えがまとまらないかも知れないわね」
「うんうん、それは大いにある。私も子供の頃、そうだったのよ。まわりにいろいろ言ってくれる人がたくさんいたのはいいことだったのかも知れないんだけど、結局何が正しいのかよく分からなかった。言ってくれる人が多ければ多いほど、それだけたくさんの意見が出てくるのであって、整理できなければ、混乱するばかりだからね。それは私も今までに痛感してきたことだったわ。だから、今も一人か二人という言い方をしたのよ」
そんな会話をしながら、友達と話していると、
「私は、いつもそばにあなたがいてくれるから、それが嬉しいと思っているのよ」
と恵子がいうと、
「それは嬉しいわ。私もね、恵子は意識がなかったかも知れないけど、私が辛かった時、恵子がそばにいてくれるだけで安心できたの。それをとても感謝しているわ」
と彼女は言った。
二人は、それまで、
「女性の親友というのは、本当にあるのかな?」
とお互いに思っていた。
実際にそういう話をしたこともあったくらいで、あれは、中学の頃だったか、
「男の子は結構親友同士でいろいろ話をしたりして、本当に親友だって感じを受けるんだけど、女の子同士の場合って、親友だと思ってしまうと、もし、同じ男子を好きになった時なんか、友情と恋愛感情を天秤に架けるとどうなるのかって考えてしまうわ」
と、恵子がいうと、
「そうね。私はきっと恋愛を取りそうな気がするの。男性を好きになると、自分の意識は全神経を集中させてその男性に尽くすような気持ちになると思うと、女性との今までの友情が薄っぺらいものになるような気がするのよ。きっと、自分が他人を尽くしたり感情移入する場合に限界があって、そのすべてを男性に捧げようとすると、他の人に対しての余裕はなくなっていくでしょうね。その気持ちを自分の中で言い訳のようにするために、女性との間に友情なんてないと自分にいい聞かせると思うの。それでも相手の女性が親友だなどと行ってくると、完全に億劫になってしまって、こちらから避けるようになると思うの。だから、友情を完全に否定するんじゃないかって思うのよ」
というのだ。
彼女にしてみれば、その当時は思春期の真っ只中、男性に対しての感情は異常なものだったに違いない。友情と恋愛を天秤に架けること自体、本当はナンセンスなことだということに、いずれは気付くことになるのだろうが、思春期のど真ん中で気付くわけもない。そんな状態で、気持ちが迷走していたのだろう。
ただ、女同士でも喧嘩になることもあり、
「あなたとは絶交よ」
と言ったり、言われたりすることも多いだろう。
だが、それが、友情の切れ目ではないということだけは、意識していたのだった。
「女同士の友情がないんだったら、男女の間での友情というのはどうなんだろう?」
と、恵子は考えたことがあった。
思春期の間は少なくとも、
「恋愛と友情とは決して同居しないものだ」
と思っていた。
しかも、
「同じ相手に、恋愛と友情は両立しない。それがいくら時間が経っていても」
と思っていた。
つまり、恋愛から友情に変化することも、友情が恋愛に変わることもありえないという考えである。それが嵩じて。
「男女の間の恋愛なんていうのも、幻想に違いない」
と思うようになっていた。
お互いに親友だと思っていて、友情が何よりも強いと思っていても、同じ人を好きになってしまえば、友情なんてありえない。この気持ちは高校生になっても変わっていない。悩みばかりの思春期という時期は通り過ぎたと思っている今もである。
恵子は、中学時代に仲がよかった友達と、同じ高校に進むことで、
「これって運命だよね」
と思える相手が見つかったことが嬉しかった。
中学時代からよく話をしていたが、その頃はここまで仲良くなれるなんて思っていなかった。
「思春期というのは、気持ちが変わりやすく、気移りしてしまっても、それは無理もないことだ」
という一種の甘えのようなものがあったことで、思春期に入ってからと、思春期を抜けてからでは、自分がかなり変わっているという自覚があった。
しかも、同じ時期に思春期を迎えている人も同じことが言えるので、思春期が終わった時、誰と友達でいるのかということはまったく想像もつかなかった。
思春期というものが、成長の中で、絶えず右肩上がりであるという意識はなかった。ある日突然、上向きに転向したかと思うと、逆に急転直下もありえることだと思っている。総合的に、思春期が終わると、思春期前に比べて、成長しているということに変わりはないというだけだと思っていた。
思春期が終わった時に感じたことはいくつもあったが、そのうちの一つに、
「誰か一人に対しての感情は、複数の感情ではない」
ということだった。
その人が嫌いだと思えば、どう違った角度から見ても嫌いであり。好きな人であっても、それが恋愛感情なのか、友情なのかと言われると、どちらもということはありえずに、必ずどちらかなのだということだ。
ただ、それが相手の感情と一致しているとは限らない。こちらが恋愛感情を持っていて、相手は親友だと思っていたとしても、納得するまでは、自分の感情にウソはない。つまり別れるという選択肢はないということだ。
もし、別れるとすれば、どちらかが恋愛感情を抱いていて、告白した時ではないか。その瞬間に、開けてはいけない「パンドラの匣」を開けてしまったことになり。築き上げてきた感情は瓦解してしまうだろう。
この感覚をどこかで感じたことがあった。
そうだ、あれは友達と将棋をした時のことだった。女の子なのに将棋というのも、変な気がして、
「将棋が好きっておもしろいわね」
というと、
「女だてらにって思っているんでしょう? でもね、将棋をする女子って結構多いのよ。それに、女流棋士って結構モテるみたいなの。男女問わずね。だって、あんなに真剣な表情を見せつけられると、男子に憧れるのがバカなかしく思えるくらいに凛々しいと思えるくらいなのよ」
というではないか。
そして彼女は続けた。
「それにね。将棋って面白いのよ。将棋の布陣で、どれが一番隙のない布陣なのかって分かる?」
と訊かれて、
「ううん」
と答えると、
「最初に並べた形なのよ。つまり、一手打つごとに隙が生まれる。いわゆる減算方式のような気がするの。それが非常に気になってね」
と彼女は言った。
「減算方式?」
と恵子が聞くと、
「ええ、その表現で本当にいいのかどうかまでは分からないんだけど、私は、減算方式に加算方式だと思っているの。何かの判断の時によくこの二つを考えるのよ。何か一つを考えた時の判断材料として、加算方式でも、減算方式でも、どちらからでも考えることができるものもあれば、必ずゼロからの加算にしかならないのか、あるいは、満点からの減算になるのかで違ってきますよね? 点数をつけるとして、合格点を七十点以上と考えた時、加算と減算では見え方が違う。加算の場合はまず五十点を目指してそこから七十を目指すというようなやり方ができるけど、減算法だと、八十点になってくると、足元に迫ってくる危険が見えてきて、冒険はできなくなる。人との相性を考える時に、加算で見るのか減算で見るのかというのは結構難しい考えだけど、たぶん、皆さんは減算で見るでしょうね。最初に、友達ありきで始めるからね」
と、友達は言った。
「でも、初対面の人で、これから友達になろうとする人だったら、加算法じゃないのかしら?」
と恵子がいうと、
「そうとばかりは言えないと思うの。これは性格的なものだと思うんだけど、引っ込み思案の人の方が、減算法じゃないかと思うの。減算法の方が、先に欠点を見つけようとする。それは自分が引っ込み思案だという意識があるから、まず保身を考えるのよね。自分に対して危機が迫ってくるような相手であれば、友達としてはありえないと思うからね。でも、まず相手の長所を探していくという加算法の人は、きっと長い目で相手を見ようとしていると思うの。だから、ゼロから組み立てられると思うのよ。でもね、人間って、理想と現実とは違っているのが普通なので、加算法でありたいと思って思っていても、結局は減算法になってしまうものなのかも知れないわね」
と友達は言った。
「何か難しいわね、結局はどうなのかしら?」
と少し訝しがる感じで話を訊いていた恵子は次第に焦れてきた。
「そうね、私もハッキリとしたことはいうのが難しいんだけど、結局はどっちもありだと思うの」
というのを聞いて、
「どういうこと?」
と、一度苛立ちを見せたことで、却って落ち着けた恵子は、ゆっくりとした口調で聴いた。
「加算法が、長所を重ねていくことでしょう? そして減算法というのは、欠点により削っていくことだとすれば、要するに長所と短所の違いだとも言えるのよね。でも、『長所と短所は紙一重』という言葉であったり、「長所は短所の裏側に潜んでいる』という言い方をするでしょう? つまりどっちかを見つめようとすると、どちらかも見えてくるの。短所を探そうとすれば、長所も見えてきたり、長所を見ようとすると、短所にも気づくの。それを見る人が理解できるかどうかということが問題なんでしょうね」
「ということは、それを理解できていないと、相手との相性を考えるということは、無理があるということになるのかしら?」
と恵子が聞くと、
「そうとばかりは言えないわ。実際に意識して、相手の短所や長所を理解しようと思っている人ってそんなにいないと思うの。でも、無意識のうちに理解していて、逆に、『相手の長所や短所が分かるから、親友だって思っている』という人がいるくらい、相手との相性を訊かれれば答えられるという人は、必ず根拠があるはずなのよ。だから、誰かから、どうして親友なのかと訊かれて、ハッキリと答えられない人は、親友だと思っていたとしても、相手も同じように親友だとは思ってくれていないと思った方がいいんじゃないかって思うの。もっとも、これは私の考えであって、これが正しいというわけじゃない。それは私の親友である恵子には分かっていることだと思うけどね」
という話を訊いて、
「うんうん、まったく同じ気持ちよ」
と言って、恵子はニッコリと笑った。
彼女は恵子の高校時代からの親友で、名前を砂土原典子という。
典子とは中学時代から一緒で、高校二年生の頃まで話をしたこともなかったが、どちらからともなく意識をし始めて、すぐに親友になった。
今は高校三年生で、まわりには、友達がいないように思われているほど、いつも一人でいるイメージの恵子だったが、典子は違った。いつも典子と一緒にいることが多い恵子がなぜまわりから、
「いつも一人でいて、何を考えているのか分からない」
と思われているかというと、話をする時、皆とは違った感性を持っているのか、ピントがずれていると思われているからであろう。
典子も負けず劣らず、まわりから同じように見られているようだった。
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