その檸檬《ツンデレ》は、甘く実る

神楽坂 月

1枚目 出会い


ーー「わたしね、明日、パパの仕事でね、遠いところに引っ越さないといけないんだって。だから、もう会えないんだ」

「え? そうなの」

「うん」

「もう、一緒に、遊べないの?」

「だからね、太陽くん。今日はバイバイって言いにきたの」ーー



           

 ピピピピッ ピピピピッ

「ん、う〜〜ん...」

 夢か...

 ......なんで、小学生の頃のことなんて


「太陽ー、早く起きなさーい、ご飯できてるわよー」

「今起きたー」

 重いまぶたをこすりながら俺はリビングへと歩いていった。



「お、起きたか太陽」

「お兄ちゃんおはよー」

「うん、おはよう」

 新聞読む父と気だるそうな妹と挨拶をかわし朝食を食べる。

 いつも通りの朝だ。


「太陽、今日始業式でしょ、忘れ物はないの?」

「うん、多分大丈夫」

「新しいクラスを楽しむんだぞ、とはいえ2年目だしそこまで心配はいらないか」

「うん」

 いつも通りの何気ない会話。



「行ってきまーす。」

「「「行ってらっしゃーい」」」



 俺は佐藤 太陽たいよう光ヶ岡ひかりがおか高校2年生。父と母と中学2年生の妹、日向ひなたと暮らしている。


 ......それにしても、今日はなんで急に小学生の頃の夢なんて見たんだろう...

 俺は朝見た夢について考えながら歩いていた。

 

 夢に出てきた女の子とはよく学校帰りや休みの日に一緒に遊んでた。鬼ごっことかままごととか。

 容姿はあまり思い出せない。

 でも、あの子との思い出はしっかりと記憶に刻まれている。

 どんなにありふれたことをしてもあの子と一緒にいると全部が楽しかった。


 あの子の名前、もう忘れちゃったな...

 思えばあの甘酸っぱいようななんともいえない感覚が初恋だったのかもしれない。

 そんなことを思いながら高校へ向かう道を歩いていた。


「ちょっと君、いい?」

「はい?」

 その時、急に後ろから声をかけられた。そこには俺と同じ年くらいの制服を着た女子高生がいた。

 あれ?この制服、隣の高校の...


「聞きたいんだけど朝日川あさひかわ高校はどうやっていけばいいの?」

 え?なんで高校の場所なんて、この辺じゃ誰でも知ってるはずだけど、引っ越してきたのかな?


「朝日川高校なら真逆の方向ですけど」

「...! え、うそ、マジ!?」

 目をこれでもかと見開き本気で驚いている様子だった。

「はい。後ろの信号を左に曲がってその後の曲がり角を右に曲がれば正面に見えてくると思いますよ」

「本当に!?ありがとね!」


 急いでいたのかその子は走って行ってしまった。

 なんだったんだ...?


 そのとき妙にその後ろ姿に目を奪われたのはと呼ばれるものを感じたからかもしれない。



          ◆◆



 ガラガラ

 教室に入ると意外にも登校している生徒が多かった。


 やっぱみんな、新しいクラスでそわそわしてるのかな?まぁ、それもそっか、俺も実際ちょっと落ち着かない感じだし。


「おい、遅ーぞ太陽、待ちくたびれたぜー」

 そんな中、窓側の席から聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「なんだよ朝から、お前が早すぎるだけだよ」

 そう返しながら俺は自分の席を探し、荷物を机の中に入れていく。


 こいつは澤野さわの れん。俺の友達で、1年生の時も同じクラスだった。

「にしてもまた同じクラスになれたな!」

 「にひひ」と笑いながらで蓮が俺の席まで近づいてきた。

「そうだな、正直お前が同じクラスでちょっと安心したよ」


 蓮はファッションにとても興味があり、どんな服でも似合うように着こなせるのだ。

 そんな蓮に俺はちょこちょこファッションについて教えてもらっている。俺とてもう高二だ。少しは服にも気を使い、彼女も欲しいと思うお年頃。

 ......今年は彼女作りたいなぁ、もっと積極的にいったほうがいいのかな?

 

「おはようエリカ!今年も同じクラスになれたね、よかったー知ってる人がいて」

「私も凛花りんかちゃんが一緒でよかった!

やっぱり知り合いいないと不安になるよねー」

「わかるぅ、まあとにかく今年もよろしくね!」

「こっちこそ!」


 あっ、あれって...

 「エリカ」と呼ばれている彼女は宮下みやした エリカ。去年、彼女も同じクラスで学力は学年一位、クラス委員長を務めていたので他の生徒も知っている人が多い。

 それに彼女は超絶美少女!肩まで伸ばされた綺麗な黒髪にアイドル顔負けの整った顔立ち。

 彼女から溢れる大人っぽい雰囲気は多くの男子生徒の心を奪ってきた。

 そんな彼女は周りの男子生徒から学年一の美少女とうたわれている。

 正直俺も気にならないわけではない...否、めちゃめちゃ気になっている!

 しかし、ガードは鋼よりも堅く今まであらゆるイケメンの告白を断ってきたとかないとか...


 まぁ俺なんて眼中にもないんだろうなー...

 へぇ〜、宮下さんも同じクラスだったのか、あんな可愛い子と付き合えたら人生最高だろうな...

 あ、やばい...虚しくなってきた...

 

 キーンコーンカーンコーン

「ほらーお前ら席つけー。ホームルーム始めるぞ」

 とうとう今日から2年生スタートだ。気合い入れて頑張るぞー!!

 


           ◆◆



「ふぅ〜、とりあえず初日は終わったな」

 俺は自分の席で背伸びをしつつあくびをひとつ。

 すると後ろから急に...


「さ、佐藤くん!」

「うぇ!?...宮下さん!?」

 びっくりしたー、急に話しかけられたから変な声出ちゃったよ


「ど、どうしたの急に?」

「ごめんね!急に、あの...」

 指で髪をいじいじして視線はあちこちに彷徨っている。


「きょ、今日一緒に......帰れないかなー...なんて」

 耳まで真っ赤で顔から湯気が出そうなくらいになっている。

 しかし俺にとっては願ってもないことだった。

 だって学年一の美少女と謳われている彼女から一緒に帰らないかと誘われたのだ。

 それは世の男子生徒なら誰でも夢見る最高の展開だ!それは俺とて例外ではない。


 あれ?でも今日の朝たしか父さんが...


ーー「太陽、今日の夜は家族で用事があるから早く帰ってきなさい」ーー


 っていかにも嬉しそうな顔で言ってきたっけ...

 あのジジイ!!今日に限って用事を入れるとは!!


「ごめん、宮下さん。今日は家族で用事があって厳しいかな」

「ううん!全然、私が勝手に言っただけだし、用事ならしょうがないね!じゃ、じゃあまた明日」

 そういうと、少し残念そうな顔しながらさっさと行ってしまった。


 それにしても...

 宮下さん、俺とそんなに話したことないのに...急にどうしたんだろう?

 それにあんな表情いつもの彼女からはちょっと想像ができなくて少し驚いている。

 とりあえず、帰るか...



           ◆◆



「ただいまー」

「おかえりー」

 なんだもうみんな帰ってたんだ。

 靴を脱いでリビングの扉を開けるとそこには


「え!?なにこれ!」

 ピザやら唐揚げやら他にも美味しそうな料理が机の上に所狭しと並んでいる。


 「最近、父さんと母さんの仲のいい友達がこの近所に引っ越してきてな、会おうかって話してたんだ」

「で、なんで俺はそれに呼び出されてるの?関係ない気がするんですけど」

 そうだと知ってたら宮下さんの誘いだって断らなくてすんだのにー!!あんなチャンス多分二度とねぇーぞ!!!!


 俺が納得のいかない顔をしていると、

「まぁまぁ、そんなこと言うなよ、実はそこの娘さんがお前と同級生でな、近所だし顔は知っておいた方がいいだろ」

「別にいいよ、相手もどうせ同じようなこと思ってるだろうし」

「そっかー...多分あんな二度と会えないだろうになー、あーもったいない」

 ...ピクッ

「まぁ別に来るだけならいいか、俺もこんなご馳走食べないなんてもったいないしなー、あはは」

 ......俺も大概単純な男だな...


 ピーンポーン

「お、きたきた」

 父が玄関まで迎えに行った。

 本当にそんなに美少女なのか?

 ただ年下だから少し可愛く見えてるだけなんじゃ...

「「お邪魔しまーす!」」

「おじゃましまーす」

 ...ん?

 なんか聞いたことある声が聞こえたような......

 そのカーンと透き通ったような爽やかな声

「パパ、なんで私までついてこさせたの?私関係なくない?」

「まぁまぁ、......」

 ...うん、やっぱりどこかで聞いたことある


 リビングの扉が開き、両親の友達が入ってきた。

 お互いに「久しぶりー!」や「最近何してるのー」なんて言う会話が聞こえてくる中、遅れて一人の女子が入ってきた。

 

 レモンイエローの髪はツインテールでまとめられ、結び目は可愛らしい蝶々のヘアゴムで結ばれて、透き通るような白い肌。目はクリッと開かれ、モデルにも引けを取らないそのスタイルの良さ。

 間違いない!!!


「あっ!?君はあの時のっ!!」

「あっ!?あんたはあの時のっ!!」


 くしくも、俺らが声をあげたタイミングは同時だった。

「どうしたんだ?太陽、もう知り合いだったのか?」

「知り合いかどうか聞かれると微妙だけど...今日の朝、俺にこの子が朝日川高校の場所を聞いてきて教えたんだよ」

「ちょっ!?この子って何よって!いきなり子供扱いしないでくれるっ!!」

 

 ええぇ!?そこキレるとこなのーーー!!

 会って早々(二度目だが)キレられるとは思ってなかったもんだから結構焦っている!


「ご、ごめんて!決してそういう意味で言ったわけじゃっ!!」

「はぁ〜、パパに無理やり知らない人のところに連れてこられて、挙げ句の果てにはいきなり子供扱いされて、とんだ厄日だわ!!」

 ヤバいっ!!どうしよう!

 そこまで気にせずに使った言葉だけど、まさか怒らせちゃうなんて...流石にこの状況は親もいるし気まずすぎる!


「まぁまぁ、二人とも喧嘩しないで、そうだ太陽、今日はいつものもうやったのか?」

「あ...そういえばまだやってないや、ありがとう父さん、ちょっと庭行ってくる」

 俺はその場から逃げるようにさっさと庭へ向かった。


 「はぁ〜...」

 やっと、あの場から抜け出せた.....

 正直あのままあの修羅場に留まっていたら焦燥感と場の空気に押し潰されてどうにかなってしまうところだった...

 父さん、ありがとう!!


 ......そういえば、今日はいろんなことがあって、すっかり忘れてしまっていた。

 実は俺は三年前から家の庭で檸檬を育てている。

 きっかけは祖父から「檸檬を育ててみないか」と言われたことだ。


 俺の祖父母は農家で野菜や果物を育てている。

 祖父母の家へ遊びに行った時、よくその様子を近くで見たり、手伝ったりしていたので俺自身、何かを育てるということには興味があったのだ。

 そして、祖父母が間違えて檸檬の苗木を多く買ってきてしまったので、もらったということだ。

 その時から毎日檸檬の木を管理するのが俺の日課となった。


 よし、もう遅くなっちゃったし、ちゃちゃっとやりますかー!


「ね、ねぇ...今、いい?」

「はいっ!?」

 げっ!!さっきの子!?!?なんで?...まさかさっきのことまだ怒ってるとか!?


「あっ、あー...そのさっきはごめん!俺の言葉遣いが悪かったから!!...でも、ほんとに怒らせるつもりはなくて!...」

「別に謝んなくていいわよ、普通に...私が悪いわけだし......その...私こそ、ごめんなさい」

 あれ?あんまり怒ってない??

 よかったー、ほんとこれからどうなるかと思ったよ、とりあえず一安心だ


「自己紹介がまだだったわね、私は大葉おおば 麻理まり。朝日川高校1年生、あんたと同い年ね、まぁ、よろしく、それであんたは?」

 耳の前に伸びた髪を人差し指でいじいじしながら恥ずかしそうに自己紹介をしてくれた。


「俺は佐藤 太陽。隣の光ヶ岡高校に通ってる、こっちこそよろしく」

 でもこうして落ち着いて見てみると......


うん、確かに可愛いな...

 ...てか!さっきは喧嘩みたいになって気づかなかったけど...大葉さん、結構ラフな格好してるじゃんっ!!

 薄い生地でふわっとしてるがボディラインが目立つ服にショートパンツで太ももがむき出しになってて、胸もそこそこ......

 ああーー!!何考えてんだ俺は!?

相手は別に意識してるわけじゃないのに、俺だけ変なことばっか考えて、マジで申し訳ない!!

 でもダメだっ!どうしても視線が思考がそっちにいって仕方がない!?

 どうにかしてこの考えをやめないと!!


「そ、そうだ!俺、三年くらい前からここで檸檬育てててさ、今その手入れしようとしてたんだ」

「エッ」

「え?」

 なにその

 こいつ高校生なのにそんなしょぼくれたことしてんのかよ

 みたいな顔...

 大葉さんの顔はしかめられびっくりしたように俺のことを眺めていた。


「まぁ、確かに爺さんでもないのに高校生がなにやってんだよって気持ちはわかるけど、でも意外とおもしr...」

「えぇー!?檸檬育ててんの!」

「そ、そうだけど...」

「すごいすごい!難しそうなのにそんなのよく育てられるね!!」

 これまでみたこともないほど大葉さんの目はキラキラ輝いていた。

 まぁ、まだ2回しか会ってないけど...

 とにかくそれぐらいキラキラして眩しかった。


 すると彼女は急に指を回して恥ずかしそうにもじもじし始めた。

「実は私も、庭でトマト育ててるんだけど...全然うまく行かないんだよねー...ははは...」


 大葉さんも何か育ててたんだ、正直、性格が真逆だから共通点なんてないと思ってた...

 ほんと人って見た目によらないなー...


「へぇー、トマトか......好きなの?まぁ、育てるのは簡単な方だけど」

「うん、子供の頃から好きだったから育ててみたいなぁ的な?でも、そっか...これでも簡単な方なんだ...」

 しばらく俺らの間に沈黙が流れた。


 すると大葉さんが何か決心したのかこれまた目をキリッと輝かせ俺の方に振り返り、

「あのさ!」

「ん?どうした?」

「その...よければなんだけど、私に放課後、トマトの育て方教えてくれないかな!!」


 大葉さんがグッと俺の方に歩み寄り、両手は体の前で握っていた。

 大葉さんのその透き通るレモンイエローの瞳はしっかりと俺の目を映すため見上げられその姿からは本気さがちゃんと伝わって来た。


「......うん、いいよ」

「ほんと!?やったー!!」

 大葉さんは握っていた両手を開き、満面の笑みでピョンピョンと跳ねていた。

 そんなに嬉しかったのか?

 

 俺とて最初は断ろうと思った。

 だって放課後は檸檬の木の手入れや時には友達と遊んだり、今日みたいに宮下さんに誘われて一緒に帰ることもあるかもしれない。

 でも、大葉さんの真剣な瞳を見たら、断れそうになかった、それに、なんだかここで断ってはいけない気がしたからだ。


 しかし俺の顔からは自然と笑みが溢れていた。

 なんだか...いいことした気分だな

 俺はふと自分が育てている檸檬の木に目を向けた。

 するとそこには、前まではなかった新しい実がなっていた。

 おそらく最近できたのだろう。


「あっ!新しく実がなってる!!」

 すると大葉さんが興味深そうに近づいて来た。

「え!?どれどれ?」

「ほら!ここ、ちょっと見えにくいかもだけど」

「ホントだー!ちっちゃくてかわいい!最初はこんなちっちゃくて緑色なんだね」


 そこには茎に隠れていて今まで気づかなかったけど確かに新しい実がなっていた。


 俺はとっても嬉しい気持ちになった。

 こういう目に見える結果が出てくるととてもやりがいを感じる。

 これも、俺が育てるということに関心を持った理由の一つだ。


「私もこんなふうに実がなって、気付いた瞬間の気持ち味わってみたいなあ...」

「大丈夫、一緒にこれから頑張ろう!俺が絶対トマトを大葉さんに見せてあげるから!」

「ホント!じゃあ...おねがいしちゃおうかな?頼りにしてるよ」

 

 大葉さんは俺にニコッと微笑みかけた。


「おーい二人とも、そろそろお開きの時間だぞー」

 そんな時庭に出入りする扉から父さんの声が聞こえてきた。

「はーい、って!もうこんな時間!?」

「ホントね、私たちけっこう外にいたのね、全然気づかなかったわ」


 リビングの時計を見ると午後の八時をさしていた。

 俺らは二時間程外にいたことになる。

 なんで楽しい時間ってこんなに早く終わるんだろう...

 そんなことを思いながらリビングに入った。



「今日はありがとうございました、料理は美味しかったし、とっても楽しかったです!」

 玄関先で大葉さん一家がニコニコしながらお礼を言っていた。

 もちろん俺らも全員でお見送りをする。

「いや〜ほんとに楽しかったね、久々に会えたし面白い話もいっぱい聞けたし、麻理ちゃんと太陽も楽しかった?」

 不意に母さんがそんなことを聞いてきた。

 そりゃあ最初から喧嘩してたし、ずっとギクシャクした感じだったからはたから見たらたぶん楽しそうには見えないと思う。でも......


「俺はけっこう楽しかったよ」

「私も楽しかったです、それと...ここにきてすぐ変なことで怒って、みなさんを不快な気持ちにさせてごめんなさい」

 大葉さんが俺らにペコリと頭を下げた。


 庭にいた時から思ってたけど、大葉さんは普段はあんなに気が強そうにしてるけど、ちゃんと謝る時は謝るし、人としてやることはきちんとしている。

 実は、俺が思っている以上にいい人なのかもしれない......


「ううん...楽しかったならよかったよ、俺も言葉遣いには気をつけるよ」

「そうだよ、俺も母さんもそこまで気にしてないから、太陽とは引き続き仲良くしてほしいな」

「はい、もちろんです!」


 そう言った大葉さんの笑顔はとても爽やかで、その周りだけ光が差し込んだみたく、とても輝いていたように見えた。


「太陽くん、またここに来てもいい...かな?」


 なんだーー!?その超絶かわいい上目遣いはーーー!?!? しかもサラッと名前呼びーー!?!?

 なっ、なんだ彼女は!?天使か?天使なのかーー!?!?!?

 

 大葉さんの笑顔、上目遣い、名前呼び

 この三連撃をくらった俺の体力はもうほぼゼロに近い状態だった。

 あ、あぶねー...危うく昇天しかけたぜ......

 最後にこれとは中々油断できないなー

 こりゃ早く慣れないと俺の命がいくらあっても足らないぞ

 そのうち無意識に人前でニヤニヤしてしまうかもしれないっ!!

 


「じゃあそろそろ行こうか、太陽くんも今日はありがとね」

「はっ、はい!ありがとうございました」

 そう言って大葉さん一家は家へ帰って行ってしまった。

 

 家に知り合いが来て帰った後ってなんか急に静寂が訪れるよね、今その状況です。

 みんな、それぞれが余韻に浸っているようだ。

 

 両親は友人と久々に会えてとっても楽しかっただろうし、日向は知り合いこそいなかったが、持ち前のコミュニケーション能力で酒も入った大人達の会話にグイグイ入っていた。

 もちろん大葉さんとも楽しく話してたみたいだ。

 正直俺でも酒が入った親達の会話には合わせられる自信がない。できて、苦笑いってところだろう。


 そして俺はというと、当然大葉さんと庭にいた時のことを思い出していた。

 庭で二人で話したこと、実は趣味が似ていることなどなど...

 どれをとっても今日のことは俺にとっていい思い出になった。

 これからも大葉さんとは一友達として仲良くしたいと思っている。

 いや、それは少し言い訳になるかもしれない......

 

 本当はそれ以上の関係を考えなかったわけではない。

 やっぱり、俺は案外単純な男だな...、対して一緒にすごしてもいないのに......


 時間にして数時間の出来事だったが俺からしてみればその時間以上のことを体験した気がしていた。

 

 結局、育て方を教えるって言ったけど学校も違うし、かといって家を知っているわけではないしなー...


 せめて連絡先でも交換しとくんだったなー...

 完全に誤算だった、まさかああいうふうに切り出してくるとは思わなかったから頭が回らなかった。

 どうしたもんかな......


 すると、一足先にリビングに戻って片付けをしていた母さんから声があがった。

「あら、この蝶々のヘアゴムって麻理ちゃんのじゃないかしら?」

 とみんなの前に持ってこられたそれは確かに大葉さんのものだった。

 こんな特徴的なもの見間違えるはずがない。

「ほんとだ、それ届けないとだな...太陽、大葉家の家の場所をスマホに送っておくから届けてあげなさい」

 

 

 これは父さんなりの気遣いだろう、俺らの仲をもっと深めるべく。

 父さんは俺と日向のことならなんでも分かってしまう、おそらく俺らが連絡先を交換していないことも気づいているのだろう。

 もしかしたら...この感情にも?

 いや、それはないかな...

 

 父さんは昔からそうだ。

 いつも俺たち兄弟が考えていること、行動しようとするとそれをわかっていたと言わんばかりに先をよんで行動してくる。

 今日の朝だっていつもは用事があろうとも「早く帰ってこい」なんて言わない。なぜなら俺は普段は学校から帰るといつも家にいるし、休日もほとんど遊びには行かない。

 友達を家に呼ぶでもなく、ただベットに横たわってゴロゴロしているのを父さんはわかっている。

 

 しかし今日は行動を遮るように助言をしてきた。

 親子だからとすませてしまえばそれで終わりなのだが...ま、今はそんなことより


「わかった、返してくるよ」

 それだけいうと玄関のドアを開け、スマホに送られていた位置情報をもとに、大葉家へと歩いて行った。



           ◆◆



 それにしても、俺の家から大葉さんの家まで案外近かったんだなあ


 家から出発してものの十分程度で大葉家の家の前まで着いた。

 俺はインターホンを押してヘアゴムを届けにきたことを伝えると、しばらくして大葉さんが中から出てきた。


「太陽くんごめんねー、わざわざ届けてくれて、このヘアゴム結構気に入ってたから無くしたと思って焦ってたんだー」

「それなら、早めに届けれてよかったよ」

 とりあえず大葉さんが喜んでくれてよかった。


「そうだ、大葉さん、これから一緒にトマト育てるにあたって、お互い連絡できないのは不便だと思ってさ、MINE交換しない?」

「たしかにそうだね、いいよー!しよしよ!」

 なんだかんだ女子の連絡先をもらうのって初めてだな...

 それに気づくとちょっと意識してしまい、無意識に緊張してしまう。

 そして、MINEを交換し終わると唐突に大葉さんがニヤニヤしながら俺にある提案をしてきた。


「それはそうと太陽くん、そろそろじゃなくて...下の名前で呼んでほしいなー」

「なっ!?べっ、別に上の名前でも問題ないだろ!!」

「えー、だっていつまでもそんなだったらなんか距離感じちゃうし...」

 いつまでもって、まだ会って一日目だぞ

 なんてことを思いながらその場面をどう乗り切ろうか模索していると...

「下の名前で呼んでよ......ダメ?」

 出た!必殺 男殺しの上目遣い!!

 それをされると俺は絶対に抗えない。

「ッッ!......ま、ま...り......さん」

「ちがう、まりちゃんって呼んでほしいの、私だってくん付けしてるんだから」


「ま」

「ま?」

「まりち......さん」

 俺の口から出たのは結局、さん付けだった。

 これでも俺にしてはかなり頑張った方なんだから褒めてほしい!

 一方、当の本人はというと、納得いかない顔をしながらため息までついている。まったく、こっちの気持ちも考えてほしいものだ。

 俺の心は羞恥でぎゅっと潰されそうでこのままどこかへ消えてしまいたい気分だ!!


「まぁ、今日のところはこれくらいで許してあげるわ、改めて、明日からよろしくね!た・い・よ・うくん」

「あっ、あぁ、こっちこそよろしく、ま...まりさん」

 

 それを聞くと彼女は「フフッ」っと笑うと、手を振り笑顔で俺を見送ってくれた。

 俺はしっかりと手を振りかえし自分の家に帰って行った。









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