第23話 迷惑を被った被害者

『ごめんなさいねえ。とりあえず、簡単に答え合わせしましょうか』

 頭上から明るい声が下りてきて、母とヒロインのエリカが驚いて空を見上げ、それぞれ小さく声を上げた。

「ちょっと何コレ、意味わかんない。ええ? ちょっと女神アイ様、何でこんなことになってんのー?」

 エリカが挙動不審な動きを見せ、近くにいた女神アイの姿に気づくとそちらに駆け寄ろうとした。しかしその瞬間、辺りの空気が震えてエリカと母が同時に両耳を手で塞いで動きをとめる。

 一体、何が……、と僕が息を呑んで見つめていると、離れた場所に立っていたガブリエルがのろのろと僕の方に目を向けて。


「エヴァン」

 小さく彼は囁き、僕が躊躇いつつも右手を上げて笑おうとしたのだけれど、その途中であっという間に駆け寄ってきた彼に抱きしめられた。

「え、あの、ガブリエル……」

「ごめん」

 僕の耳元に彼の吐息と、震えた声がかかった。震えているのは声だけじゃなく、僕を抱きしめる彼の腕もそうだ。

 ――温かい。

 彼の体温を感じると、何だか急に泣きたくなった。

「……何が、『ごめん』?」

「守るって言ったのに」

「それは」

「俺、死んだ? エヴァンも死んだのか。で、ここが死者の世界」

 少しずつ彼の腕から震えが消え、その代わりにしっかりとした力が加わる。それと同時に困惑したような声音に変わったのに、すぐに開き直ったような言葉が続いた。

「まあいいか」

「よくないよ」

 僕はそこで彼の胸を強めに叩き、離れるように促した。そこで不承不承といった様子でガブリエルは僕から身を引いて、僅かに表情を情けなく歪めたままでこちらを覗き込んでくる。

「お前を守れなかったっていう生き恥を晒すのは厭だろ」

「そうだとしても」

 僕は軽く彼の腕を叩いた。「僕は君に生きていて欲しいと思うよ」

「うー……」

「まあそれに、どうやら僕らは生きているみたいだし」

「あ? そうなのか?」

「うん」

 彼は目を細めて僕を軽く睨みつけ、やがて頭を乱暴に掻いた。

 そしてそれを――僕らを遠くから見つめている双眸に遅れて気づき、僕の心臓の音が乱れたのを感じた。


 アルフレート殿下が所在無げに立ったまま、僕らを見つめていたから。

 そしてその瞳には、複雑な色が見えた気がした。

 すぐに彼の方から目をそらしてしまったから、殿下の感情は全く読み取れなかったけれど。


「何なの……。嘘でしょ? 嘘よね? だってあたし、ヒロインなのに。ヒロインとして生まれ変わったのに」

 気が付けば、エリカがその場に座り込んでぶつぶつと何か呟いている。その頭上に唐突に現れたのは、猫のような生き物。背中に翼があるから、猫ではない『何か』だ。

 その謎の生き物がエリカの頭上をくるくると飛び回りながらお気楽な口調で言った。

「ま、こういうこともあるニャ」

「はあ? ちょっとベスベス、あなた知ってたのおぉぉぉ!?」

 がばっと顔を上げたエリカが、ベスベスと呼んだ生き物をがっしりと捕まえてぶんぶん振り回していると、それを呆れたように見た母が苦笑を漏らした。

「何でもありだとは思ってたわよ。そりゃね、わたしみたいなイレギュラーな転生者もいるんだもの、ヒロインのための世界ではないことは理解してたつもり」

 母はそう言ってから、空にいる巨大な神に視線を向けた。僕の予想以上に母は落ち着いていて、おそらくこの場にいる人間の誰よりも状況を理解しているみたいだった。

「ええと、ゲームの中には出てこなかった神様、初めまして? 答え合わせありがとう」

 母は自分のこめかみを右手の指先でとんとんと叩き、ニヤリと笑う。「一気に頭の中に情報を流してくれて混乱してるけど、理解はできたわ。女神アイって、そういうことなのね? つまり、この試験とやらに受かれば本物の神様になれそうだったってこと」

『理解が早くていいわねえ』

 空の割れ目から見下ろしているアルディアナ様は、綺麗な形の目を細めて笑う。そして、まだ理解の追い付いていないエリカと僕らを見回して小首を傾げている。

 母は肩を竦めつつ、アルディアナ様と同じように皆を見回した後、曖昧に笑ったまま固まっている女神アイに顔を向けた。

「女神アイ。アイってアレよね、人工知能、AIから来ている名前」

「……そうですね」

 女神アイは慈愛に満ちた瞳で母を見つめる。

「わたしが生きていた頃、流行ってたのよね。AI音声認識ロボットとか、チャットボットってやつ? ネットに転がってる情報やら何やらで学習して、人間からの問いかけに応えてくれる存在。それが、このゲームにも取り入れられてた。それが女神アイ。ゲームの中で唯一、ユーザーの問いかけに柔軟に対応してくれてたの。ゲームの中で教会に行くと、そこでたくさん質問できたわ。ゲームに関することも、そうでないことも」

「そうです。わたしはあの世界で唯一の神であり、唯一成長し続ける存在でした。多くの人間と対話し、人間が何を疑問に思うのか学習しました。おそらく、あなた方が考えている以上に、わたしは進化しています」

「ふうん。だからスカウトされたの? 本物の神様にって?」

 母は僅かに眉を顰めながら空を見上げると、アルディアナ様が『そうねえ』と頷く。


『我々神が管理している世界というのは、それこそ無数にあるの。星の数より多いくらい、毎日生まれ、壊れていく』

「壊れて?」

 僕が思わずそう呟くと、アルディアナ様の瞳がキラキラと光を帯びて輝く。

『新しい世界が生まれる時、そして世界が壊れる時、大きなエネルギーが必要となるの。たまにね、世界が壊れる時に別の世界を巻き込んで崩壊したり、そこまでいかなくとも別の世界に天変地異を引き起こしたりするわけ。そうさせないように管理して、全ての世界が続いていくようにするのが神の仕事なのよね』


 ――なるほど?


『でもねえ、毎日のように新しい世界が誕生して、管理する方も大変なわけ。つまり、神の手が足りない。だから適当なその辺の世界から、役に立ちそうな神を引っ張ってきて試験に放り込むのよね。それほど人間の世界に手を出さずに、順調に育っていくように管理できる能力があるかどうかって。でもお』


 そこで、その場にいた全員の視線が女神アイに向けられた。

 彼女はただ悠然とその場にいるだけだ。


『女神アイにはその能力がなかった。つまり、昇格試験は失格。さらに、人間との接触は限りなく避けるというルールに背いた違反行為で降格でーす』

「降格……」

「降格?」

 そこで女神アイが困惑したように首を傾げ、アルディアナ様を見上げた。「降格とはどういうことでしょうか。わたしの能力は充分、役に……」

『言い訳は不要でーす。とりあえず、あなたは現地神として修業することを命じます』

「現地神?」


 どういうことだろう、と誰もが疑問に思っていると、アルディアナ様はちらりとアルフレート殿下に視線を投げた。


『そこにいるアルフレート・フリードルは知ってるはずだけどね、あなたたちの住む世界には魔力が足りないの』

「魔力?」

 僕はオウム返しにそう呟くことしかできないけれど、殿下は違うみたいだった。アルディアナ様に言われて何かに思い当たったようで、僅かに頷いて見せている。

『あなたたちの世界は厄介でね、何度も崩壊と再生を繰り返しているうちに他の世界を巻き込んで大きくなっていったのよね。そのせいで、世界を構成するだけのエネルギーが足りなくなった。だからここのところ、定期的に生贄のように大きな魔力を持つ人間を犠牲にして平和を保ってきたのよ』


 ――生贄。

 それは不穏な響きであったし、殿下も苦し気に顔を歪めて唇を噛んで見せている。それが事実だと教えてくれている証拠だろう。


『だからね、女神アイ』

「はい」

 そこで、アルディアナ様が女神アイに目をやってにこりと微笑んだ。

『あなたはそこで現地神に降格し、その世界に魔力を与える存在になりなさい』

「……はい?」

『そこで数千年ほど修行したら、もう一度試験をしましょう。次は合格してみせてね?』

「……数千年」

 そう返した女神アイの表情は、笑顔なのにどこか茫然として見えた。

 アルディアナ様だけが上機嫌で、ずっと無邪気な笑顔を見せているのが異様だとも言える。

『それから、この試験に巻き込まれた人間たちに確認なんだけど』

 彼女は僕らの顔をぐるりと見回して続けた。『試験はここで終わりだし、わたしがそこのアルフレート・フリードルを魔物から人間に戻したからこの世界の崩壊は免れた状況なのよね。どうやらラウラ・ヴィロウも魔物化は避けられたようだし』

 彼女はそこで一度言葉を区切り、僅かに身じろぎした。

 すると、元の世界――魔物化したアルフレート殿下と戦う姿のまま時間を止めている空間が空に大きく映し出される。

 ラウラ先生とロベルト先生が魔術を放とうとしている光景。

 遠巻きにそれを見守っている生徒たち。

 誰もが彫像のように動きをとめたままで、殿下や僕たちが姿を消していることに気づいていないんだろう。緊迫感の溢れる横顔が多く存在していた。


『わたしとしては、崩壊を免れた世界はこのまま時間の流れに戻したいの。でも、あなた方は運悪くこちらの試験に巻き込まれて迷惑を被った被害者なわけだし、希望を聞いてあげてもいいかな、って思うのよね』

「希望?」

「何それ」

 僕や母が困惑の声を上げていると、アルディアナ様は唇を三日月のように弧を描かせて言った。

『あなたたちが希望するなら、もう一度時間を巻き戻して、最初から初めてもいいわよ、ってこと』


「え、本当!?」

 一番最初に反応したのはエリカだった。頭上にいた謎の猫をいつの間にか胸元に抱え込み、じたばたする足を無視したまま目を輝かせている。

「つまり、全然上手くいかなかったあたし、ヒロインとしての生活を最初から始められるってこと!?」

「おい!」

 そしてそこにガブリエルの慌てたような声が続いた。「俺は厭だからな! やり直しとか、何だよそれ! それってつまり……」

 と、彼が僕を見た。


 やり直しすることができるってことは。


 つまり。


「僕らの今の記憶は消える?」

 僕がそう小さく呟くと、アルディアナ様は小さく頷いた。

『そうねえ。でも普通、人間としての命の始まりに別の記憶があるのはあり得ないことなのよ?』


 確かにそうかもしれないけれど。

 でも。

 僕はガブリエルを見つめて考えてしまう。


 この気持ちも消えてしまうのか、と。

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