第3話 噛ませ犬の最悪な朝①

「うちの息子になんてことしてくれたノーネ」


「ほんとよ!どうしてくれるつもりザマス?」


「この度は大変申し訳ございません。私の非礼に対して心からお詫び申しあげます」


「謝ってすんだら騎士団はいらないノーネ」


「そうザマス、そうザマス」


耳をつんざくような怒鳴り声とカナリアのような声に誘われ俺は目を覚ます。部屋にまで響き渡る怒鳴り声は力強く威圧感に満ちており、その音波が空間を震わせる。一方、カナリアのような声は細く甘美な響きながらもどこかオドオドと弱々しい雰囲気を感じさせる。


(しかし、今時こんな語尾の奴らが存在するんだな。漫画やアニメの世界だけだと思っていたわ)


眠い目を擦りながらぼんやりとしていた意識を覚醒させ周囲を見渡す。


(ん・・・・・・何だ?・・・まだ・・・夢の中なのか?)


俺はぼやけた思考を振り解き、無理矢理に意識を奮い立たせた。頭の中に漂う曖昧さや混乱を一掃し、鮮明な思考を取り戻すために大きく深呼吸を繰り返す。


しかしそんな奮闘も虚しく目の前には先ほど何ら変わらない、夢の中に迷い込んだかのような景色が広がっていた。


壁一面には豪華な絵画が飾られ、部屋中には宝石が埋め込まれた鏡面仕上げのドレッサーやらゴージャスな装飾が施されたクローゼットやら贅沢な家具が所狭しと配置されている。


天井から吊り下げられたシャンデリアは無数のクリスタルと共に煌めき、美しい光の反射で部屋を満たす。カーテンもまた、派手な色彩と繊細な刺繍で飾られ風に揺れる度に優雅な光景を見せつける。


鼻に漂う匂いもまた、贅沢さを競っているかのようで部屋中には芳醇な香水のような上品な香りが広がっている。


(あれ・・・ここは・・・・・・どこだ・・・俺は確かボロアパートの階段に押し潰されて意識を失ったはずだ)


・・・という事はここは病院なのか?


状況的に意識を失った俺が生きて運ばれる可能性のある場所は病院以外にはありえないだろ。だだ頭はこの場所が病院であることを断固として否定している。


情報や現実との食い違いが心を乱し混沌とした状態に取り囲まれる。自分が置かれた状況が全く理解できずに頭は混乱し思考が錯綜していた時、また部屋の中にけたたましい怒鳴り声が鳴り響いた。


「今回の件、責任はとってもらうノーネ」


「そうザマス、そうザマス」


五月蝿い。頼むから静かにしてくれ。俺は今それどころじゃないんだ。心の中で声の主に悪態をつきながらも、俺は妙な引っ掛かりを感じてた。


(あれこのセリフ・・・この声・・・どこがで聞いたことのあるような・・・)


「そうなノーネ。私、まだ王女様は抱いたことなかったノーネ」


「そのザマス、そうザマス」


このクソみたいなセリフ・・・このけたたましい声・・・そして何より特徴的な語尾・・・あぁそうだ思い出した。


俺は思わず手のひらをポンっと叩いた。


これは俺が大学生一年生の頃にどハマりしていたギャルゲー「剣と魔法のヴィンセント」のワンシーンじゃないか。


そうだそうだ、絶対にそうだ。全部のシナリオを解放するために幾度となく繰り返し聞いたシーンだ。聞き間違うはずがないだろう。


『剣と魔法のヴィンセント』


プレイヤー達からは「けんま」という愛称で呼ばれているギャルゲーだ。


勇者に選ばれたらプレイヤーの分身でもある主人公が国で一番の名門校に入学し、そこで出会ったヒロインや仲間達と様々なイベントや冒険を乗り越えながら心を通わせ成長をし、世界の支配を目論む魔王や王国転覆を目論む組織から世界を救うという至ってシンプルな内容のゲーム。


だだこのシンプルな内容のゲームが発売当初から多くのギャルゲーファン達の話題を掻っ攫っていった。


圧倒的な攻略対象数を誇るギャルゲーとして。


普通のギャルゲーの攻略対象は四人、多くても十二人ほどいればいいほうだ。ただ「けんま」の攻略できるキャラクターの数はメインヒロインの四人を含めて脅威の百人越え。


王女、聖女、剣姫、貴族の令嬢、幼馴染、クラスメイト、獣人、ギャル、眼鏡っ子、熟女、ぼくっ子、ロリ、先生、魔族の幹部、冒険者、ツンデレ、ヤンデレ、天然、小悪魔、清楚、委員長、貧乳、巨乳、エルフ、博士、料理人、女優、くのいち、騎士、精霊、友達のお母さんはてや王妃まで


どんな女性だろうと魅了し恋に落としてしまう摩訶不思議な能力を持った主人公は「こいつこそ討伐すべき人類の敵」だの「令和の伊○誠だの」ネット上で散々ネタにされてきた。


そんな前代未聞の要素が組み込まれた「けんま」だったがストーリー自体の評価も悪くなかったし、何より百人を超える攻略対象一人一人に個別の攻略ストーリーが用意されているという狂気を超えた造り込み具合は多くのギャルゲーマーを達を虜にしていった。


無論、俺もその一人である。


大学生の一年生の貴重な夏休みの大部分を「けんま」で最も難易度の高いハーレムルートをクリアするために費やしたのはいい思い出だ。


「それは・・・流石に・・・・・・」


「観念するノーネ。いう事を聞かなければこのまま王国への魔銅石の輸出を一生取りやめてもいいノーネ」


そんな風に感傷に浸っている時またゲスびた顔が浮かび上がってくる声が響いてくる。その声は俺の脳裏の中の記憶を鮮明に呼び戻す。


多くのプレイヤーの心に不快感や嫌悪感と共に深いトラウマを刻み込んだ作中屈指の胸糞シーンを。


多くのプレイヤーたちが、この作品に登場するバイトドック家のキャラクターに対して、燃え盛る憎悪の炎を抱く原因となったこのシーンの顛末を。


作中に登場したバイトドック家は国で最も悪名高い貴族だった。民衆を虐げ、権力を乱用し、不正を働くことを当然のように行っていた。その存在はまさに国にとっての暗黒であり、民衆にとっても悪夢の象徴だった。


そんな悪名轟かすバイトドック家には一人息子がいた。


その名バイトドッグ・グレイブ。


グレイブはバイトドック家の一人息子としてそれはそれは大層甘やかされて育った。


幼い頃から従者達に囲まれながら贅沢三昧。人生に苦労や努力という概念なんてものはなかったし、いくら自己中心的な態度をしても許さた。


両親もそんなグレイブが欲しがるものは何でも買い与えたし、反対する者は一人として許す事はなかった。そんな風に英才教育を受けたおかげで、グレイブは弱い十歳にしてすでに悪徳貴族としてその名を轟かせていた。


そしてそんなグレイブはクソっぷりはこの国の第二王女の十二歳の誕生日会に招待された際も遺憾無く発揮された。


会場で自分より爵位の低い貴族の令嬢を権力を傘に掛けてナンパするわ、飯がまずいだ何だと散々悪態をつくは、メイドにセクハラするはの大暴れ。そんな態度を見かねて注意をする大人も何人かいたがは聴き入れなんてしやしなかった。


そしてそんな傍若無人ぶりに激しい怒り覚えたのはこの国の第三王女エリーゼだった。彼女は大好きな姉である第二王女の誕生日会をあんな男に台無しにされる事を到底許すことが出来なかったのだ。彼女は思わず怒りに任せてにグレイブに最近教わった魔法を放ってしまう。


十歳の少女でも使えるような本来だったら子供のいたずらにしかならないような魔法。ただその魔法は普段運動を全くしていない少年を転ばせるには十分な威力だった。魔法が直撃したグレイブは見事に転んで頭をゴツん。その衝撃で一瞬の内に意識を失った。



会場ではグレイブのあまりにもと酷い態度に辟易としていた周りの人々から、エリーゼに対して拍手と喝采が沸き起こったが後にこの行動は国を挙げての大問題になった。


ことの顛末がバイトドッグ家の領主の耳に届いてしまったのだ。領主は可愛い一人息子が傷つけられたことに激昂し、大陸中でさえわずかな産地しか存在せずこの国ではバイトドック家しか産出されていない魔銅鉱石を王国ではなく諸大陸国に輸出すると宣言した。


そんな事をされたら、魔銅鉱石を加工した製品の輸出をしている国にとっては大きな打撃となる。国は直ぐ様この問題を解決するためバイトドック家の要望通り第三王女自らを領地に向かわせた。


そしてこの話がいま聞こえてくる胸糞シーンへと繋がる。


バイトドック家の領主が許しを与える代わりに、非常に過激な要求をするシーンに。まだ十歳にもなっていないいたいけな少女に抱かせろという要求を突き付けるシーンに。


多くのプレイヤーがこのシーンを初めて目にしたとき、「このゲーム、R18+指定ではないよな?」とパッケージを確認したのは有名な話だ。


そうそう確かそのシーンの原因を作ったグレイブもこんな豪華絢爛な部部屋に住んでたっけ?


そんな思考に陥ると途端にこの部屋に見覚えがあるように感じた。まるで以前にこの場所を訪れたことがあるかのような錯覚が俺を襲う。家具の配置、壁の色合いなど、細部までが記憶と一致するように思えた。


体が反射的に動く。


俺は急いでベッドを飛び出し、鏡の前に立った。息を切らせながら、不安な表情で自分の姿を映す鏡を見つめた。一瞬の沈黙が続き、俺は目を見開いた。


鏡越しに映る自分の姿が何か違う。心臓は激しく鼓動し、この不可解な現象に戸惑いながらも、真相を解き明かすために一歩を踏み出した。ただ真実は何も変わらない。


「嘘・・・だろ・・・」


思わず声が漏れる。鏡には町屋宗の姿は映らなかった。目の前の鏡にはバイトドック・グレイブの姿が映し出されていた。

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