第4話 動き出す運命の輪

 夜半の社務所を、白色光の無機質な光が照らす。コウタにとって幼馴染の母、宍戸美春(ししどみはる)は長年親しんだ女性である。巫女装束も浮かべる微笑も、もはや見慣れたものだった。


 しかし今宵は別物だ。何か気迫のような物が感じられ、思わず唾を飲む。ここまで緊迫しているのは、境内から伝わる喧騒のせいかもしれなかった。



『お前たち、エンパイヤの名に泥を塗るな! 敵は1人だぞ、臆せず戦え!』



 足音の数は増え続け、既に敵は大勢である事が予想された。少なく見積もっても、片手に収まる人数ではない。


 それを食い止めるのはただ1人、ツムギの父だけである。



「こんなんヤベェだろ、おじさんを助けなきゃ!」


「良いのよコウちゃん。それよりも私の話を聞いて」


「そんな悠長な……」



 コウタの口答えは尻すぼみになる。やはりミハルの気迫が強く、無駄口を許さないように思えたからだ。


 隣のツムギは何を言うでもなく、心配げに俯くだけ。コウタより先に、聞く姿勢を示していた。



「私達は、アナタたちには平凡な人生を歩んで欲しかった。茨城の未来を左右するような戦争になんて、関わって欲しくなかったの」


「平凡な人生って。つい昨日までは、そうだったぞ」


「そうよね、分かってるわ。ごく普通の思春期を迎えて、ごくありふれた人生を送ってもらう。そうなるハズだった」



 ミハルの視線が虚空を捉える。それからも言葉を続けるのだが、どことなく早口である。



「2人が高校を出てからも順調に交際を続け、やがて結ばれて、水戸の式場で愛を誓い合って。以降は慎ましい新居で子宝に恵まれて初孫なんて生まれちゃって。そんでもって名付け親になってとか頼まれたりして、私ったらどうしたら良いのかしらだなんて――」


「お母さん。話が逸れてる」



 コホン。



「それが私達、大人が夢見たささやかな未来だった。悩みに悩んで辿り着いた答えなの。あなた達の成長だけを糧に、生きていこうと。強大な敵とは決して争わず、故郷の記憶と歴史が消えゆくのを、そっと見送りながら」


「一体何なんだよ。親父といい、おばさんまで変な事を言いだしてさぁ!」



 喚き出すコウタの頬に、大きな掌が添えられた。そして優しく撫でる。遠い昔に実母を失くしたコウタにとって、ミハルはどこか、母親代わりのような存在である。


 その恩義を感じているからこそ、真っ向から歯向かうことが出来ない。



「私には分かるわ。コウちゃんには、マナの血が、ミトッポ様の血が受け継がれているのね。ここへ来た時、アナタをひと目見た瞬間に理解できた」



 慈しむような手が温かい。しかしコウタは、なぜか不吉な感覚が拭えなかった。まるで消えゆくロウソクの灯火を、眺めている気分にさせられた



「その熱い血が目覚めてしまったなら、東京に従順では居られない。未来の為に戦う必要があるの」


「どうしてそうなるんだよ!? いちいちケンカ腰になる理由はなんなんだ!」


「アナタの為よ」


「オレの……?」


「連中はね、アナタの存在を恐れているの。歴史上、唯一東京を完膚なきまでに叩きのめしたと言われるミトッポ様の末裔を、心底恐れているの。アナタが連中の手に渡れば、一体何をされてしまうか……」


「ど、どうなっちまうんだ?」


「茨城の事なんてスッカリ忘れるまで、再教育されるでしょう。そして、茨城の全てを忌避するようになってしまう」


「嫌だよそんなの! オレはまだ、全ッ然故郷の事を知らないのに!」


「良いセリフね。さすがはマナの子だわ」



 ミハルはそこまで言うと、メモにペンを走らせた。殴り書きされたのは、地図である事は分かったものの、2人には縁のない場所を示していた。



「コウちゃん、ツムギ。ここは私達が引き受けるから、アナタ達は地図の場所へ向かいなさい。そこでジアンという男を頼るのよ」


「待てよ、おばさんまで親父みたいな真似すんのか!」


「そうだよお母さん! 危ないことはやめて! お父さんと一緒に逃げようよ!」


「ごめんなさいね。私達は行けないわ。むしろここで騒ぎを起こせば、陽動になるから、アナタ達が安全になると思うの」



 ミハルは裏口の方を指さした。そこには非常出口のランプが淡い灯りを灯している。



「行きなさい。茨城の未来を託したからね」


「おばさん!」


「お母さんッ!」



 去りゆくミハルの背中をツムギが追いかけた。しかし、どうにか踏みとどまったコウタは、比較的冷静だった。ツムギの腕を掴むことで引き留める。瞳に、耐え難い心を押し殺す程の、強固な決意を宿しつつ。



「離してコウタ君、お母さんが!」


「落ち着けツムギ。オレたちがノコノコ出て行っても、足手まといになるだけだろ」


「でも、だって……!」


「ここは逃げるんだ。いつの日か、必ず助けてみせるから」


「コウタ君……」



 ツムギが力なく項垂れた。そして振り向く事無く、掠れた声で尋ねた。



「信じて良いよね、コウタ君。皆、大丈夫だよね。お父さんとお母さん、それにトシアキおじさんも……」


「もちろんだ。全員を助け出す、必ずだ!」


「うん、分かった。急いでここを出よう」



 こうして2人は神社を後にした。月明かりの翳(かげ)る夜道にはぐれぬよう、強く手をつなぎながら。


 その逃げ去る姿に気づいたのは、ツムギの両親だけだった。エンパイヤ側から死角であったのは幸いだ。



「上手く逃げおおせたみたいよ、アナタ。」

 

「上々。ならば我らが為すべきは」


「これでもかってくらい、暴れ倒してやる事ね」



 宍戸夫妻は、境内で肩を並べて身構えた。そして100人にも及ぶ治安部隊を相手取り、声高に叫ぶ。



「聞け、無粋なる東京人ども! 聖域に血なまぐさい出で立ちで押し入るとは、言語道断! もはや神罰は免れんぞ!」


「躾のなってない子供たち。オイタの後は叱られるってルールがあるのよ。知らなかったかしら?」



 圧倒的物量を誇る東京軍が、言葉ごときで怯むわけもない。士気は天に届かんほどに猛り狂う。


 すると防弾チョッキに身を包んだ兵士達が、隊列を組んで押し寄せてきた。その手には、折りたたみ傘が強く握られている。特に最前列の傘は赤い。いわゆる『赤備え』と呼ばれる精兵である。


 しかし宍戸夫妻に怯懦(きょうだ)は無い。力強い仕草で印を結ぶと、秘めたる力を解放させた。



「来るか。ならば我が一族の秘技、とくと味わえ!」



 宍戸夫妻は、いずれも胸元から札を取り出した。茶色く染まった紙切れのようにも見える。



「イイナリ・散!」



 叫ぶとともに札を投げつけた。すると札は瞬く間に巨大化し、敵兵に覆いかぶさった。


 それは狐色が美しい油揚げである。フワリと舞っては敵兵の全身を包み込み、手足の自由を奪い去ってしまうのだ。


 この反撃には、勝利を確信していたエンパイヤ軍も激しく動揺し始めた。



「隊長、これでは戦えません!」


「こちらも小隊全員が行動不能! 身動きとれません!」


「あぁ、ふっくらしてて、良い匂いで……。眠たくなってきたな」


「何だろこれ……揺りかごに居るみたいだぁ」



 慢心した集団は脆い。ほとんどが早くも浮足立ち、及び腰になる。だが、総崩れまでに至らないのは、さすがに正規部隊と言うべきか。練度も決して低くはないのだ。



「馬鹿者め! それでも誇り高きエンパイヤか! たった2人を相手に何を手こずっている!」



 部隊長が激を飛ばし、そして新手の兵士も参戦させた。果敢に突撃する治安部隊。しかし、その全てが不思議な技で蹂躙されてしまう。


 荘厳で美しき境内は、大量の油揚げと、それに包まれた兵士で埋め尽くされた。戦闘は激しさを増していく。東京側は増員に次ぐ増員という、やはり物量で押しつぶす作戦に出た。


 その真っ只中で、ミハルは笑っていた。今頃はコウタ達が、安全圏にまで逃れただろうと察したからだ。



「ハァ、ハァ……。アナタ。残りの札は?」


「次で終いだ。いよいよ腹を括らねば」


「私も、これで最後よ。こんな事なら、もっと準備しておけば良かったわね」


「さらばだミハル。良き生涯であった。また次の世でも会わん」


「……そうね。その時はまた、皆で楽しく暮らしましょ。聚楽園(じゅらくえん)でピクニックとかね」



 2人が視線を合わせては、どちらからでもなく、微笑んだ。汗と泥で塗れた顔だが、汚れたとは思わない。むしろ胸が締め付けられる程の愛おしさが、全身に駆け巡るようである。


 不意に戦場を包む静寂。ものの数秒。それを怒号で打ち破ったのは、夫妻の方であった。



「さぁさぁ刮目して見よ! この宍戸幻怪(ししどげんかい)の最期の散り際、しかと両目に焼きつけるのだ!」


「タダで手柄なんてあげないからね。道連れになりたい子から、かかってらっしゃい!」



 2人は勇ましくも、敵陣の中へと躍り出た。


 夜空に舞う2つの油揚げ。それらは離れて重ならない。袂(たもと)を分かつようにして、地に落ちた。まるで空から失墜する飛燕のようである。


 夜中に始まった境内の騒ぎは、これを境に静まり返った。怒号も雄叫びも、今となっては遠い。ただ粛々と戦後処理が執行されるばかりである。


 一方その頃。コウタ達は無事、歓楽街へと辿り着いた。道中は気味が悪いほどに平穏。警戒ドローンにさえ気をつければ良く、見回りの兵士は1人すらも見かけなかった。



「地図によると、この近くだよな」



 コウタは改めて周囲に眼を向けると、思わず眼を鋭くした。辺りは薄暗い。築年数の古い雑居ビルが立ち並び、所々の窓が割れ、酷いものは焼け焦げた跡すら見える。


 漂う悪臭も強烈で、鼻が曲がりそうだ。酒と煙草に混じり、腐敗臭までもが加わる。肌を刺す気配も不穏だ。判断ひとつでも誤れば、何らかの犯罪に巻き込まれそうだ。



「コウタ君……」


「オレの側を離れるなよ。絶対に」



 繋いだ手を強く握りしめつつ、歓楽街の中を進んでゆく。時折、赤ら顔の男や客引きの女と遭遇したものの、足早になって立ち去った。


 どこか逃げ回るような足取りだったが、彼らはついに辿り着いた。



「Bar【ヘビィクラウン】って、ここだよな」



 比較的、キレイな造りの建物だった。ネオンサインが煌めく看板に、店舗ロゴ入りのガラス戸。真っ赤な取っ手を持ち、押し明けると、その先は下り階段。店は地下にあると分かる。



「行くぞツムギ。覚悟は良いか?」


「うん。大丈夫……!」


 

 足音が響く。一歩ずつ踏みしめる度に、心臓が跳ね上がりそうだ。2人は高校生なので、夜の店など初めての体験である。


 そうして1フロア分だけ降ると、再びガラス戸があった。覗き込みながら押し開く。すると大音量のクラブミュージックと、煙草の臭いが溢れ出てきた。


 中は薄暗く、赤や青の照明が僅かに照らすのみだ。人の入りは10名ほど。客はボックス席で酒を飲むか、店中央のダンススペースで踊るなどしていた。



「コウタ君、ここにジアンって人が居るのかな?」


「らしいけど、どいつか全然分からねぇ。お店の人に聞いてみるか」



 薄暗い店内だ。店員の姿をなかなか見つけられず、結局はカウンターまでやってきた。そこには蝶ネクタイにブラウス姿のバーテンダーが、グラスを磨く最中だった。



「すいません。ちょっと聞きたいんですけど」


「何だ、ガキか。ここはお子様のデートには向いてねぇ。サカりてぇなら公園でも行きな」



 その返事で、周囲から嘲笑が漏れ出す。取り巻く気配も不穏さが増してゆくようだ。歓迎されていないのは間違いなく、異物である感覚は強烈だった。



「話を聞いてくれよ。オレ達は用があって来たんだ」


「こっちには用が無ぇよ。ガキに飲ませる酒なんかあるもんか。それに、どうせ無一文だろう?」


「酒じゃない。ジアンって男を探してるんだ!」



 コウタが、曲を押しのける程の大声を響かせた。するとバーテンダーは動きを止め、鋭くなった瞳をコウタへ向けた。



「おいガキ。訳のわかんねぇ事ぬかすな。痛い目に遭いたいのか?」



 ドスの効いた言葉だ。思わずコウタは怯みそうになるが、堪えた。そして相手を睨み返す。これまでの犠牲を思えば、怒鳴られた程度で引き下がる訳にはいかないのだ。


 そうして視線をぶつけあう事しばし。不意に野太い笑い声が聴こえた。



「はいはい、お二人さんその辺でね。酒は幸せよ? ケンカしてっと幸せが逃げちゃうよ?」



 横から現れたのは、20代と思しき男だ。頭髪は刈り上げたツーブロックヘア。長身で筋肉質。それだけでも目立つのに、裸に黒革ジャケットを直に着るのだから、酷く眼を惹いた。良い意味と捉えるかは人による。



「何だよアンタは。邪魔しないでくれ」


「そう言うなって。オレに用があるんだろ、少年?」


「えっ! という事は……」


「オレは橋本事案(はしもとじあん)って言うんだ。よろしくな」


「アンタが、ジアンか……」


「まぁ立ち話もなんだ。こっち来なよ。酒は無理でもツマミくらいは食えるだろ?」



 手招きに従って行けば、そこは店の最奥。牛革ソファの置かれた「特等席」である。


 コウタはふと、手に汗を感じた。明らかに非日常。異質なる世界。流されるままに訪れたが、それは果たして正しかったのか、判断がつかないでいる。


 それでもツムギだけは守り抜いてみせる、と決意する。たとえこの先に、何が待ち受けていようとも。



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