第44話 トリスの記憶①
僕が目を覚ますと、ふたりと――アイシャとキールと目が合った。
目が合ったから笑うかなと思ったけど。ふたりとも、心配そうな顔をしたままだった。
えっと、なにがあったんだっけ……?
ここは……どこかの部屋の中だ。
妙な匂い――草臭いというか……森の中とはまた違うけど、そんな感じの匂いがした。
足音がして、アイシャたちがそっちを見たから、誰かが来たんだなと分かった。
上から覗き込まれる。
「目が覚めたんですね。外傷は特に見受けられませんでしたが、気分が悪いとかありますか? 頭はまだ痛みますか?」
見ると、見覚えのある男性が立っていた。――えぇっと……、あぁ、この村に始めて来た時、長老の家で僕の治療をしてくれた人だ。
そうだ。僕は、三人でホワイトドラゴンに乗って――頭が痛くなって、それで……それから…………えっと……。
「トリス、大丈夫か?」
「目が覚めて良かった……! お水飲める?」
「あ、あぁ……。ごめんふたりとも。それから、ありがとう。えっと……」
僕は、ベッドから起き上がった。
家の中を見渡す。
アイシャらの家と同様の造りの木の家は、しかし家と言うより病院と言った方が正しいのだろう。部屋の中は、ベッドがいくつかと、大きな棚には瓶詰めの薬草のようなものがずらりと並んでいる。天井からはいくつもの草や根が逆さに吊り下げられており、(あぁこれは乾燥した草の匂いだったのか)と思った。
アイシャからコップを受け取ると、僕は水を飲んだ。
「ここは
アイシャが話し出したので、僕は視線をアイシャに移した。
「トリス、あなた丸一日眠っていたんだよ。大丈夫?」
「――え?」
僕は驚いてみんなの顔をみる。
薬師――ファルマコさんが頷いた。
「司祭様が部屋に入った時――頭が痛いと言われたので、ベッドで休んでもらっていたのです。どこにも新しい傷はないのに、ずっと唸っていたので心配しましたが、眠ることができてよかったです。――しばらく起きなかったので、それはそれで心配しましたが」
「そう、だったんですね……。ありがとうございました……」
僕は、手の指を動かしてみる。――体は問題なく動くようだ。
「うん。大丈夫……だと思います」
「よかったぁ~っ」
「心配したんだぜ」
「ありがとう、二人とも。それから……ごめん。……楽しんでたのに」
僕は、空中散歩を中断してしまったことを思い出した。……すっごく楽しかったのに。もう少し、空からの景色を見ていたかったなぁ。ホワイトドラゴンの背に乗るなんて、久しぶりのことだったのに……。
でも、キールとアイシャは笑顔で答えてくれた。
「元々、5分間だけの冒険のつもりだったんだ。気にすんなって!」
「また今度リベンジしようよ!」
「……リベンジ、って、もう一回乗るってことだよね。……アイシャ、大丈夫なの?」
乗るまであんなに怖がっていたアイシャが、リベンジを誘ってくれるなんて、驚きだった。
しかし、アイシャは吹っ切れたような表情だった。
「うーんと、結構大丈夫だったかも? 人に慣れてるドラゴンだと、やっぱり違うのかな? それに、そろそろ本当に乗れるようになっておきたいしね。トリスも動物好きだし、またいっしょに乗りたいよね!」
「うん」――と僕が返事をするより前に、キールが先に口を開いた。
「いやいやっ! よく考えろよ、こいつ高所恐怖症? かなんかだろ?」
「えっ?」
キールが難しい言葉を言って、僕とアイシャは首をかしげた。
……高所恐怖症?
すると、ファルマコさんが言った。
「そうかもしれないですね。高所恐怖症とは――高いところに登ると、不安やパニックに陥ってしまうことです。頭が痛いとのことでしたが――頭に外傷はみられませんでした」
「へぇ……」
そういう事もあるのか。……知らなかった。
「でも、できればもう一度乗ってみたいな」
僕が言うと、アイシャとキールは困ったように腕を組んだ。
「高所恐怖症と聞いちゃあ勧めらんないかも……」
「……うっ。だめかな? ホワイトドラゴンがすっごくかわいかったし、すっごくかっこよかったから、今度は僕もちゃんと楽しみたい」
「だめじゃねーけど、また倒れられてもなぁ」
アイシャとキールは、「むむむ……」とうなっている。
「いやでもぉ……、やりたいことをやってもらうのが療養につながるっていうじゃない?」
「逆だろ。もはやショック療法だろ」
「ふふふ」とファルマコさんが笑った。
「いや、ごめんなさい。笑うところじゃないんですが……。アイシャが血相を変えて飛び込んできたときは驚きました。ずいぶん仲良くなったんですね。司祭様は今まではすぐに帰られていたので、こういった様子は初めてで」
「あ……っと……」
そうだ。僕は……あと一週間経たないうちに、王都に帰らないといけないんだ。
――ずっとここにいられるような錯覚を、していた……。
ファルマコさんは、僕の腕を指差して言った。
「最初の怪我の経過も見ましたが、順調に回復していましたよ。さすがは司祭様。普通なら全治一ヶ月のところを、一週間ほどで治りそうな様子ですね」
僕は、自身の体の包帯が、新しい物に変わっているのに気がついた。薬も塗り直してくれているようだ。――魔法の力のおかげか、あまり痛くはない。痛みを緩和するなにかをしてくれたんだろうか。
僕は、ファルマコさんに言った。
「えっと、治療代……お金を払います……。今は持ってないですけど、パルテンに帰ったら10万ギリアくらい持ってきます。仕事中の怪我となれば、女神様にお話しすれば、きっとお金を持たせてもらえるはずです。僕がお世話になったと言えば、きっと教団の皆も納得してくれるでしょう。もし足りないようなら、教団で育てている果実を持ってこようと思います。それから母さんの…………ん?」
みんなが凄い表情をしているので、僕は喋るのをストップさせた。
「…………と、トリス……」
「……お前、それ……」
………………あれ……?
すらすらと出てきた言葉に、僕は、なにか――。
「記憶が、戻ったのっ!?」
「思い出したのかっ!?」
二人が、わっと僕に寄ってきた。
――『記憶』。
そうだ、記憶だ――……!
記憶が……!
僕は、もっと思い出そうとする。
僕は、僕は――
ズキッ
という頭の痛みで、僕の思考は中断された。
「うっ……」
「大丈夫っ? トリス!」
「……うん。……全部じゃないけど、少しは思い出せたみたいだ」
僕はそこで、……思いだせたことを口に出していく。
「僕の名前はトリス・イーリアムル。王都パルテンで母さんと暮らしてたんだ。……最近、母さんが病気をして、体調が悪くなってて……。でも、すぐに命がどうこうはならないって、女神様がおっしゃってくださって……」
「女神様?」
「知らねーのか、アイシャ。王都の教団は、女神様っつーのがトップなんだぜ」
「へぇ」
「そうなんだよ。僕らは女神様を中心に仕事をしているんだ。女神様は王宮に部屋をもらって暮らしててね。僕は教団の仕事で王宮に出入りしていて……。ある日、女神様に呼ばれたんだ。そこには、僕と……えっと……誰かがいて……それぞれに……お話をされて……」
あれは――なんだっけ。僕がずっと待ちに待った――。……あれは、どんな話なんだっけ?
ズキン
――頭痛がする。あの時と同じような痛みだ。
女神様の、口の動きが思い出される。なんだっけ……?
そうだ、あの時女神様は――、
「『フルールフートへ……行くように……』」
そう、全部の言葉は思い出せなかったけれど、確かにそう言った。
僕はそれからしばらく経った頃に――カレンダーを見て――教団を出発したんだ。
…………これ以上は、思い出せない。
もやがかかっているような、そんなぼやけたなにかだ。……教団のみんなの顔も、よく思い出せない。
――これ以上考えると、また頭痛が起きそうな予感がして、怖い。
「じゃあやっぱり、花祭りに合わせてやってきた司祭様なんだね! よかったねー!」
「じゃあ、名前はロフィマ様なんじゃねーのか?」
「でも、えっと、僕は」
「トリスだって言ってるじゃん! 事前の連絡が間違ってたんじゃないのー?」
「ま、そういうこともあるか」
ロフィマ様。ロフィマ様……えぇっと……。
ズキン
頭痛がして、僕は頭を押さえた。
「……っ。えっと、まだはっきりしない記憶も多いけど――とにかく僕が何者であるかが思い出せてよかったよ……」
自分のことと、家族。住んでいる街、それから――いや、その中に、なにかが欠けているものがあるような気がした。
「はっきりして良かったな! 王都に送り出して良いのか、迷うところだったぜ」
「僕は教団にいたけど、でも役職は、まだはっきりとは……」
「え? でも、教団なんだよね? それで、女神様に言われてこの村に来たんだよね」
「うん……」
そうだ。そのはずだ。
…………。頭が、重い。
司祭様、司祭様。よく聞いた言葉だ。――……。
「………………」
くらっとして、僕は額を手で押さえた。
…………なんだろう。
「……司祭様はまだ本調子じゃないようですよ。アイシャ、キール、今日は帰りなさい。お話はまた明日にしましょう」
ファルマコさんが言って、アイシャたちは頷いた。
「じゃあまた明日ね、トリス!」
「今日はゆっくり休めよ!」
部屋から出て行く二人を見送り、僕はベッドに横になる。
そうして、再び眠りについた。
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