第61話 仕方なかった ー 1
その名を呼ぶと、敏明さんは小さく笑った。はーちゃんによく似た、柔らかい笑顔だった。
「冗談だと言ったら、君は信じてくれるのかな?」
言葉は返せなかった。戸倉さんの情報が、眼前の状況が、全てをクロだと証明していたから。
「防犯通知が鳴ったからね。てっきり、遥香がこっちに戻ったのかと思ったんだけど」
首を傾げながら、敏明さんは言った。
「君がここにいる理由、教えてくれるかな?」
「……最初は、単純な疑問でした。スーパーで会ったとき、あなたは女の子にとって髪も心臓も大切な命だって言いました。変死体の話はともかく、心臓の話は一般に出回っていないはずだから、おかしいな、って。でも、変死体に関してはかなりの憶測が飛び交っていたし、そういう偶然もあるかな、って思っていたんですけど」
「……けど?」
「今朝の事件で、疑問の一部が確信に変わりました」
「今朝の事件というのは、城山の件かな」
敏明さんの声色は、実に落ち着き払っていた。
「具体的にどういう点で確信に変わったのか、教えてほしいね」
対照的に、感情的になりそうな心を必死に諫めていたのが、幸介だった。
震える声で、幸介は言った。
「気になったのは、遺体の発見場所です。あそこは、市街地から秘密基地に抜けられる道の途中。秘密基地に向かえば向かうほど、人家が少なくなる。被害者が助けを求めるためにあの道を使ったとすれば、土地勘のある人間が、わざわざ坂を登り、人家のない秘密基地の方向を目指す理由が考えられない。つまり、被害者は秘密基地の近くで襲われ、助けを求めて市街地を目指したということ。犯行の音や声を近隣住民が聞いていないことも、その証拠です」
唾を呑んだ。緊張と興奮でベタつく喉を必死に鳴らして、言葉を継いだ。
「昨日の夜。秘密基地には僕とはーちゃんがいました。けれどもはーちゃんが先に帰って、僕はその行き先を知りません。加えて遺留品には、被害者のものとは異なる長い髪の毛があった。被害者は髪切り魔。女性を狙って犯行に及び、逆に反撃を受けて殺害されたのだとすれば、昨日の夜、秘密基地にいたはーちゃんが最も疑わしくなる」
「つまり君は、遥香が今朝の事件の犯人だと言いたいわけだ」
「……はい」
ゆっくりと、幸介は頷く。
そして間髪入れずに告げた。
「犯人は、はーちゃんだと思います。でも真犯人は、はーちゃんじゃない」
「……どういう意味だい?」
「―――魔獣」
言葉と同時に、敏明さんの眉がピクリと動いた。
「知らないとは言わせません。四件の変死体事件のうち、確かに今朝の四件目に関しては、はーちゃんが犯人である可能性が高い。けれど残りの三件は違う。犯人はあなただ。あなたが、魔獣を使って人を殺した。魔獣にしてしまった、はーちゃんの魔力を得るために」
少しの間があった。深く息を吸い、吐いて、敏明さんが言った。
「……不思議だねえ」
頭を振り、困ったように眉を動かして、幸介を見据える。
「どうして君の口から、魔獣なんて言葉が出るのか」
やっぱり、と思った。予想通りだった。この人は、曾我谷津の事件現場に幸介が居合わせていたことを知らない。
警察に補導されたはーちゃんは、あらかたのことをゲロったと戸倉さんは言っていた。しかしゲロっていないことがあった。それが幸介の存在だった。名前を口にしないことで、保護者として身柄を引き受けに来た敏明さんに、その存在を認識させなかった。
つまり彼女は、父親が殺人を犯していることを知っていたのだ。
「君は魔術師か?」
敏明さんに問われ、幸介は首を横に振った。
「違います。ですが、この事件の関係者です。魔術のことも、知ってます」
なるほど、と敏明さんは唸った。
「それで心臓の話に疑問を抱いたというわけか……。迂闊だったな……」
「あなたがはーちゃんを魔獣にした。けれども、正しい魔力供給の方法がわからなかった。だから人を殺して、その心臓を与えた。いや、与え続けるつもりだった。曾我谷津の遺体の心臓は、あなたが送り込んだ魔獣もろとも吹っ飛んでいる。つまり、はーちゃんはあの遺体の心臓から魔力を得られていない。魔力が足らなくなったはーちゃんは、混濁状態に陥って髪切り魔を襲った。そうですね?」
混濁状態。敏明さんは幸介の言葉を反芻した。そう表現するのか、と呟いた。
「被害者の選定は、あなたが仕事中に得た生活困窮者の情報から行っていたんですよね。映像証拠が見つかっています。身寄りのない生活困窮者に、仕事を斡旋するような話でもして人気のない場所に呼び出し、魔獣に襲わせて殺害する。身寄りのない遺体は発見が遅れ、死亡時期も殺害方法も不明確なまま事故として処理される。それがあなたの狙いだったんだ」
「映像証拠……か。つまり、言い逃れはできないと言いたいわけだ」
「はい」
「ならば余計にわからないな。どうして君はここにいる? 変死体の件で僕を犯人として捕まえたいのなら、逮捕状はその映像証拠とやらで十分じゃないのかい?」
「僕は……」
思案しつつ、視線を伏せた。しかし考えたのは僅か数秒のことだった。ゆっくりと視線を上げ、敏明さんを見据えた。
「別の証拠を探していたんです。もう一つ、決定的にあなたが犯人であり、はーちゃんが魔獣であるという証拠……」
振り返り、クローゼットの中の白骨遺体を見やる。
骨には、引っ掻いたような噛み痕がいくつも残されていた。
「これ、みちるさん、ですよね」
【次回:仕方なかった - 2】
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