星見酒
揺井かごめ
星見酒
居間から微かな悲鳴と、風鈴の音が聞こえる。
僕は食器を洗い終え、パントリーから三本の瓶を取り出した。冷蔵庫で冷やして置いた小柄のグラス二つに氷をからからと注ぎ、紅茶リキュール、青リンゴのリキュール、日本酒を計り入れてステアする。少しだけウーロン茶とレモン果汁も垂らして、こっそり買ってきておいたちょっとだけ良いアイスと一緒に居間へ運ぶ。
夕立の残り香と一緒に、涼やかな風が網戸から緩く吹き込んでくる。
居間のテレビには、金曜ロー●ショーのゾンビ映画が映されていた。少し古いが有名なタイトルで、映画好きだった僕は公開日に見に行っている。なかなか面白かったはずだ。
臨場感溢れるグロテスクなパニックホラー映画を尻目に、妻はうとうとと船をこいでいる。
「明菜、デザート」
「……ん、ん~」
猫の様に伸びをして、彼女はへらりと笑った。
「ありがと」
僕と妻は、座卓に並んでアイスを頬張る。時折ちびちびとカクテルを含みながら食べるのが美味しいのだ。
「明菜、これ見てたの?」
「んーん、一個前のバラエティ見てたら眠くなっちゃって。これ面白い?」
「ん、普通に面白い。見る?」
「録る」
妻はアイス片手に緩慢な動作でリモコンを拾い、手早く録画を済ませる。
「アイス食べ終わるまでは見る」
「それじゃ一瞬だなぁ」
「そしたら縁側出よ」
「……覚えてたんだ」
「もち」
今日は七月七日。僕達が入籍した日付である。
この日は毎年、星を見ながら一献傾けるのが我が家での決まりだった。妻はあまり酒が飲める方ではないが、この日だけは付き合ってくれる。
◆ ◆ ◆
風鈴が、音を立てた。
◆ ◆ ◆
兄夫婦の家の窓辺を見上げると、色あせた風鈴が風に揺れていた。短冊は色あせて柄を失い、淵が薄ら赤くなっている。
「ヴ……ァ……」
「……グ、ガ」
「……対象、発見。ゾーン患者二名、処理します」
俺は無線を入れると、火炎放射器を二人に向けた。縁側で寄り添う二人は、割れたグラスを口元に運びながら空を見上げている。
「……ごめんね、兄さん、明菜さん」
ガスマスク越しに呟いた言葉は、誰にも届かない。
ZNEー25、β株。通称ゾーン。
数年前に起きたバイオテロによって地球上を震撼させた、人工ウイルスである。爆弾型の散布機は全世界の至る所へ無差別的に配置され、世界各地で深刻なパニックを引き起こした。感染者の肉体は腐食され、死蝋化し、最終的にはゾンビのようになってしまうことから、日本では「ゾンビウイルス」「ゾンビ」などとも呼ばれていた。ゾンビ化した人間はたいした距離を移動できず、体液まで固形化して飛沫などによる感染経路を持たないため、被害は最小に抑えられた。ウイルスが散布された場所は侵入を厳しく禁止され、一年前に感染者の焼却処分が決定された。
世界には平穏が戻った。ゾーン感染者はもういない。
最初の爆心地にいた人々を除いて。
兄夫婦の家から登る煙を、アパートのベランダから眺める。黒々とした煙は、晴れ渡った星空に流れる天の川を小さく濁して消えていく。
100均で買ったお猪口に注いだ地酒を夜空に掲げた。兄が常備していた、地元の寂れた酒蔵で造られた清酒。星の光を湛えた水面が揺れる。
──献杯。
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