第21話 特殊犯罪対策課6係 ー 4
「あの子の戦闘能力は、あんたがその目で見た通りだよ。あの子があんたを守る。その代わり、あんたには目撃者として事件の捜査に協力してもらう。どう? 悪い話じゃないでしょ?」
「……」
視線を伏せて、幸介は考えた。
さて、どうしたものかと思ったのだ。
無料版はここまでだと戸倉さんは言った。つまり、そこまでに明かした魔術や魔獣の情報は、語ろうと思えば一般人相手にも語れる内容ということだ。
だがその一方で、熊に遭遇する前、彼女はここから先の情報は他言無用だとも告げている。他言無用の情報の中に、無料版が存在することなどあるのだろうか。
答えは、否だ。
考えてみて初めて、わかることがある。要するに、最初から幸介に選択の自由など用意されてはいなかったのだ。
この部屋に入ったとき、いや、熊と遭遇した廊下に出たあの瞬間から、彼らはこの提案を前提に話を進めており、そして幸介に持ちえる選択はイエスかイエスのみだったのである。
やられた、と思った。卑怯な手を使いやがって。これが大人のやることか。恨み節をたっぷり纏った視線を動かすと、戸倉さんのニヤニヤとした意地悪な笑みがそこにあった。清水さんの取り澄ましたような顔がそこにあった。
意図せずして漏れ出した溜息には、諦めにも似た感情が乗っていた。
係長席のペン立てから、奪い取るようにしてボールペンを引っ掴む。殴り書きの署名は、せめてもの意思表示のつもりだった。ついでにわかりやすくペンを机上に叩きつけ、わかりやすく不機嫌な表情を眼前の澄まし顔に投げつける。
「いい子だね」
澄まし顔は、わかっていたというふうに言葉を紡いだ。
けれども幸介はそこで引き下がらなかった。
彼が書類を引き取ろうとしたところで、反対側からそれを指先で抑え込んだのだ。
指先に力を込めながら、幸介は言った。
「約束してください」
「なにを?」
「僕の周囲の人を、この件に巻き込まないって。もし巻き込まれそうになったら、そのときは僕と同じように守ってくれるって」
ふむ、と清水さんは唸った。
「それは、君と一緒に森に入った桃生遥香ちゃんのことかい? 彼女のことは君のボスと聞いているけど、ひょっとして君たちは恋人関係だったりするのかな?」
冗談交じりに放たれた言葉に、幸介は答えなかった。ただじっと、澄まし顔の細い瞳を見据え続けた。
やがて、清水さんが息を吐いた。
「わかった。約束しよう」
力を抜いた指先から、書類が離れていった。
場の空気を切り替えるように、パン、と戸倉さんが手を叩く。
「さて。じゃあ早速行動開始ってことで。はい、これ」
言葉を紡ぎつつ、自席の下から引っ張り出した紙袋を幸介に差し出す。
紙袋に入っていたのは、スマホや財布といった幸介の私物と、そしてなぜか幸介の学校の制服であった。元々所持していた私物はともかくとして、部屋に置いていたはずの制服がなぜ彼女たちの手にあるのだろうか。
しかし、その理由を問うだけの時間が幸介に与えられることはなかった。眼前に突き出された戸倉さんのスマホの画面が、幸介の置かれた状況の逼迫性を如実に示していた。
時刻は午前十時二十分。
月曜日の。
なるほど、と思った。どうりでベッドから起き上がった際、体がやたらと硬かったわけである。自分が森へ行ったのが金曜日の夜。現在は月曜日の昼。丸二日間以上も寝込んでいたのであれば、筋肉が鉄パイプを仕込んだように凝り固まっていても不思議はない。
戸倉さんは言った。
「とりあえず、学校行こうか」
【次回:小田原連続怪死事件 - 1】
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